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臼井優

臼井優

「護送船団方式(ごそうせんだんほうしき)」とは、行政が特定の業界(特に戦後の日本金融業界)において、最も経営体力の弱い事業者(船)に合わせて業界全体の足並みを揃え、過度な競争を抑えつつ安定を維持する保護行政のことです。これにより金融システム全体の安定を図りましたが、バブル崩壊後に機能不全に陥り、規制緩和の時代へと移行しました。
仕組みと特徴
最弱船に合わせる: 船団で最も遅い船に合わせて進むように、行政が規制や指導を通じて業界全体の速度(金利、手数料、サービスなど)を統一します。
保護と安定: 弱い企業が潰れないように保護し、金融秩序の維持と経済の安定を目指しました。
競争の抑制: 自由な競争が阻害され、効率的な企業も利益を上げにくい構造でした。
歴史的背景と終焉
導入: 昭和金融恐慌(1927年)を機に、金融機関の破綻を防ぎ、信用秩序を維持するために導入されました。
高度経済成長期: 戦後の高度経済成長を支える金融システムとして機能しました。
バブル崩壊後: 1990年代のバブル崩壊と金融自由化の進展により、その限界が露呈し、現在の金融システムでは行われていません。
現在の状況
「箸の上げ下ろしまで」と言われる詳細な行政指導が行われていましたが、現在は撤廃され、金融ビッグバン以降は市場原理に基づく競争が導入されています。
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1. 岡田神社(岡田宮)と神功皇后の「事実」としての関係
福岡県北九州市八幡西区岡田町に鎮座する「岡田神社(岡田宮)」は、神功皇后の伝説において極めて重要な「通過点」かつ「祭祀の場」として記録されています。
社伝および歴史書に基づく事実関係:
* 神功皇后の参拝: 社伝および地域伝承によれば、神功皇后は三韓征伐(外征)の際、この地を訪れました。この時、皇后は岡田宮に鎮座する神々(天神地祇)を親(みずか)ら祭り、武運と道中の安全を祈願したとされています。
* 案内者「熊鰐(くまわに)」の存在: 『日本書紀』などの記述において、この地域(岡県/おかのあがた)を治めていた豪族・**岡県主熊鰐(おかのあがたぬしくまわに)**が、仲哀天皇・神功皇后を周防のサバ(山口県防府市付近)で出迎え、水先案内をしてこの地(洞海湾・岡田宮方面)へ導いたことが記されています。
* 二つの「岡田宮」伝承: 岡田宮は、元々は神武天皇(初代天皇)が東征の折に一年間滞在した場所として『古事記』に記されています。神功皇后は、その数百年後に「先帝(神武天皇)ゆかりの聖地」として同地を訪れ、改めて祭祀を行いました。つまり、岡田神社は**「神武天皇が政(まつりごと)を行った宮」であり、かつ「神功皇后が戦勝祈願を行った神社」**という二重の皇室伝承を持つ古社です。
2. 「地名」に残された神功皇后の足跡
八幡西区およびその周辺には、神功皇后の行動そのものが由来となって定着した地名が明確に残されています。これらは単なる噂ではなく、風土記や神社の由緒として語り継がれてきたものです。
① 皇后崎(こうがさき・こうごうざき)
* 場所: 八幡西区(現在の皇后崎町・黒崎地区の西側)
* 事実と由来: かつて洞海湾に突き出していた岬であった場所です。社伝等によると、神功皇后がこの地に船団を率いて**「上陸した(着岸した)」場所**であることから、「皇后の崎(みさき)」=「皇后崎」と名付けられました。
* 現在: 現在は埋め立てが進んでいますが、かつてはここが海陸の接点であり、岡田宮へ向かうための上陸地点でした。現地には記念碑が存在します。
② 熊手(くまで)
* 場所: 八幡西区熊手(岡田神社の鎮座地周辺)
* 事実と由来: 一般的には「熊手」という道具や地形に由来するとも言われますが、この地域の歴史的文脈(岡田神社の由緒)では、**「熊鰐(くまわに)」の一族(熊族)が拠点としていた手(方面・場所)**という意味合い、あるいは神功皇后を迎えるために人々が集まった場所としての意味が深く関わっています。岡田宮の祭礼(黒崎祇園山笠など)においても、この地区は中心的な役割を果たしてきました。
③ 王子(おうじ)
* 場所: 八幡西区(岡田神社の旧鎮座地周辺、現在の熊西地区など)
* 事実と由来: 現在の岡田神社は江戸時代(1605年)に現在地の岡田町へ遷座しましたが、それ以前の「元宮(もとみや)」があった場所、あるいは神功皇后や皇子(後の応神天皇)に関連する祭祀場があった場所周辺には「王子」という地名や、それに関連する「一宮神社(王子宮)」が残っています。
* 一宮神社(旧鎮座地推定地): 八幡西区山寺町にある一宮神社は、岡田宮が元々あった場所(またはその関わりが深い場所)とされ、ここにも神功皇后が祭祀を行った伝承が残ります。
3. 歴史的「事実」としての総括
憶測を排除し、記録から読み取れる事実は以下の通りです。
* 戦略的要衝の掌握: 神功皇后(およびヤマト王権軍)は、洞海湾という天然の良港を持つこの地域を重要視し、地元の有力豪族である**熊鰐(くまわに)**を従えることで、大陸への航路と後方支援基地を確保しました。
* 祭祀による統治: 岡田宮での祈願は、単なる宗教儀礼にとどまらず、先帝(神武天皇)の故地を再訪することで、自身の権威を確立し、地元の協力を取り付けるための政治的なデモンストレーションとしての側面がありました。
* 地名の定着: 「皇后崎」等の地名が現代まで残っていることは、当時のこの地域の人々にとって、皇后の来訪が極めて衝撃的かつ歴史的な大事件として認識され、長く語り継がれてきたことの証左です。
以上が、岡田神社と神功皇后の関係における、史料と現地伝承に基づく事実の深堀り解説です。
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提供資料 (Materials)
(以下の検索結果を「資料」として使用します)
* Source 1.1: 北九州市八幡西区にある「皇后崎(こうごうざき)」という地名は、神功皇后が上陸した場所と伝えられ石碑が建つ。神功皇后は皇后崎に上陸後、岡田神社に参拝し、一宮神社に泊まり、船団を補強したとされる。
* Source 1.2: 岡田宮(北九州市)は、仲哀天皇と神功皇后の熊襲征圧の際に、両名を迎えた地である。岡県主の祖「熊鰐(くまわに)」が周芳の沙麼の浦に出迎えに行き、魚塩の地を献上し、海路を導いた。
* Source 1.3: 岡田宮(岡田神社)の由緒によれば、仲哀天皇8年(199年)、神功皇后は三韓征討の折に、崗県主祖・熊鰐の案内で熊手出岬(皇后崎)に到り、同宮に詣り「八所神」を親祭(自ら祭る)した。これを「岡田の三宮」と称する。祭神の右殿(熊手宮)には「県主熊鰐命」が祀られている。
* Source 2.3: 古事記によれば神武天皇が滞在した場所であるが、神功皇后も三韓征伐の折に熊手出岬(皇后崎)に到り、同宮に詣り八所神を親祭したとされる。
分析報告書
1. 抽出された事実(Fact)
* 所在地と名称: 岡田神社(岡田宮)は福岡県北九州市八幡西区岡田町に鎮座する(Source 1.3)。
* 上陸地点: 八幡西区の「皇后崎(こうごうざき)」あるいは「熊手出岬」は、神功皇后が上陸した場所と伝えられている(Source 1.1, 1.3)。
* 案内者: 神功皇后(および仲哀天皇)は、「岡県主(おかのあがたぬし)」の祖である「熊鰐(くまわに)」によって海路を導かれ、迎え入れられた(Source 1.2, 1.3)。
* 目的と行動:
* 神功皇后の訪問時期は、仲哀天皇8年(199年)の「熊襲征圧」または「三韓征討」の際である(Source 1.2, 1.3)。
* 神功皇后は岡田神社に参拝し、「八所神(はっしょしん)」を自ら祭った(親祭した)(Source 1.3)。
* この参拝の後、一宮神社に泊まり船団を補強したともされる(Source 1.1)。
* 祭神: 岡田神社の右殿(熊手宮)には、案内者である「県主熊鰐命(あがたぬしくまわにのみこと)」が祀られている(Source 1.3)。
* 呼称の由来: 神功皇后が八所神を親祭したことにより、この宮は「岡田の三宮」と称されるようになった(Source 1.3)。
2. 論理的推論(Logic)
* 資料1.1および1.3に基づき、北九州市八幡西区における神功皇后伝説の中核は、**「皇后崎への上陸」と「岡田神社での祭祀」**の2点にあることが示されている。
* 資料1.2および1.3に基づき、この伝説には地元の豪族である「熊鰐」が深く関与しており、彼が皇后を導いたことが、岡田神社に彼自身が祭神として祀られている理由となっている。
* 資料1.3に基づき、神功皇后の岡田神社における具体的な行動は「八所神の親祭」であり、これが神社の尊称(岡田の三宮)の起源となっているという因果関係が成立する。
3. 最終結論(Conclusion)
福岡県北九州市八幡西区にある岡田神社(岡田宮)と神功皇后伝説の関係は、以下の通りである。
* 伝説上の上陸・滞在地: 神功皇后は三韓征討(または熊襲征圧)の途上、同区内の「皇后崎(熊手出岬)」に上陸し、その足で岡田神社を訪れたとされる。
* 祭祀の実行: 皇后は同神社において、古代より祀られていた「八所神」を自ら祭り(親祭)、戦勝や航海の安全を祈願したとされる。この行為が由来となり、同社は「岡田の三宮」と称されるようになった。
* 地元豪族との結びつき: 皇后の訪問は、地元の県主の祖である「熊鰐(くまわに)」の手引きによるものであり、熊鰐は現在も同神社の祭神の一柱(右殿)として祀られている。
以上のことから、岡田神社は神功皇后が遠征の過程で重要な祭祀を行った場所として位置づけられ、その伝承は地名(皇后崎)や祭神(熊鰐)として現在に残されている。
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「妄想や想像」を排し、「事実」として北九州市内に物理的・歴史的に残っているもの(神社、公的な記録、定着した地名、伝統神事)に絞って解説します。
神功皇后の伝説は物語ですが、北九州市においては**「1800年前から続く地政学的な痕跡」**として、現代の地図や文化財の中に明確に埋め込まれています。
以下に、北九州市内に「事実」として現存する痕跡を分類し、深掘り解説します。
1. 公的歴史書と一致する唯一の比定地:岡田宮(岡田神社)
伝説の多くは口伝ですが、八幡西区の「岡田宮」に関しては、日本の正史である『日本書紀』の記述と地理的に一致するという「事実」があります。
* 事実の所在: 八幡西区岡田町(岡田宮)
* 残された痕跡:
* 『日本書紀』の記述: 書記には、神功皇后が「崗県(おかのあがた)の主、熊鰐(わに)」の案内で到着し、橿日宮(現在の香椎宮)へ向かう前に**「この地に一年留まった」**とはっきり記されています。
* 地理的整合性: 古代、この地域は「崗(おか)の港」と呼ばれた入り江でした。洞海湾の奥に位置し、外洋からの波を受けず、船団を隠し、補修し、兵糧を蓄えるための「軍事基地」として最適な地形です。
* 深掘り解説:
ここが単なる立ち寄り所ではなく、「一年間」も滞在したという記述は重要です。これは三韓征伐という巨大プロジェクトに向けた**「兵站(へいたん)基地」が実在した**ことを示唆しています。岡田宮は、その前線基地の司令部跡地としての性格を強く帯びています。
2. 「行政地名」として固定化された事実
伝説が単なる昔話で終わらず、現代の住所や駅名として行政的に採用され続けている事実です。これらは神功皇后の行動が、土地のアイデンティティになったことを証明しています。
① 門司区「大里(だいり)」
* 事実の所在: JR大里駅(現:門司駅周辺)、地名としての大里。
* 深掘り解説:
「内裏(だいり)」とは天皇や皇后の住まい(皇居)を指す言葉です。一地方の地名にこの言葉が使われるのは異例です。神功皇后がここに仮の御所を建設したという伝承が、古代から地元民にとって疑いようのない事実として認識されていたからこそ、この地名は現代まで変更されずに残りました。
② 八幡東区「皿倉(さらくら)」
* 事実の所在: 皿倉山
* 深掘り解説:
皇后が下山時に言ったとされる「更に暮れたり(さらにくれたり)」という言葉が語源です。重要なのは、この山が国見(敵情視察や地形確認)に最適な北九州最高峰であるという地理的事実です。指導者が戦略を練るために登る山として、これ以上合理的な場所はありません。
③ 戸畑区「飛幡(とばた)」
* 事実の所在: 飛幡八幡宮、戸畑という区名。
* 深掘り解説:
「鳥が旗のように見えた」あるいは「鳥の旗を掲げた」という伝説に由来します。古代の航海において、鳥は陸地や風向きを知る重要な指標でした。ここが水先案内(ナビゲーション)の重要拠点であったことを、地名が暗示しています。
④ 小倉「紫川(むらさきがわ)」
* 事実の所在: 一級河川 紫川
* 深掘り解説:
皇后が衣服を染めるために紫草(ムラサキ)を用いたという伝承。実際、この川の流域にはかつて紫草が自生していた植生上の事実ともリンクします。
3. 千年以上継続している「神事」という事実
伝説を再現する行為が、途切れることなく現代まで続いているという事実です。
* 事実の所在: 門司区・和布刈(めかり)神社
* 神事: 和布刈神事(福岡県指定無形民俗文化財)
* 深掘り解説:
毎年、旧暦の元旦に神職が海に入り、ワカメを刈り取って供える神事です。これは神功皇后が凱旋時に、潮の干満を司る珠(干珠・満珠)の霊験に感謝してワカメを供えたことが起源とされます。
重要なのは、和布刈神社が**関門海峡の潮流が最も速く、危険な場所(早鞆の瀬戸)**に鎮座している点です。ここでの航海安全祈願は、当時の渡海がいかに命がけであったかというリアリティを現代に伝えています。
4. 物理的に存在する「巨石・痕跡」
「皇后が腰掛けた」とされる石などは全国にありますが、北九州においては、それらが神社として体系的に管理されています。
* 事実の所在:
* 高見神社(八幡東区): 洞海湾を見下ろす場所にあり、ものづくりの神とともに神功皇后を祀る。製鉄所(近代)ができる遥か昔から、この地が「資源・技術」に関わる場所だったことを示唆。
* 蒲生八幡神社(小倉南区): 境内に「神功皇后御駐輦(ちゅうれん)の跡」としての石や、かつて「古裾木(こそそぎ=衣服の裾を洗う)」と呼ばれた由緒書きが存在。ここは内陸部への入り口であり、陸路移動の拠点でした。
結論:北九州市における伝説の正体
妄想を除外して見えてくる北九州市の神功皇后伝説の正体は、**「古代国家による朝鮮半島進出のための、巨大な兵站・軍事ネットワークの痕跡」**です。
* 門司(大里・和布刈): 最前線の出撃・凱旋ゲート。
* 八幡(岡田・洞海湾): 船を隠し、1年かけて準備をするための安全な後方支援・造船基地。
* 皿倉・高塔: 司令官による監視・通信(狼煙など)のための高台。
* 小倉(蒲生・紫川): 物資調達や内陸移動のルート。
北九州市内の伝説は、単なるファンタジーではなく、「なぜそこにその地名があり、その神社があるのか」を軍事的・地理的合理性で説明できるという点で、極めて「事実」に近い歴史遺産と言えます。
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まばたき👁👁.

まばたき👁👁.

連休7日目

近くの神社に豊漁祈願⛩️

漁船団揃うとカッコええわ〜[ほっとする]

#今日の1枚
空好きの星空好きの星
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ゲームソフトを売ろうと思ってる

その前にやり込み要素も含めてクリアしたい

ということで、今日はスーパーマリオギャラクシーをプレイした
そして、スターを119まで集めることができた!
最後の1個、宇宙船団のパープルコインが自分にとって激ムズすぎる😨
99枚でクリアしたのは本当に惜しかった😱悔しい〜
あと、パープルコインオンルイージも激ムズで、何回失敗したことか…
明日はクリアできるといいな
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福岡県北九州市若松区に残る「魚鳥池(ぎょちょういけ/ぎょちょうがいけ)」の石碑と、それにまつわる神功皇后伝説について解説します。
この場所は、日本書紀にも記された古代の伝承地であり、神功皇后の遠征ルートにおける重要なエピソードの一つとして語り継がれています。
1. 伝説の概要(神功皇后と熊鰐の物語)
伝説の舞台は、仲哀天皇と神功皇后が熊襲(くまそ)征伐のために九州へ下向された際のことです。
* 船の立ち往生と皇后の怒り
神功皇后の船団が洞海(くきのうみ/現在の洞海湾)から入ろうとした際、ちょうど潮が引いてしまい、船が浅瀬に乗り上げて進めなくなってしまいました。
先を急いでいた皇后は、この予期せぬ足止めに大変腹を立て、機嫌を損ねてしまいました。
* 熊鰐(くまわに)の機転
この地域の豪族であり、水先案内を務めていた岡県主熊鰐(おかのあがたぬしくまわに)は、皇后の怒りを恐れました。
そこで彼は、皇后の機嫌を直してもらうために急いで近くに池(生簀のようなもの)を造り、そこにたくさんの魚や鳥を集めて放ちました。
* 怒りの鎮静
熊鰐が「どうぞこれをご覧になってお心をお鎮めください」と申し上げると、皇后は池で泳ぐ魚や遊ぶ鳥たちの様子を眺め、ようやく怒りを解いて機嫌を直されたといわれています。
この故事から、その場所が**「魚鳥池(魚鳥が池)」**と呼ばれるようになりました。
2. 「魚鳥池の碑」と現在の姿
かつてこの地は入り江の一部でしたが、江戸時代の干拓事業によって陸地(水田)となりました。伝説の池そのものは残っていませんが、その由緒を伝えるために石碑が建てられています。
* 石碑の建立
明治35年(1902年)に、この伝説を後世に伝えるため、地元の有志によって**「魚鳥池之碑」**が建立されました。
* 現在の状況
現在、石碑の近くには石組みの井戸のような跡が残されており、これがかつての「魚鳥池」の名残とされています。
伝承によると、この池(井戸)の水はどんな日照りでも枯れることなく、非常に清らかな水が湧き出したため、地元の人々は「皇后の遺徳によるもの」として大切に利用してきました。
3. 関連施設:魚鳥池神社
石碑のすぐ近く(北九州市若松区払川)には、この伝説に由来する**「魚鳥池神社」**が鎮座しています。
* 御祭神: 神功皇后などが祀られています。
* 由緒: 皇后が船を降りて、満潮を待つ間に魚や鳥を眺めて休息された場所、あるいはその遺徳を偲んで建立された神社とされています。
4. 歴史的・地理的背景
* 地名の痕跡
この周辺には「鵜ノ巣(うのす)」という地名も残っており、熊鰐が鳥を集める際に鵜(う)を利用した、あるいは鵜飼いを見せたのではないかという説もあります。
* 日本書紀の記述
このエピソードは『日本書紀』の仲哀天皇記にも記述が見られ、大和朝廷と北九州の豪族(県主)との関係性を示す重要な史料としても扱われています。
まとめ
若松区の魚鳥池石碑は、単なる古い跡地ではなく、**「神功皇后の怒りを地元の豪族がエンターテインメント(魚と鳥のショー)で鎮めた」**という、人間味あふれる古代の政治的・文化的交流の現場を示す記念碑といえます。
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