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議員定数を減らすという幻想――「身を切る改革」は誰を切っているのか

わが国で「議員定数削減」が叫ばれるたびに、必ずといっていいほど聞こえてくる言葉がある。

「税金を食い物にする仕事もしない議員が多すぎる」。

耳に心地よい正論である。だが、この一見もっともらしい主張を、少しだけ冷静に数字と歴史で検証してみると、そこには驚くほど深い虚構が横たわっていることに気づく。

まず、定数削減が掲げる最大の目的は「歳出削減」である。議員一人当たり年間約六五〇〇万円の経費がかかるから、十議席減らせば六億五〇〇〇万円、五十議席減らせば三十二億五〇〇〇万円が浮く――という試算が、まるで呪文のように繰り返される。

しかし、国家予算が一二〇兆円を超える現在、この金額が占める割合は〇・一%にも満たない。五十議席削減したところで、予算全体の〇・〇〇二七%にすぎない。

これは、巨艦の甲板にこぼれた一滴の水を雑巾で拭うような行為である。にもかかわらず、政治家たちは「まず自分たちが身を切る」と胸を張る。その姿は、まるで国民の前で芝居を見せているかのようだ。

次に「仕事していない議員を減らす」という理屈を検討しよう。

国会議員の本務は、
①国の重要課題を国民に代わって議論すること、
②議員立法を提出すること、
③法案・予算に投票すること、

この三つに尽きるはずだ。

ところが、現実はあまりに貧困である。成立する議員立法は年間十本前後。委員会は与党の都合で開いたり開かなかったり。多くの議員は、年に数回しか質問に立てず、残りの時間は地元対応と資金パーティーに追われるだけである。この怠惰は、議員の数が多すぎるから生じているのだろうか。答えは否である。

原因は国会運営の仕組みそのものにある。会期は一年のうち実質一五〇日程度。閉会中は委員会を開くことすら困難。質問時間も与党が握っている。

こんな環境では、どれだけ定数を減らしても「働ける議員」ではなく「働かされる議員」しか残らない。

実際、定数を三六%も大胆に削減したイタリアの末路は教訓的だ。欠席率はほぼ変わらず、議員立法はむしろ減り、国民の政治不信はさらに深まった。削減されたのは経費ではなく、少数意見を国会に持ち込むチャンネルだったのである。本当の問題は数ではない。仕組みである。

通年国会にすれば議論の場は常設される。委員会の開催を義務づければ「開かない言い訳」は通用しない。議員立法に実質的なインセンティブを与えれば、法案提出は単なるパフォーマンスではなくなる。これらの改革に比べれば、定数削減など児戯に等しい。

「身を切る改革」とは美しい響きだが、切られているのは国民の知る権利であり、少数派の声であり、熟議の可能性である。

政治家が本当に痛みを伴う改革を望むなら、まず自分たちの特権的な日程管理と質問時間配分を手放すべきだ。それができない限り、定数削減はただの衆愚劇にすぎない。議席を減らしたところで、仕事しない議員は減らない。

減るのは、仕事をしたくてもできなかった議員と、彼らが代弁しようとした声だけだ。

その事実に、そろそろ私たちは目を覚ますべきではないか。
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ココ🥃

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投票率をあげることは本当に正義か?投票率をあげることは本当に正義か?

回答数 39>>

オーストラリアでは1924年に選挙に対する投票が法律で国民の義務とされて以来、選挙の投票率が90%を下回ったことがないそうです。

当然投票環境も整えられており、日本でも認められている期日前投票はもちろんのこと、郵便による投票や視覚障害者には電話による投票も認められている他、病院や介護施設には選挙管理委員会が出向いてその場で投票を受け付けることもしているのだとか。

けれども投票率が高い一番の理由は、もしかしたら、「18歳以上の有権者が正当な理由なく投票をしなかった場合、20オーストラリアドル(日本円で約1500円)の罰金が課される」と言う罰則の存在かも知れません。

もちろん外国のお話、これをそのまま日本に輸入しろとは言いません。馴染むかどうかは怪しい、と私は思います。

それと、この制度を知った時に最初に抱いた印象は「そこまでする?」と言う、半ば皮膚感覚的な抵抗感でした。

たとえ中身が何であれ、教育と勤労と納税以外の義務を国民に課すことはあってはならない、誰に投票するかの選択と同様に、投票するかどうかの選択もまた、主権者たる国民に委ねられるべきではないのかと思うので...

上げようと思えば投票率なんか簡単に上げられる例としてオーストラリアの話を持ち出しましたが、それが本当に正義かと言ったら、私はそうは言い切れないのではないかと思います。

「問題の本質はどんな愚か者にも頭がついていると言うことだ」と鉄血宰相ビスマルクは言ったとか言わないとか... 実際にある特定の政党に投票した奴らの選挙権なんか取り上げちまえと思わないでもありません。

実際、衆愚とまでは言いませんがそれに類する(私みたいな)人間もいるのは厳然たる事実です。

もちろん今の政治の状態を作り出したのは政治なんかわかんない、投票なんかめんどくさいと言う国民の怠惰と無関心が招いたことではあるのですが、投票率さえ上がればいいというものでもないような...

私たち国民が政治に関与する数少ない機会として選挙での投票が重要なことは言うまでもありませんが、それ以上に大切なのは日頃から政治や社会に関心を寄せ、国家が誤った道に進まないよう注意を払うことなのではないか、と思います。

流れて来るのは何とも情けない、不愉快なお話ばかりではありますが...
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サラダ

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そもそも、民主主義必ず独裁の方がマシなのか?

民主主義って衆愚政治、国民のレベルと繋がってる、政治家は結局、

国のために動くではなく、選挙のために演技みたいなもんだ、また民主主義で地域や団体の利権酷くなり、苦しんでるのは庶民だけ

衆愚政治より賢いの独裁者の方が良いかもw
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真

民主主義が多数決と違うなら一体どうすればいいのだろうか?民主主義が多数決と違うなら一体どうすればいいのだろうか?

回答数 15>>

どちらも一緒www

結局は

「衆愚政治」「大衆迎合」となり

滅ぶ運命にある

今現在の日本や世界を見れば

わかるだろう?

歴史は繰り返す
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たまかしわ〜

たまかしわ〜

自分は国政には左翼政党も右翼政党も中道政党も必要だと思っている。
選挙とは大衆の代理人であるため、国民には右翼・左翼や思想や価値観がどっかに寄っているのが現実のため、左右中道は必要。人の思想は画一化できない。画一化しようとするのはそれは全体主義だ。
また、政治人は代理人であり、精神的英雄、精神的賢者でもあるから大衆の先導者として政治知識が必要。無ければそれはポピュリズムや衆愚政治を生むだけ。
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ココ🥃

ココ🥃

「戦争に関する重要な政策は、世論調査で決めるべきか? 〜某著名人の主張をどう思う?〜」「戦争に関する重要な政策は、世論調査で決めるべきか? 〜某著名人の主張をどう思う?〜」

回答数 23>>

彼にしてはまともな事を言うと、ちょっぴり見直しました。

阿川弘之の評伝小説によるものなので真偽のほどは定かではありませんが、太平洋戦争劈頭、真珠湾への奇襲攻撃が成功した際に時の連合艦隊司令長官·山本五十六のもとには全国の国民から感謝や激励の手紙や贈り物が殺到したそうです。

国民の響喜乱舞ぶりと山本の熱狂的人気に感嘆する側近相手に、山本は素っ気なくこう言い放ったのだとか。

「そのうちその連中が俺の家に石投げに来るさ」と。

衆愚呼ばわりをするつもりはありません。
民主主義国家を標榜する以上、民意とはそれなりに尊重されるべきものなのでしょう。

けれども民意とか世論って、一体何なんでしょうね?両目とも視力は0.2、仕事中や運転中にはメガネが欠かせない私の目には、無責任な感情論の集合体にしか見えません。

鬼畜米英、暴支膺懲。

太平洋戦争下のこの国ではそんな、ある意味カッコいいキャッチコピーが飛び交っていました。あの太宰治ですら、開戦の報を受け「強い光線を受けて、からだが透明になるような感じ。あるいは、聖霊の息吹を受けて、つめたい花びらをいちまい胸の中に宿したような気持ち。日本も、けさから、ちがう日本になったのだ。」(「十二月八日」より)と言う一文を残しています。

ABCD包囲網なる経済制裁、乏しく底をつきそうな生活物資、娘たちさえ売らなければ生きて行けなかった東北地方の窮状... 時代を覆う閉塞感は令和の今とは比べものにならなかったに違いありません。

それを思えば当時の人々の熱狂的な歓喜も頷けなくはないのですが、お祭り騒ぎで盛り上がった先に待っていたものは376万人の人々の失われた未来であり、国家としての破滅でした。

世論とやらはその責任をとったのでしょうか?
前日まで一億玉砕を声高らかに謳い上げていた新聞各紙は手首を捻挫しかねない勢いで手のひらを返し、一億総懺悔なる言葉まで飛び出す有様。

お皿の上に豆を置いて傾けると豆たちは我先にと傾斜に従って転がります。私の目に見える「世論」なるものはお皿の上の豆に過ぎず、そんなものに国家の命運を託すわけには行きません。

私は彼(発言者)のことはあまり好きではありませんが、この主張には大賛成です。
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