共感で繋がるSNS

関連惑星

人気

関連検索ワード

新着

けいさー慶佐ー

けいさー慶佐ー

要するに、
同じ人間という生き物だと思ってりゃ、
不要なそんな日常生活に棲む、
差別も亡くなるんだよ。

あの人は、あの人だなぁー。
で、済むんだよ。

象と鼠は、違う種族でも、
同じ心拍数で、死ぬとかどっかで見たよ。

俺が言いたいのは、
そういう事で、
当然だと思う事も必要だけど、
当然の事を当然だと思いつつも、
有り難てぇな!って、
そう思うのは、意志力であって、
そうするのは、自分の恵まれる環境に、
祈りを捧げるような事なんだよ。

まあー、要するに、幸福への自助努力なんだよ。
それは。

別に、あなたが!どれだけ、人と自分を悪い意味で比べても、
私には関係がないが、

同じ人間ならば、幸福になりたいのは、
みーーーんな、同じだろ?

なら、こういう考え方をしたら、
特別感に惑うこともなく、
この普通の様な日常を、
感謝する事で、
その間は、心が温まるし、
平穏無事に、幸福は、
普通の暮らしに流れてるんだよって、

わざわざ、ハワイに行かなくても、
家があるだけ、外に放り出されて、
暮らす必要がないだけ、

それは、普通で当然で良いんだけど、
そんな事に感謝する心を育てるのは、

自分の幸福が、
恵まれてると想う気持ちこそ、
どこへ、いかなくても、
何が少なくても、
まあー、恵まれてるよな!
って、幸福は、探さなくても、
この心の中にも、暮らしの中にも、
いつも、気づけば、有り難てぇ!って所に、
在るんだよ!

別に、なりたい自分なんかならなくても、
このままの自分の暮らしを、
自分自身で、祝福する様な、
そういう所に、
タバコばっかり吸ってるおっさんとしては、
お説教だけど、
お釈迦様にも、説教するような僕としては、
そう、伝えたいと思って、

自分自身の戒めだよ。

別に、あなたは、あなたのままで、
別に、こんな自助努力に頼らなくても、
やっていくわ!と思うなら、

思う様に生きるのが、人生だから、
構わないけども、

おっさんは、同じ構造の人間だもの、

好きな物食えば、誰だって、嬉しいけどさ、
毎日食ってたら、飽きるんだよ。

だけど、そんなギャップなんか、
早々無いんだよ、人生は。

すぐに慣れるさ。
どんな豪邸で、金を風呂にどれだけ入れても、
残るのは、虚しさだと思うよ。

大切なのは、孤独の存在なのは、
みーーんな、同じだからこそ、
集まって、他愛ない話をしてたりできるのは、
そもそも、先人たちのお陰だったりするんだから、
どんな物にも、歴史があって、
人類は、愛を紡いで、欲望とともに生きていたけれど、
気持ちなんかじゃなくて、
物質的には、そこそこでも、
心の中で、ちゃんと繋がってる事なんだよ。

キッパリと1人の人間は、皆のうちの一員であって、
そして、皆と同じでありつつも、
完全に独りで生きるし、
(それができねぇ馬鹿は、嘘ばかりで付き合うけども)
独りの存在なのは、皆同じなんだからさ、
せめて、礼儀とか、
どんな立場を超えても、同じ人間でしょう?って、わかってねぇ〜奴らばかりだけどさ、

そこん所こそ、
後から来る人間なら、先に往く俺としては、許そうと思うんだよ。

生きてきて、人間できてねぇ〜奴らばかり見てきたよ。

人間というか、畜生みたいなのばかりだったよ。

常識とか、形ばかりの挨拶なんか、覚えるぐらいなら、
下手くそでいいから、仲間なんか要らなくても、どっちでもいいから、

せめてもの、礼儀を覚えたらいいんじゃないの?
って、損得ばかり気にする連中には、
でもまあ、
色々な人がいるお陰で、
人類は成り立ってるからね、
そこにも、ただの多様性があるだけで、
上下関係なんか、何一つもねえーって、
それも、わからないお馬鹿さん、ばかりだねぇー。

寄って、
纏めると、ボヤける場所があったらいいんではないかい?
が、解答ということになるwwwww

GRAVITY1
GRAVITY
けいさー慶佐ー

けいさー慶佐ー

後から来る人を、軽んじるな。
来た道だ。

先に往く人を、別の人だと思うな。
行く道だ。

同じ人だと、
立場も、性差も、
勿論、何もかも違っている。

だけど、
同じ人間という生き物だと知っておけばいい。

親だからとか、
才能があるからだとか、
別の人だと、してもだよ?
それはそうさ、
同じ人間という生き物であっても、
全然中身の種は違うんだ。

その違いは、むしろ、
当然だ。

現実は、そもそもスタートラインも、
何もかも違っている。

一生、不遇の病気で、
病院で苦しんでる人々もいるし、

病院なんか、受けられない貧困層だっているし、

産まれて間もなく、死ぬ運命の子供だって居る。

だけど、
恵まれてるばかり見ても、
可哀想な人ばかりを見ても、
それでも、同じ立場にはなれなくても、
同じ人間なんか、この地球上に、
何処にもいないからこその多様性なんだよ。

頭の知性も、身体の能力も、
できることも、できないことも、
皆違ってはいるけれど、

それでも、
人の一生は、
同じ様なコミュニティに属して、
同じ様な人間に出会い、
助けられたり、助けたりもするんだよ。

同じ人間という生き物だという事を忘れた人間は、
まともじゃなくなるんだよ。

まあー、此の世が動物園だと思えばいい。
全然、まるっきり違う象や鼠も、
同じ生き物だよ、動物の範疇だと思えばいい。

それを、努々忘れるなかれ。
GRAVITY
GRAVITY
"信者"三点倒立

"信者"三点倒立

喉が浄土に召されました😊
GRAVITY
GRAVITY4
臼井優

臼井優

「お坊さんは世襲である」というイメージは、日本の寺院の大部分が「寺族(住職の家族)」によって運営され、住職の地位が子供に受け継がれるケースが多いことから生じる思い込み(あるいは実態)です。

しかし、全ての僧侶が世襲によって誕生しているわけではありません。この実態と背景について、以下の通りまとめました。

1. 世襲が多い理由:寺院の「経営」と「継承」
お寺は宗教施設であると同時に、財産を保有する宗教法人です。その存続のために世襲が好まれる背景があります。

安定した管理: 家族が住職を継ぐことで、長期的な寺院の管理と維持が安定します。

檀家・歴史の継承: 檀家(信徒)との関係性や、お寺の長い歴史を守るために跡継ぎが必要とされます。

生活の基盤: お寺の敷地内に家族が住み、子供が自然とその役割を継ぐことが多いです。

2. 世襲の割合と現状
地域による違い: 特に地方では、世襲による寺院継承が強い傾向があります。

宗派の傾向: 浄土真宗は本山が世襲制をとっており、一般寺院もその傾向が強いです。

意外なデータ: 調査によると、特定の地域や宗派によっては、後継者がいる割合が50〜60%程度(日蓮宗約55%、浄土宗約52%)というデータもあり、裏を返せば約半数は世襲ではない可能性があります。

3. 「思い込み」ではない部分と「実態」
世襲=無資格ではない: 世襲で住職になった場合でも、修行を積んで宗派の資格を得る必要があります。

世襲ではない僧侶: サラリーマンをしてから仏門に入った方や、大学の仏教学部を出て修行した方も多くいます。

後継者不足: 少子化や過疎化により、世襲したくてもできない、あるいは継ぐ子供がいないお寺が増えており、今後は世襲制度が維持できなくなる寺院も増えると予想されます。

4. まとめ
「お坊さんは世襲である」というのは、「住職の継承」においては世襲が主流ですが、「僧侶になること」が世襲のみに制限されているわけではない、というのが正確な実態です。

お寺の存続という側面において、家業のように受け継がれてきた歴史的な背景があるため、そのイメージが強いのです。
GRAVITY
GRAVITY3
臼井優

臼井優

「八十億劫(はちじゅうおくこう)の罪が消える」とは、『観無量寿経(かんむりょうじゅきょう)』に説かれる、南無阿弥陀仏の念仏の功徳を示す言葉です。
 命終(死ぬ時)に一心に念仏を称えれば、八十億劫という遥か長い迷いの期間に積み重ねた重い罪(十悪・五逆罪)が消滅し、極楽浄土へ往生できるという阿弥陀仏の救いを意味します。

この言葉に関する詳細は以下の通りです。
意味と由来: 十悪(心身の悪い行為)や五逆(親殺しなど重い罪)の罪人が、死に際して初めて「南無阿弥陀仏」と称えるだけでも、その一念で八十億劫の重罪が滅する、と教えられています。
GRAVITY
GRAVITY2
臼井優

臼井優

念仏を唱えても助からない、という疑問は、仏教、特に浄土系(浄土宗・浄土真宗など)の教えの核心に触れる重要な視点です。

「念仏=願いを叶えるための修行」として捉えるなら、その通り「唱えただけで助かる(願いが叶う)はずがない」と言えます。しかし、浄土教では全く別の視点から念仏が捉えられています。

主に以下のような意味合いがあります。
1. 「助かる」の定義が異なる
浄土教における「救い(救済)」は、現世の病気が治る、宝くじが当たる、困難が去るという「現世利益」ではありません。死後に極楽浄土へ生まれ、仏となる(往生・成仏)ことを指します。

2. 自力ではなく「他力」
「念仏を唱える」という行為は、自分の努力で天国に行こうとする「自力」ではありません。それは、阿弥陀如来が「あらゆる人々を救う」という約束(本願)を信じ、その働きに任せる「他力」の教えです。

3. 念仏は「感謝の言葉」
浄土真宗では、念仏(南無阿弥陀仏)は救いを求める呪文ではなく、救われていることに気づいた人が、その感謝を伝える言葉(報謝)として唱えるものとされています。

「私の努力で助かる」のではなく「阿弥陀如来の力によって、すでに救われている」という安心感が根本にあります。

4. 確固たる信念への問いかけ
「念仏くらいで助かるはずがない」という疑念や、自分の知識・力を信じ切る傲慢さを、仏教では「自力の心」と呼びます。そのような心を抱えたままの人間を、そのまま救うのが阿弥陀の慈悲である、と説くのが特徴です。

念仏は、自分の力で人生をコントロールしようとする執着から解放され、「そのままで良い」という安らぎの中で生きるためのものとされています。
GRAVITY
GRAVITY2
臼井優

臼井優

『歎異抄』の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」とは

「善人でさえ極楽浄土に往生できるのだから、まして(救いを求める)悪人は言うまでもなく往生できる」という意味ですが

さらに意訳すると
元々人間は良い行いも悪い行いもする、なのに
それを自分は善人だと思い込んでいる者が
助かるのなら、自分は全くの悪人だ、と自覚
している人間の方がなお助かる
という感じです

私には悪人正機説の何が難しいのか
さっぱり分からない
GRAVITY
GRAVITY1
臼井優

臼井優

『歎異抄』の「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」とは、「善人でさえ極楽浄土に往生できるのだから、
 まして(救いを求める)悪人は言うまでもなく往生できる」という意味で、悪人正機説(あくにんしょうきせつ)を説く親鸞聖人の最も有名な言葉です。
 これは、自力で善行を積む人(善人)よりも、煩悩に苦しみながらも他力(阿弥陀仏の本願)にすがるしかない人(悪人)こそが、真に救われるべき対象であるという、浄土真宗の核心を示す逆説的な教えです。

言葉の解説
「善人なおもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」(『歎異抄』第三条冒頭)
現代語訳: 善人でさえ往生できるのだから、まして悪人は言うまでもない。

「善人」とは: 仏の教えに従い、善行を積むことができる人を指す。

「悪人」とは: 罪悪にまみれ、煩悩から離れられない自分を自覚し、他力にすがるしかない人を指す(単なる犯罪者ではない)。

「いわんや」: 「ましてや」「言うまでもなく」という意味。

この言葉が示すこと(悪人正機説)
阿弥陀仏の本願の対象: 阿弥陀仏の本願は、自力で救いを求める善人を対象とするのではなく、自力では救われようのない「悪人(凡夫)」を救うために立てられた。

自力と他力の対比: 善人は自力(自分の力)で往生できると思いがちだが、真の救いは他力(阿弥陀仏の本願の力)による。自己の力を頼む心(自力心)がある限り、弥陀の本願には真に遇えない。
「悪人」の自覚: 自分の弱さや罪深さを深く自覚し、「これでは救われない」と絶望して、完全に他力にすがる人こそが、阿弥陀仏の救いを最も必要とし、真に救われる(往生の正因となる)。
「造悪無碍」ではない: この教えは「悪いことをしてもよい」という悪行の勧め(造悪無碍)ではない。むしろ、自らの悪さを深く知り、そこから抜け出せない苦悩を抱える人への呼びかけである。
この言葉は、人間のありのままの姿(煩悩具足の凡夫)を深く見つめ、自己の無力さを認め、阿弥陀仏の他力本願にすべてを委ねる(他力を頼む)ことこそが、浄土への道を開くという、浄土真宗の根幹をなす教えです。
GRAVITY
GRAVITY2
もっとみる

おすすめのクリエーター