

1961年頃まで世に流通していたSPレコード。シェラックという虫が原材料で落とすと割れてしまう代物だったが、音は抜群であった。たまにプレスミスがあるが、HARDは蓄音機で聴くのが一番‼️ステレオ装置での再生ならば専用カートリッジが必要です。DENONのDL-102SDが良かったが、現在では廃番なので個人的にはaudio-technicaのAT-MONO3/SPを使用中である。
集へ‼️SP盤好き😘
ミチフミ龍之介
COMMODORE 517A
1939.1.18 N.Y.C. Rec.』
ビックス・バイダーベックが生前に残したピアノ曲は全て彼の比類ない才能を、高く買っていたビル・チャリスがスコア化していた。ビックスは白人ジャズマンとしては最初のジャズペッターだったが、ピアノもものした。そして1927年9月9日にニューヨークのOKレコードのスタジオでただの1曲だけ自作自演のピアノソロの録音を残した。
♬In a Mist がそれでドビュッシー風の魅力的な分散和音や全音音階の面白い試みなど野心に富んだ魅惑の楽曲である。それらの他にチャリスはビックスが存命中に、♬Flashes ♬In The Dark
といったピアノ曲を採譜したお陰で、後進のミュージシャン達によりレコーディングされたのだ。
この楽曲はそれこそ♬In a Mist を拡張したものでコードは極似している。
ピアノを弾いているジェス・ステイシーはシカゴアンズの一人で、所謂エディ・コンドン一派のピアニストだったが、ベニー・グッドマンのビッグバンドがクラシックの殿堂カーネギーホールで史上初のジャズコンサートを開いた時に、ベニーに呼ばれた。そう!ベニーもやはりシカゴアンズのミュージシャンとして括られる。ベニーもジェスも、若い頃からずっとビックスがアイドルだったと云う共通項を併せ持っていた。そしてベニーこそシカゴアンズらの才能を高く評価していたし、お互いに自学研鑽しながらニューヨークの各クラブで腕を磨いた仲間でもあった。名実共にスイングのスターとなったベニーは誰よりも実力本位のミュージシャンなのであった。
カーネギーホールコンサートでベニーが一番のハイライトにプログラムした♬Sing Sing Sing でのピアノソロにジェスを指名したのには、そんな友情も手伝ってのことだった。1938年1月16日夜のジェスのピアノソロはスイングミュージックなどと云う狭い枠を遥かに超えて、ジャズをクラシックの殿堂に相応しい、鑑賞に堪える音楽として幅広い聴衆に認知させたのだ。この夜のジェスは神憑っていた。ジェス本人でさえ信じられないほど興奮したくらいであった。翌日ジェスは昨夜のピアノソロで得たアイデアを発展させる演奏を録音する。コモドア・ミュージック・ショップを主宰していたミルト・ゲイブラーが、シカゴアンズを集めてレコーディングした一番最初の録音となり、予てからゲイブラーが構想していた店プラスレコードレーベルを実現させたのだ。
コモドアレコードはシカゴアンズのメンバーのコンボ演奏を切売りしてある程度の成功を果たした。本回紹介するジェスがアイドルだったビックスのピアノ曲をソロ録音したレコードはいにしえのビックスのアイデアをこれ以上ない腕の冴えを見せて、ビックスが生きていたらさぞかし喜んだであろうと思わせる。このビックスのアイデア曲シリーズはこの数年前にビックスのビクターに残した録音が初めてアルバム化されて、ビックスを慕うミュージシャン達の間でちょっとしたビックス再燃の気運が起こったことによる。同じ1939年にはやはりビックスの影響を直接受けたバニー・ベリガンも自己のビッグバンドでビックスのピアノ曲をビッグバンドアレンジして録音している。
話は変わるが、この♫キャンドルライツ の録音がなされていた頃、コロムビア系のVOCALIONレーベルで歌っていた24歳のビリー・ホリデイは彼女を一躍有名にしたかの♫Strange Fruit と出会っている。ストレンジ・フルーツ、即ちリンチ死した黒人の無惨な死体がぶら下がっている光景をして、狂った果実とした衝撃的な歌であった。そしてこの歌こそ私が唄わなければならない、と頑強にVOCALIONレーベルの幹部に食い下がったが、大手コロムビアの傘下にあったレコードレーベルがリリース出来る内容ではなかった。そこでビリーはまだまだマイナーだったコモドアに目を付けた。ビリーのこの歌に対する並々ならぬ情熱にゲイブラーも気圧されて、録音リリースをすることにしたが、VOCALIONとの契約関係のことを慮ってゲイブラーはビリーが直接VOCALIONに他社での録音リリースの許可を取り付けるよう促した。そして1939年4月20日、めでたくビリーは
♫Strange Fruit 他3曲をコモドアレコードからリリース、チャート16位の売上を示したのだった。




Candlelights
ミチフミ龍之介
Blue.Note 504
1940.3.28 N.Y.C Recording』
ギタージャズの愉しみ、例えばビッグバンドの中でのギターは実に地味だ。大抵はリズムを刻む程度である。よほど名のあるギタリストがたまにソロを与えられる。このギターソロの割合がビバップ以降は徐々に増えていった。比較的少人数のコンボで奏でられる事の多かったビバップではギターは重用された。それはアコースティックギターからエレキギターへギターの潮流が変わったことと関係しているのと、チャーリー・クリスチャンのエレキ革命が、丁度ビッグバンドジャズからビバップへと変容していく、ジャズの端境期に初めて登場したことと関係しているのである。
ブルーズはジャズ以前からあり、そこにはアメリカのアフリカ系移民たちが奴隷同然で重労働を強いられていた社会的背景がある。ガーシュウィンの♫サマータイム なんかはその黒人労働歌であるブルーズ音形を取り入れて白人ロシア系移民の子=つまり黒人と同じ白人マイノリティー のガーシュウィンがフォークオペラ・ミュージカル『ポギーとベス』用に書いた楽曲だった。ブルーズは全音音階で云うところのミとソとシが半音下がるだけの単純な構造で後にそれはブルーノート音階とも言われるようになる。黒人たちの日常に即したことをただ唄うだけ、だから♫サマータイム なんかは
…夏の日々
暮らしは楽だ
魚は飛び跳ね
あなたのお父さんはお金持ちで
お母さんは美人だ
だから静かに
可愛い赤ちゃん
泣かないで
ある日の朝
あなたは立ち上がって歌うの
そして翼を広げて
空へ羽ばたいてゆくのよ
でもその朝まで
何にもあなたを傷つけさせない
お父さんとお母さんがそばに居るから…
というものでベスが幼子を寝かしつけるときに唄う、というこのオペラの中で唄われたものだった。1920年代にはベッシー・スミスが黒人の女、というだけで受ける数々の仕打ち=人種差別、クズ男を題材にした歌で名を上げる。桑田佳祐は、こうしたブルーズの歴史をちゃんと踏まえているからだろう。2016年のシングル♫君への手紙 のカップリング曲♫メンチカツ・ブルース はギター1本で巧みに絶妙なブルースを聴かせてくれた。
…俺のメンチ食べたのは
どこのどいつだ!?ほい
俺のメンチ食べたのは
どこのどいつだ!?ほい
ばあちゃんがよく言うことは
“道でコロッケるでねえ”…
3番の歌詞はさんま、たけし、タモリというお笑いビッグ3の名を巧みに使っていた。
…俺がさんま焼いたのは
一度たけしかねえ(コマネチ ドウーワップ)
俺がさんま焼いたのは
一度たけしかねえ (コマネチ ドゥーワップ)
魚釣れたら添える
網はタモリじゃねえ…
意味は無くても音韻重視で言葉を紡ぎ、後からダジャレ風味やクスっと笑えるスパイスを効かせた桑田さんらしいブルース解釈で、思わず上手いと、膝を叩きたくなる‼️
話はSP盤である。
本回、ご紹介するのはテディ・バンというギタリスト。ブルース方面で語られる人だがジャズ界隈でもデューク・エリントンのバンドで1929年にレコード盤で共演している。エリントンという人はギターが好きだったらしく、1945年には欧州からわざわざジャンゴ・ラインハルトをアメリカに呼び寄せて共演したりしている。そのとき、エリントンは自らジャンゴを高級ホテルを予約までして歓待したのに、ジャンゴは元々ベルギーのジプシー流民の子だったせいか長年幌馬車生活が板に付いていたので、野宿が当たり前だったせいもあり、あろうことかそのホテルの中庭で野宿してしまう。が、エリントンはそんなところまでを含めてジャンゴを愛し、ジャンゴの爪弾くギターに酔ったのだろう。この話を初めて聴いたとき、私は黒澤明監督の映画『デルス・ウザーラ』を思い出さずには居られなかった。野人デルスの自然と対話しながら送る生活が地図作成のためのロシア軍隊の隊長との邂逅で、仕事を成功裡に終わらせる。その隊長が二度に渡るデルスとの地図探索行軍にすっかり人間関係を濃厚にさせて、最終的に街に帰還した時にデルスを呼び寄せ自宅に一緒に住まわせるのだが、その果てに起きた悲劇によりあっさりデルスは死んで仕舞う、というスケールの大きなミラクル・ヒューマンなお話であった。
ジャズはブルーズから派生した音楽だったが、華やかでスタイリッシュな音楽のジャズと土臭いブルーズは似て非なるものであり、100年以上に渡り共存してきたが、どこまで行ってもジャズはジャズ、ブルーズはブルーズである。人間関係も
又同じで、どんなに仲が良くても友達同士で終わらせておけば良いものを、合体しようとすると破綻するのである。
中々、ギタージャズの話にならない😭💦
私は最初エディ・ラングというギタリストから入った。私の好きだったコルネット奏者にして白人トランペッターの嚆矢として名高いビックス・バイダーベックのある所に必ずギタリストとしてラングがいた。そんなところから興味を持ち調べていったら、同時代のジャズギタリストであるディック・マクドノウやカール・クレスという人達に派生していきやがてジャンゴを知った。そして天才チャーリー・クリスチャンが出現してチャック・ウェイン、ナット"キング"コールトリオのギタリスト、オスカー・ムーア、その後任のアーヴィング・アッシュビー、そしてレスター・ヤングの最初の相棒だったジョン・コリンズ。
ビバップ以降はビリー・バウアー、バーニー・ケッセル、など名だたるギタリストは数多かれど、私は影に隠れてしまった人たちこそ好きである。スイング期からの名手ジョージ・ヴァン・エプスは7弦ギターを考案したし、彼にとってのアイドルはやはりエディ・ラングだった。かと思うと若き日にはリー・リトナーのレコードはよく買った。カウント・ベイシーの相棒フレディ・グリーン無くしてあのオールアメリカンリズムセクションは成り立たなかっただろうし、モダン期になってからの人ならグラント・グリーンが良く、意識してブルーノート盤を買い漁ったものだ。ビバップ期ならディジー・ガレスピーのオリジナル盤として名高いビクター盤にギタリストで入っていたビル・デ・アランゴの早弾きには度肝をぬかれた。その超絶技巧が忘れられずに暫くはアランゴのレコードばかり追い求めた時期もあった。勿論、ディキシーランド・ジャズのボス、エディ・コンドンのパルス信号にもヤラれた口である。
本回はそんな全てのギタージャズミュージシャンに捧げるテディ・バンのギターテクにヤラれちゃって頂きたい。



Guitar In High
ミチフミ龍之介
1946.1.11 ATOMIC A-226-A』
チャーリー・パーカーのことを紐解いていくと必ずこのミュージシャンに行き当たる。
ドドママ。
パーカーの最初の Dialセッションにドドママは呼ばれた。この日の録音にはジュリアード音楽院を卒業したばかりで、直前までロスアンジェルスでベニー・カーター楽団で吹いていたペッター、マイルス・デイビスも合流したが、彼はこの日一番トチったサイドマンだった、とロス・ラッセルは書いている。この日の演奏曲目♬ムース・ダ・ムーチ ♬チュニジアの夜 ♬オーニソロジー
♬ヤード・バード・サイト は Dialレコードの若いレコード番号でリリースされた。ロスはドドママに関してはこう詳述している。…ピアノからは快いコードやメロディが流れた。ドド・ママローザだ。がっしりとした短躯を彼はぴたりとピアノの前に据えていた。頭が大きくて、体が小さく見えるほどなので、それで彼はドドバードという綽名で呼ばれていた。彼はフィナーレ・クラブでバッハの二声のインヴェンションを猛烈な速さで弾いて鍛えたジャズ・ピアニストで、彼のピアノにはバッハの面影があった。… それだけメロディアスでリリカルなスタイルなタッチだったわけだが、僅かに残っている彼名義のリーダー録音はどれもライトなタッチで、耳触りが良い。キャリアから言っても、もっと多くの録音が残っていてもおかしくないのだが、1950年頃より"病気療養"に入ってしまう。これについて詳述された文章は見つからなかったが、私はクスリの影響ではないかと睨んでいる。何せあのパーカーと交わっていたのだから。1961年に『Do Do's Back』というアルバムで完全復活を遂げた。このアルバムでは往年のビバップマティズムのピアノタッチが炸裂していて、本当に病み上がりなの?と思わせる。別にドドママの事を知らない今の世代の方が聴いてもその精緻なタッチは一点の曇りはなく、正しくビバッパーのプレイを堪能できるであろう。しかし私のようなオールド信奉者にしたら初期の溌剌たるATOMICの傑作♬Mellow Mood なんぞが芳しい。この『Do Do's Back』のアルバムでも1961年段階での同曲をリバイバルプレイしていたのが涙ぐましい。それで本回はこの♬Mellow Mood のオリジナルが録音された日(1946.1.11)と同日録音から♬Do Do's Blues を紹介する。この日は計4曲吹き込まれ、ATOMICレーベルのA-225が先の盤でB面は♬ハウ・ハイ・ザ・ムーン A-226のA面がドドママが作曲した♬Do Do's Blues でB面はスタンダードの♬アイ・サレンダー・ディア であり、ドドママのp.トリオでb.には日本でも馴染み深いレイ・ブラウン、ds.はジャッキー・ミルスである。
それぞれのB面ではラッキー・トンプソンがts.で加わりクァルテット編成になっている。ドドママはトンプソンとも息が合ったらしく、この頃トンプソン名義の録音でp.を弾いているセッションもある。
さて、ドドママのドド、という名前は実はミドルネームであり、絶滅した鳥、ドードーの鼻に似ていたからだそう マダガスカル沖やモーリシャス島に生息していたドードーは翼が退化して飛ぶことが出来ずに絶滅していったそう 怪鳥といった風情ですがもこっとした鼻などなかなかユーモラスな姿である。1962年にテナーのジーン・アモンズとバトルを繰り広げた『Jug and Dodo』の2枚組アルバムのジャケットにはそのドードーのイラストが書き込まれている。確かに鼻が特徴的な容姿であり、仲間内からそう付けられたのかは不明だが、ジャズミュージシャンは矢鱈と鳥の名前が多い。ゲーリー・ピーコック然り、古いシカゴ派のクラリネット奏者のピーウィー・ラッセルに至っては鳥の鳴き声である"ピーウィー"を名前にするという人まで。考えてみればチャーリー・パーカーも"バード"という異名を付けていたっけ。最もパーカーの場合は、鳥=飛ぶ=クスリでぶっ飛ぶ!という隠語から"バード"となったらしいのでその命名精神には深い訳があるのである。
ドドママ序でに話はSP盤から少し離れるが、幾つかのパーカーセッションを経てロス・ラッセルがドドママのピアノトリオに録音の機会を与えて Dialレコードから当時は珍しかったVINYNALでのアルバム『PIANO DODOS』をリリースしたことも特筆に値する。初期のヴィニル盤というのは多少、SP盤素材のシェラックも混ざっていたのか?と思わせる硬質ヴィニル盤であった。10年以上前は行きつけの中古レコ屋さんにはこうした貴重な盤が毎週のように入れ替わり立ち替わり、壁面を飾っていたものだった。懐かしい。
続





Dodo's Blues (01 - 11 - 46)
ミチフミ龍之介
CHARLIE PARKER QUARTET
2-19-'47 DIAL RECORDS 1014-A
☆『御茶ノ水のNさんのお店とパーカー盤』
以前、東京・水道橋の『ROOT』に通っていた話を書いた。そんな中、Nさんが新しく中古盤屋を隣りの御茶ノ水駅前に出店するので、宜しく、と『ROOT』のOさんへ挨拶に来た。私もその時、たまたま居合わせたのでペコリンと頭を下げた。狭い業界のこと、それにNさんも元々都内の名のある中古盤屋の店員だったことから、同業者への最低限の挨拶は必須と、思っていたのだろう。Nさんは元の中古盤屋を辞した後はサラリーマンをしていたというが、この方のオーディオ知識は後から知って驚くほどだった。だから、オーディオメーカーかなんかにいたんかなぁ、と思ったのだ。
御茶ノ水駅を出てクロサワ楽器のある紅梅通りをディスクユニオンが入っている(現在は分からない)サンクレール方面へ行くとすぐ左側のビル地下にNさんの出店した『Bird Nest』はあった。この名前は当時私が覚え立てのチャーリー・パーカーのDIALレーベルの名盤のタイトルだったので、直ぐにピンと来てマスターはパーカー好きなんだな。とニンマリしたものだった。店のドアを開けてもNさんは何も言わない。いらっしゃいませ…くらいは…などと思ったが、それはその店に通い詰めるようになってから判った事だが、地下で防音設計だったのだろう。Nさんは自慢の外国製プレイヤーでレコードを掛ける時は兎に角爆音で掛けていた。だから…いらっしゃいと言ったところで、どうせ聞こえない、これがNさんの流儀だった。水道橋の『ROOT』のOさんは基本、店内に客が居なけりゃ何も掛けない。客が来ると何かを流す。これがOさん流だった。Nさんは客が居る居ないに関係なく爆音🤣しかも、ただでさえ低い声なのに爆音で掛けてても普段の声量で話すから、何を喋っているのか皆目見当がつかない。そんな時はお愛想笑いで誤魔化して踵を返して餌箱にありつくのが関の山だった。
それにしてもOさんの店と差したる違いは、一見するとないのだが同じジャズ系中古盤屋でもそのラインナップはこうも違うか?と思うほど相違していた。Oさんとこは、やはりヴォーカルに強かった。そしてモダンもそれなりだったがSP盤はトラッド・モダンが半々くらい。対するNさんとこは、トラッドやフォービートでも良いものは積極的に揃えていた。SP盤の揃えは似たり寄ったりだった。私は圧倒的にトラッド派だったからその内、Oさんのとこではなるべくモダンを買おう、NさんとことTONYさんのとこではトラッド、という感じで店ごとに狙いを付けて行っていた。まぁ、行ってる頻度的にはOさんとこが多かったからOさんとこに注ぎ込んだ金額が一番高いとは思うが。
Nさんのとこで買った一番の収穫はノーマン・グランツがスーパーヴァイズをした『 jazz scene』のオリジナルSPアルバムであろう。
当時こうした試みは他になく画期的で、5千セット限定で1セットづつには個別番号がグランツの手書きで書かれていた。私は3000番台だった。SP盤12インチ6枚組だったが、かなり上質のSP盤で、質感はヴァイナルと殆ど区別がつかないくらい美麗盤だった。かなり高価だったがSP盤道を極めていた頃だったから、後悔はしていない。『JAZZ SCENE』に関しては又、別稿で詳細を書こう。
その店名に抗わず、Nさんの店にはパーカーモノのオリジナル盤が神々しく店内の壁を飾っていたが、私の関心を引いたのはSAVOYのオリジナル盤であった。時にはパーカーの最も充実していた時期のVerve盤も結構見掛けた。
『bird and Diz』『Fiesta』『With Strings』の2枚などジャケを観ただけで拝みたくなるものが、ちょいちょいと壁を飾りそれは壮観であった。
DIALのオリジナル盤はOさんとこで粗方集めてしまっていたからやはり、その同時期に録音されたもうひとつの名盤シリーズSAVOY盤にも必然的に関心が向くのである。しかし、そういうタイミングの時に限ってOさんのとこでSAVOY時代の集大成『On SAVOY』と『On DIAL』が全セット、確か両方ともVol.7か8くらいはあっただろうか?それがコンプリートされたLPセットが¥5,000ずつで売られており、私はそちらを買って安寧してしまった覚えがある。1枚¥1,000もしない大バーゲン盤だ。だからSAVOY盤はそちらの復刻LPセットで妥協してしまったのである。結局SAVOY盤のオリジナルで手に入れたのは♬Now The Time のみである。SAVOY盤時代を通して歴史に残る名盤と言われているものの1曲となると♬Ko Ko なのだろうが、私は寛ぎに充ちたナウ・ダ・タイム が好きだったからである。
さて、標題曲♬Bird's Nest だが、以前同日録音された♬Dark Shadows の項で詳細は述べたが一応そのパーソネルを再掲しておく。
Alto Saxophone – Charlie Parker
Bass – Red Callender
Drums – Doc West
Piano – Erroll Garner
Supervised By – Ross Russel
ここにはフォービート系のドク・ウェストやレッド・カレンダーがリズムセクションとして起用されているので、純粋な意味でのハードバップとはならないのかもしれないが、ドラマーのウェストはフォービート派だったがミントンズハウス時代から草創期のバップを牽引していたこともあり、バップのリズムは完全にものしている。ピアノのガーナーも一般的にはビヨンドザ・ビートの名手のイメージだが、この時期の一連のパーカーとのセッションではバップの不規則なビートによく乗っている。後の大物たちのバップテストな一面を覗かせる非常に貴重な録音であると思う。
続









Bird's Nest
ハシオキ龍之介
1934年にデューク・エリントンによって書かれた。私がここに寄稿したのは参加時に投稿した
"1001"のBox Setの件のみだったから、折角なのでそこに所収されていた楽曲をと思いこの曲を紹介しよう。
中森明菜の『ひとりぼっち』もいいけれど、これと同名異曲なのは押して知るべし🤝。
デューク・エリントンの自作自演盤は勿論申し分無いけれど、こちらはビリーエクスタインの肺活量にモノを言わせた筋肉ᕙ( 'ω' )ᕗ質なヴォーカル💪( ¨̮💪)で押しまくる。地味だが、この1945、か46年録音のビリーのバッキングもデューク・エリントン楽団だと聞いた。本当にいい盤はこうして気をてらった所がない、器楽的に何一つ工夫が無くとも曲の良さとヴォーカリストの圧倒的な個性で成立する世界なのだ、と言わんばかりのレコードである。
ひとりぼっちは淋しい、詫びしい。。。
孤独なわたしのなかで
あなたがずっと消えてくれない
二度と戻らない夢の日々もね
孤独なわたしのなかで、
あなたは「ほらね」と言う
永遠に残り続けるであろう記憶もね
私は椅子に座って
もう立ち上がれない気がして・・・
こんなにつらい人はいないよね
どこにいても憂鬱でさ
私は座って、ただ一点をじっと見てる
わかってるよ、このままおかしくなっちまう
孤独なわたしのなかで
私、ただ祈りに祈ってる
神様・・・
私は椅子に座って
抱えきれないほどの
絶望で立ち上がれない
こんなにもつらい人なんて他にいる?
どこにいても真っ暗な気分でさ
私は座って、まだそこをじっと見つめてる
そう、きっとこのまま気が狂っちまう
訳詞: mycozylifetime
孤独は人を強くさせる。だが、その先に見えるものはただ絶望だけだ。短い人の一生のうちで孤独に浸ることも大事だが、時に人はその中(うち)に人の温もりを欲する。
やさしき伴侶は人生を豊穣にする。
やさしき伴侶を伴っても人はそこに孤独を求むるだろう。
なぜなら人は孤独だからだ。孤独が人間本来のありのままの姿だからだ。
絶対的な孤独だから人は伴侶や親族を形成するのである。
つまるところ、家族や家庭とは孤独と孤独の集合体に過ぎないのである。



Solitude
ミチフミ龍之介
(p,vca)』
1944年10月20日N.Y.C レコーディングされた盤をご紹介します( . .)"
日本語読みだと"ユーナ・メイ・カーライスル"と読むんだそう。な~んも知らん英語音痴のあたしゃずーっと"ウナ・マエ・カーライスル"と言ってました💦
英語音痴だけど、この方の発音には南部訛りが聴き取れるのは分かりました(`・ω・´)ゞ敬礼っ
数々のブロガーさんらがアメリカでもマイナーな存在のカーライスル嬢を紹介されていて、その幾つかは読みましたが、南部訛りはない!と書かれている御仁も居られましたが、日本人でも
判る単純な単語の発音すら怪しく聴こえるので多分そうなんだろうと察します🤔ジャズでは先輩格に当たるトロンボーン二スト兼ヴォーカリストだったジャック・T・ガーデンもインディアン系南部人で南部訛りが酷かったから、同じインディアン民族の末裔のカーライスルのヴォーカルにも訛りが確認出来るのは必然であります。
ストライド・ピアノの名手にして作曲家、ヴォーカリストにして黒人エンタテナーだったトーマス・"ファッツ"・ウァーラーがシンシナティに巡業した際に見付けた逸材だったと言います。その時彼女は未だ14歳だったと云うことです。
彼女はピアノ🎹🎵を弾き語りするスタイルでそれはYouTubeで今、かなりな数の映像を確認することが出来ますし、実際のレコードでのセッションでもその殆どでピアノとヴォーカルを受け持っているのがディスコグラフで確認することが出来ます。私が参考にしているディスコグラフィーは1942年までの『JAZZ RECORDS』と1942年以降のイエプセンの『JAZZ RECORDS』です。
今回はAppleのサブスクにこの曲がアップされていたので貼り付けましたが、そこではなんと!
1944.5.23のRECORDINGとなっておりました。
イエプセンのディスコグラフィーでも確かに同日にカーライスルはレコーディングしているのですが、別曲ばかりであるとの事。どっちを信用したらしいい?……。
云える事は、明らかにイエプセンの方が編纂されたのが早いと云う事。昔、神田・神保町の中古レコードショップ"TONY RECORDS"の西島経夫さんは「ディスコグラフィーは後から編纂した者勝ち❣️」と明言されておりました。但し、それは正しい研究成果の成せる技だが、100%鵜呑みには出来ないとのお言葉を遺されておりました。
サブスクの方はカーライスルの1941-1944のレコードをまとめたクロノジカルCDの情報が元になっているようだから、情報源はアップされているパッケージの盤なのであろう。かなり信ぴょう性は高い。それにイエプセンの情報ではこの盤は当時のマイナーレーベルBeacon盤の7173というマイナーレーベルからしか出ていない事になってはいるが、私が所持しているのは写真のとおり
JOE DAVIS盤の7173であります。こうした実物や凡ゆる情報源から鑑みますると、どうやらイエプセンの方は眉唾( 'ω')?と認めざるを得ないように思えてくるのは必然的である。Beacon盤の方の写真は1枚目にアップされているようなレーベルなのでそちらは参考までに挙げてみましたよ。詳細は不明ですが、この双方のレーベルは多分同じ社がリリースしたモノではないかいな?1940年代頃からマイナーレーベルは一種の流行りになりつつあったようで、レーベルを立ち上げてはすぐに廃盤になっている状況が続いておりました。パーカーやガレスピーの初期のレーベルもおびただしいマイナーレーベルが繰り返し勃興し、中には同じ曲が違うレーベルからリリースされた例がある位だから、その見分けをするのにはレコード・コレクターとして、かなりの練度が試されるのであります。カーライスルは1941年には後の巨匠レスターヤングとの共演盤がレコード2枚分、計4曲リリースされている。レスターがカウントベイシー楽団から独立してすぐの頃だからこうした盤が残せたのであろうと思われます。又、カーライスルの師匠であるファッツウァーラーとも得意曲♫捧ぐるは愛のみ をレコーディングしている。探せば探すほど、深い味わいのある盤ばかりのカーライスルですが、私の保有している密かな彼女の名盤は戦後の放送用ビニライト盤10インチレコード(無論、78RPM)で陽気なディキシーランドジャズを歌っているものがあるのだが、それは又、別の機会にご紹介したいと思う。
最後はそんな彼女のクロノジカルCDだが、Amazonで売られていたが、現在は在庫切れになっているものだ。これを私はある日の神田神保町にあったアディロンダック(現在は別地でカフェレストランとして営業中)で購入した。日本は有数のジャズレコード先進国らしい。こうした本国アメリカでは過小評価されているミュージシャンをブログやYouTubeでバンバン挙げられ、オリジナル盤や輸入盤が売れているくらいだから新しいジャズが育つ環境ではないかも分からないが、古き良きモノが見直される点では日本はかなり恵まれた環境にあると言って良いのではないでしょうか。




I Speak So Much About You (05-23-44)
ミチフミ龍之介
DANCE ORCHESTRA』 Colombia M23
本回ご紹介するSP盤は、戦前の昭和14~15年に掛けて頻繁にリリースされたVIC. MAXWELL and HIS DANCE ORCHESTRAの最も代表的なレコード♫LOVE'S GONE 夢去りぬ である。
戦前のタンゴファンからは、特に愛された楽団だったが、このヴィック・マクスウェル楽団こそいかにも欧州のドイツかフランス辺りに居そうな名前だし、コロムビアはこれを完全に洋盤として売り出したから、ユーザーも騙された。
これらヴィックマクスウェルのレコードの実態はコロムビア専属の楽団である。つまり同時期に数多の流行歌を伴奏していたレギュラーメンバーたちである。ここにも服部良一が一枚噛んでいて、代表曲の♫夢去りぬ は戦後の昭和23年には霧島昇が唄ってヒットした。このとき作曲者が服部良一名義になっており、戦前からのタンゴファンは…服部が戦前の♫LOVE'S GONE を盗作した!と色めき立った。しかしこれはコロムビアレコードが会社ぐるみで企画した洋盤であり、服部には何の罪も無かった。ましてや、レーベルをよく見れば作曲者のクレジットにHatterと記載されている。これは服部が洒落で思い付いたもので正式名称はR.Hatter……つまりリョウイチ・ハットリである。
そんなこととは露知らず戦前からの洋楽ファンはこのヴィックマクスウェル楽団は欧州か南米辺りのコンチネンタル・タンゴの楽団と完全に思い込んでいたのだ。それだけ当時のコロムビア楽団のグレードが高かった、ということに他ならない証左でもあった。服部はこのヴィックマクスウェル楽団の企画に数曲提供していて、もう1つの傑作♫I'lk Be Waiting 待ち侘びて は戦後の昭和22年に二葉あき子で大ヒットした♫夜のプラットフォーム である。これにも或る秘話が残されている。この楽曲、実は昭和14年に淡谷のり子の歌でレコーディングされてリリース予定だった。しかし内務省の検閲で歌詞に出征兵士に対して再会の望みを抱くとは言語道断!と発売禁止の憂き目に遭う。
♫……さよなら さよなら 君いつ帰る
という歌詞の部分が問題視されたものと思料するが、3番まである歌詞の各番の最後に必ずこのフレーズが来ている。そこまで強調してしまったがゆえに悪目立ちしてしまったのではないだろうか?
その発禁処分に対して憤った服部の責めて洋盤としてリリースしたい……という切なる思いも相俟ってこの楽曲は蘇ったのであった。
戦前の検閲制度に対する服部の執念とも云える傑作である。それだけこの楽曲はクリエイター自身も胸を張るほどの傑作曲であることは間違いない。



夢去りぬ

33回転‥…針と溝
#今日の1枚

So Nice and Kind
ミチフミ龍之介
ビリーホリデイは現在のSP盤市場でも比較的高値で取引されているらしい。もし、あなたがビリーホリデイとチャーリーパーカーをSP盤で探すとしたら、他のミュージシャンやシンガー達と比べて割高なのに驚くはずだ。それくらい、この両名のオリジナル盤は人気があるということなのであろう。
昔、東京・水道橋の中古レコ屋だった今は無き『ROOT』でこのオリジナル盤を見付けた時は小躍りして喜んだものだった。しかし、家に帰って自宅のステレオで聴いて愕然としてしまった。それは所謂、プレスミスの盤だったからだ。マスターも別に悪気があった訳ではないし、道理で価格が盤質の割には¥4,000だったので安いと思った。その店は試聴も伸び伸びとさせてくれる店だったから或いはマスターから前置きの説明もあったかも知れなかったかも?だが、その時聴いた音に十分満足して買ったハズだった。さすがはMacintoshのアンプにJBLのスピーカーで大音量で聴かせて頂いただけのことはある。私はこの盤を予めラジオで知っていて、…いい曲だなぁ、と思っていたのだ。大橋巨泉の番組で掛かっていたのも大橋氏の手持ちのオリジナル盤だったのだろう。
番組はTBSラジオでAM中波できいたから、尚のことオリジナル盤の素晴らしーい音質に畏れ入ったものだった。だから、尚のこと、このオリジナル盤のプレスミスが歯がゆかった💦
ビリーはそれまでブラウンズウィックやOKEHレーベルで名盤を数多残してきたし、このデッカという新興レーベルに移籍して心機一転やり直す覚悟だった。編曲にストリングスが入る、と聴いて彼女は喜んだ。というのもデビューしてもう10年になんなんとする彼女は未だにストリングスアレンジで唄ったことがなかったからだ。そして、レコーディング前のリハーサルでストリングスが奏でられると、彼女はもう溢れ出くる涙を抑える事が出来なかったという。ただでさえ情感溢れる歌詞なのにそれにストリングスが付くというだけで彼女は感激してしまったのだ。マルチレコーディングを経て今では簡単に宅録なんぞが出来てしまう現代からすると、ちょっとこの感覚は理解し難いかも知れない。広いレコーディングスタジオにヴォーカリストも伴奏者も一斉に音を出して一発録りする、古(いにしえ)の時代のお話である。
ところで、今持っているこのオリジナル盤は大阪に越してきて暫くして大阪唯一のSP盤を扱う中古レコ屋『ストレイトレコード』で改めて買い直したモノである。しっかり試聴もさせていただきキッチリ音が出ていることを確認して買ったから間違いない‼️
因みに、このレコードの売値は¥5,000であった。


Lover Man
ミチフミ龍之介
かなり強引でしたが、意のある方々にお声掛けさせて頂き、快くメンバーになって頂きました🙇♂️
奮って投稿して参りますので今後ともよろしくお願いいたします(*´︶`*)♥️

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