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生涯独身予定の星
763人が搭乗中
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この星は、過去・現在・未来(予定)で独身の方の星となっております。
いろんな理由で独身の方がおられる方と思いますが、前向きに人生を歩めていく助けになればとこの星を作りました。
不快となるような投稿は禁止なので配慮願います。
自己肯定感爆愚の星
126人が搭乗中
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自己肯定感バグってるところがあったっていいじゃんっ!!バイブス上げてきなよ🫵
恋愛裁判の星
112人が搭乗中
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【恋愛裁判の星へようこそ!】
あなたの恋愛エピソード、ここで裁いてみませんか?
「リアルの恋愛でこんなことされたんだけど、これって絶対罪だよね?!💢」
「GRAVITYの中でこんな気になる相手がいるんだけど、私ってもしかして有罪…?💘」
恋愛に関するモヤモヤした出来事や、どうしても納得いかないあの事件、白黒つけたいあなたのエピソードを待っています!
さあ、この惑星であなたの『恋愛事件』を投稿して、みんなにジャッジしてもらおう。
罪あり?罪なし?それともあなたが有罪…?
惑星の投稿から話題になったエピソードは音声ルーム『ゲストが決める恋愛裁判』でリアルタイム裁判も開催予定!
あなたの一言が、新しい恋愛ルールを作るかも…!
※特定の人物の名前を出す行為や誹謗中傷につながる投稿はご遠慮ください。みんなが楽しく参加できる惑星を作りましょう。
魔法少女ノ魔女裁判の星
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魔法少女ノ魔女裁判が好きな人は是非
ゲームをやってる人も、ゲーム実況で見てる人も誰でもOKです。露骨なネタバレ投稿は✖です。
情緒不安定の星
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アヒャヒャヒャヒャヒャヒャヒャ
アニメ限定星
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コンパス固定の星
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コンパス固定で遊べる人が少ないので
シーズンやフリバトで固定してくれる
優しい人、文句言わずゆるーく
遊んでくれる人参加待ってます!
勝ち負け関係なく遊べる人増やしたいです!
今日の予定は?の星
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今日なにするよーー!!っていうただの報告ができる星です✩.*˚楽しみなことめんどくさい事、メモ代わりなんでも使ってね( ⁎ ˊ⩪ˋ⁎)⟄ ✏︎ᝰ
裁縫の星
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裁縫(刺繍や編み物など)の投稿をする惑星です
節度を持って惑星ライフを楽しく過ごそう!
☆惑星主が申請に気づきにくいので申請制から申請しなくてOKなスタイルに変更しました☆
自己肯定感上げる
35人が搭乗中
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自己肯定感上げる事を目標に
もう自己肯定感超高い人も大歓迎
誰でも入っておいで😚
みんなが自分のこと大好きになれますように🙏
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な
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サンサン生命☀️
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いつかまたどこかで

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雪かきすこっぷ
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重めのジョナサン
お笑いを語る芸人がいる。
理論を語り、構造を語り、賞や実績を背景に
笑いを説明する芸人たちだ。
実際、面白い。それに好き。
けれど、
腹を抱えて笑うことはほとんどない。
一方で、なかやまきんに君では腹を抱えて笑ってしまう。
彼はお笑いを語らない。
芸論も、評価も、説明もない。
あるのは芸だけだ。
この違いは、
技術や知性の差ではない。
姿勢の差だと思う。
人を笑かすという行為は、本来、
自分をすべての人の下に置く行為だ。
滑る可能性、
ダサく見える可能性、
理解されない可能性。
それらを毎回、引き受けること。
しかし、
ポジションが固まった芸人の中には、
下に行くことをやめてしまう人がいる。
賞や人気や影響力を担保にしながら、
お笑いの「場」そのものを語り、
その場を自分に有利な位置へと変えようとする。
それはどこか、
聞かれてもいないのに
ボクサーがPFP議論に
自分を入れる姿に似ている。
戦う側であるはずの人間が、
評価軸の側に立ってしまう瞬間だ。
この構図は、
お笑いに限らない。
ボクサーも、
絵描きも、
作家も、
音楽家も、
どの世界でも同じことが起きる。
やっている間だけ、
その人はそれでいられる。
人の作品について語り始めた瞬間、
その人はもう絵描きではない。
観る側へ、
語る側へ、
評価する側へと移動している。
語ること自体が悪いのではない。
問題なのは、
語る位置のまま、
行為者であろうとすることだ。
行為とポジションは両立しない。
描くことと、
評価することは、
同じ床には立てない。
芸人も同じだ。
ポジションが固まった瞬間、
芸人じゃなくなる人が出てくる。
それは才能を失ったからではない。
下に行く覚悟を手放したからだ。
本当に腹を抱えて笑ってしまう瞬間、
私たちは理論に反応しているのではない。
誰かが、
何も守らずに、
その場に身を差し出したことに
身体が反応している。
だから私は思う。
芸も、創作も、
人を本気で動かすのは、
評価の外に身を投げたときだけだ。
そしてこれは、
今ここで
このエッセイを書くという行為にも当てはまる。
私が思う私の姿勢は、
このエッセイを書くということについて、
評価や批判の位置に立たないということだ。
それは、
自分をどこか安全な場所に宙吊りにして、
他人や作品を裁断しない、
ということでもある。
私は、
上から測らない。
外側から整理しない。
正しさの席に座らない。
世界を切り分ける代わりに、
自分の姿勢へと回帰させる。
いま、
ここで、
書いているという事実へ。
そして最後に、
私は整体師だ。
人の身体を変化させる側にいる。
だが、
結果は受けている人に委ねている。
施術後に、
「あの人は反応が薄かったけど、
整体師の私から見れば、いい線いっていた」
そんな言葉を口にした瞬間、
それはもう整体師ではないと思っている。
それは専門性でも、
経験でもない。
ただ、
結果を自分の側で回収しようとする態度だ。
本人が納得していないという事実。
その事実そのものとして、
私は相手の身体と向き合う。
もちろん、
言葉を交わす。
感覚をすり合わせる。
どこがどう違ったのかを聞く。
だが、
そのコミュニケーションも含めて、
私の実力だと思っている。
相手の身体に起きたことは、
相手のものだ。
私はそれを裁定しない。
芸人がそうであるように。
描き手がそうであるように。
変化を起こす側は、
結果を管理しない。
評価や批判の位置に立った瞬間、
人は行為者ではなくなる。
だから私は、
このエッセイを書くことについても、
同じ姿勢を取る。
自分を宙吊りにして、
誰かを裁断することはしない。
評価の席にも、
正しさの席にも座らない。
ただ、
いまここで起きている行為へと、
自分の姿勢を回帰させる。
評価は、
あとから受け取ればいい。

夢見る機械の修理屋
#思考の聖域真理へ至る自己の連作

からくり
「正論を言って何が悪い」
そう言われることは多い。
たしかに、内容だけを見れば正しいことを言っている場合は多い。
ルール、効率、責任、あるべき姿。どれも間違ってはいない。
それでも、上司や先輩、親といった「上の立場」から下に向かって正論が投げられる瞬間、私は一つの判断基準に立ち返る。
その人は、
ミスを指摘するのが仕事だと思っているのか。
ミスをカバーするのが仕事だと思っているのか。
これだけで、大抵のことは分かる。
上の立場の仕事を「ミスを指摘すること」だと考えている人は、
起きた結果を事後的に裁く。
それは管理でも教育でもなく、検査や裁定に近い。
一方で、
「ミスをカバーすること」だと考えている人は、
ミスが起きること自体を前提にしている。
どう吸収するか、どう致命傷にしないか、どう次に反映させるか。
仕事の重心が、設計と運用に置かれている。
この差は、能力以前に役割認識の差だ。
本来、上の立場の仕事は正論を言うことではない。
期待値を事前に共有し、判断基準を揃え、途中でズレを観測し、失敗しても回収できる構造を用意することだ。
これができていれば、部下や後輩は自分で考え、自分で修正する。
正論をぶつける必要そのものが、ほとんど生じない。
それでも正論を言う場面が発生しているなら、
どこかで設計か観測か修正が止まっている。
つまり、上の仕事が未完のまま残っている。
にもかかわらず、その未完を検証する代わりに、
「正しいことを言う」という行為で場を締める。
この瞬間、正論は問題解決ではなく、自己防衛の言葉に変わる。
正論を言った側は、無意識にこう処理してしまう。
自分は分かっている側だ。
相手は分かっていない側だ。
だから責任は自分にない。
だがこれは、かなり残酷な自己暴露でもある。
正論を言わなければならない状況を作ったのが自分だ、
という事実に気づいていないからだ。
ーーーーー
ルール、モラル、こだわり、優しさ。
これらを整理できていない人は、指摘する上司になりやすい。
何を優先し、何を後回しにするかが曖昧なまま、
「正しさ」だけが先に出てしまう。
そしてこのタイプは、往々にして
『指摘することが教育だ』と勘違いをしている。
ハラスメント問題の多くは、ここに根がある。
教育指導を、関係性も前提も共有しないまま行っているのだ。
善意で動いた結果に対して、
「それは違う」とだけ返す。
教えられていないことを、教えられていないまま責める。
もちろん、そこに明確な危険行動が含まれているなら話は別だ。
しかし、こだわりや顧客への配慮に対して同じ注意を向けるなら、
それは教育ではない。
少し例を挙げよう。
車の整備士が、
フロントガラスのわずかな曇りを消すことと、
ブレーキやエンジンの整備を、
同じ注意レベルで扱うだろうか。
命に関わる部分は、最優先で守られるべきだ。
「顧客のために綺麗にするべきだ」という正論があったとしても、
事故を防げなければ意味はない。
ーーーーー
しかもこの振る舞いは、個人の資質というより構造に守られている。
多くの組織では、設計や観測は評価されにくい。
育成の成否は数値化しづらい。
一方で、
「注意した」「指導した」「正しいことを言った」という事実は簡単に残る。
だから正論は、
最もコストが低く、最も分かりやすい「仕事をした感」を生む。
設計は時間がかかる。
観測は手間がかかる。
カバーはリスクを引き受ける。
しかし正論は一瞬で言える。
そして言った側は、その場で「上にいる理由」を確認できる。
結果として何が起きるか。
下は考えなくなる。
上も考えなくなる。
同じ問題が繰り返され、正論だけが往復する。
これは教育でも指導でもない。
秩序を保つための儀式だ。
ーーーーー
正論は、本来は対等な関係の中でこそ意味を持つ。
互いに間違える可能性があり、修正できる余地があるとき、
初めて機能する。
上下関係の中で投げられる正論の多くは、
「意味がある」のではなく、「力がある」だけだ。
だから私はこう思う。
上から下に正論が頻繁に飛んでくる場所では、
ミスをカバーする役割を、誰も引き受けなくなっている。
上の立場の仕事が、
ミスを指摘することなのか。
ミスをカバーすることなのか。
それだけで、その人が何を仕事だと思っているかは分かる。
そして正論が多い場所ほど、
本当にやるべき仕事は、いつも放置されている。
正論が飛び交う職場は、
仕事をしている場所ではなく、
仕事をしたフリをする場所だ。
もし部下や下の立場の人間が、
本来上が引き受けるべきカバーに回っているなら、
その環境は、いずれ必ず歪む。
もはや歪みはじめている。
これを正常と呼ぶ理由はどこにもなく、
努力や根性で持ち直せる種類の問題ではない。

たるお
協力関係を維持するためには、(4)受けた恩に対して後悔させないよう努めること、(5)なるべく周りに合わせるようにすること、(6)(7)今後を考慮した上で、過ちを犯した人を赦すか罰を与えることが重要である。
この協力関係を保つには、力の対等さの意識が重要になるから、(8)相手に侮辱を感じさせないこと、(9)相手を自分と対等と見なすことが重要であり、最初の契約の時点で(10)互いに認められる権利の範囲は等しくしておかなければならない。
その上で、協力関係を得ても争いは生じることはあるだろうから、その時は仲裁者を立てなければならない。そして(11)その仲裁者は争いの当事者を平等に扱わなければならない。これが公正である。そして(12)争われているものが分けられるなら平等に分割し、分けられないなら共有物とし、更に(13)共有物にすら出来ないなら誰のものになるか平等にくじ引きにし、その一環として自然においては(14)運よく最初に見つけた者がそのものを手に入れるのでなければならない。
更に、仲裁が無駄になり、平和な状態から争いの状態に逆行するのを防ぐため、(15)仲裁者は身の安全を保障されなければならず、(16)争っている当事者は仲裁者の裁定には従わなければならない。また(17)仲裁者は争いの当事者であってはならず、また(18)どちらか一方から利益を受け取るようであってもならず、なるべく遠い人物であるべきである。そして(19)事実が争われている際は、当事者以外の証人を立てるべきである。

今日の御言葉
あなたは自分の達成した事に満足していますか?
識別心を使ってそれを調べ、自分で自分を裁定しなさい。動機の清らかさは、あなたが平安を手に入れる上での最高の保証となります。
サティヤサイババ

たるお
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