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1981 年東京生まれ。2007 年ピアノ弾き語りアルバム「御身」でデビュー。
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臼井優
医学部卒業生の多くは、医師として患者を診療することに職業的誇りを見いだし、社会の矛盾や苦難と最前線で向き合う。
その延長線上から、アフリカで生涯にわたり医療活動を行ったアルベルト・シュバイツァーや、HIV/AIDSや結核治療を貧困地域に広げ、Partners In Healthを創設したポール・ファーマーのような人物が生まれてきた。
これに対し、東京大学は対照的である。法学部卒業生は法律家として市民を守るよりも、官僚として国家権力を行使することを志向し、医学部卒業生は患者を診療することより、研究に従事する方が価値あると信じる。
この内在的価値観こそが、東京大学の際立った特徴である。東京大学は、このことを公言して憚らない。まさに「俗物根性」だ。私は、その雛形は明治時代に築き上げられたと考えている。
もっとも、これは当時の歴史的条件を踏まえれば、ある意味で必然でもあった。明治の元勲たちは徹底したリアリストであり、国家建設を最優先課題とした。
初代文部大臣を務めた森有礼は薩摩藩出身で、1865年に英国へ留学し、帰国後には英語を日本の公用語とする大胆な構想を打ち出した。彼らにとって重要だったのは、理念よりも、英国をはじめとする先進国の制度を迅速に導入することだったのである。そのためには、母国語を捨てることも厭わない。
戦前の東京大学法学部は、穂積八束や上杉慎吉を中心に、天皇主権論や国体明徴といった国家主義的思想を理論面から支える役割を担った。
しかし、明治初期の元勲たちには、こうしたイデオロギーに拘泥しなかった。徹底して実利を優先し、江戸期まで日本の学問の中核であった和学や漢学を「無用」として退け、西欧知の導入へと大きく舵を切ったのである。
東京大学は、その後もこの影響を引きずり続けた。戦前から戦中にかけて総長を務めた平賀譲は、その典型である。
優れた技術者であり、人格的にも均衡の取れた人物であったとされるが、海軍の技術将校として最終的に中将にまで昇進した軍人であった。
国家権力の象徴である軍人が、国家を代表する大学のトップに就くという構図は、欧米の大学ではほとんど想定されない。
今日に至るまで、東京大学は技術や制度設計を優先し、思想・芸術・哲学といった領域を軽視する傾向を抱えてきた。この偏りこそが、東京大学の構造的な弱点であり、その思考をしばしば浅薄なものにしている。

レイコ
『🌼カッパを見た話。🌼』
TVのトーク番組での長谷川穂積さんの話。中学生の時に同級生らが歩いてて、見慣れない人が居たから、長谷川さんの友達が
『お前どこの組やねん❗』と言い、しばらくして、カッパが『渇く❕渇く❕』と言って川に入っていった。(頭の皿が❗)
長谷川さんは、信じてる様ですが
私は、100%長谷川さんの友達の嘘だと思ってます。カッパの話をして、長谷川さんの反応を見て面白がってるなと。🤣🎵

臼井優
富井政章、穂積陳重と共に「民法三博士」と呼ばれ、フランス留学を経て、旧民法典の論争(法典論争)から新民法制定まで主導した「空前絶後の立法家」です。
梅謙次郎の功績と「天才」の所以
世紀の民法典編纂: 明治政府の下で、複雑な国際関係の中で近代的な日本民法典(明治31年施行)を短期間で完成に導いた。
卓越した法律家: 「先天的な法律家」と評されるほどの深い学識を持ち、民法、商法など多くの法典立案に関わった。
教育と経営: 帝国大学(現・東京大学)https://www.u-tokyo.ac.jp/ja/index.html教授として後進を育成する一方、法政大学の初代総理(現・総長)https://www.hosei.ac.jp/hosei/daigakugaiyo/daigaku_shi/episode/umesori/?auth=9abbb458a78210eb174f4bdd385bcf54として学校の基盤を築いた。
苦学からの躍進: 生家の困窮から猛勉強の末に法律を修めたエピソードでも知られる。
彼が築いた民法は、その後の日本の私法秩序の基礎として、現在に至るまで大きな影響を与え続けています。

臼井優
1889〜1892年の日本で、ボアソナードが起草した「旧民法」の施行を巡り起きた論争。
フランス風の個人主義的・平等主義的な内容が、日本の家父長制的な家族制度(「家」制度)と対立し、穂積八束らによる「民法出デテ忠孝亡ブ」の批判で有名。結果、施行は延期され、のちに日本独自の慣習を取り入れた明治民法が制定された。
民法典論争の概要
時期: 1889年(明治22年)〜1892年(明治25年)
対象: ボアソナードが起草した旧民法(特に人事編・財産取得編)
背景: 国会開設や条約改正に伴う近代法整備、大日本帝国憲法制定による法典の統一意識
論争の争点と派閥
断行派(早期施行派): 梅謙次郎、富井政章、ボアソナードら。フランス法学派。個人の自由や平等、近代化を重視。
延期派(修正派): 穂積八束、穂積陳重ら。イギリス法学派・英吉利法律学校(現中央大学)や東京帝国大学の保守派。日本の伝統的な家父長制、醇風美俗の破壊を懸念。
「民法出デテ忠孝亡ブ」
延期派の穂積八束が唱えた言葉。旧民法の家族法が、儒教的な「親への孝行(孝)」や「君主への忠義(忠)」を基本とする日本の家制度を破壊する、という主張である。
結果と影響
施行延期: 1892年の第3回帝国議会で延期が議決され、旧民法はそのままの形では施行されなかった。
明治民法の制定: 梅謙次郎、穂積陳重、富井政章が再起草にあたり、1898年にドイツ民法の影響を受けた「明治民法」が制定された。
これは、個人主義的な面を残しつつも、戸主権を認めるなど家父長制色を強めたものとなった。
この論争は、進歩的(西洋化)と保守的(日本伝統)の対立、あるいは法学派閥(仏法vs英法)の争いとして理解されている。

臼井優
その後、穂積陳重、富井政章、梅謙次郎の3名によりドイツ民法を参考にした修正案(現行民法)が、パンデクテン方式に基づき編纂された、全5編の体系的法律です。
民法典編纂の経緯と主な出来事
初期の取り組み(1870年代): 司法卿江藤新平の指導のもと、箕作麟祥による仏法翻訳から始まる。
ボアソナードの草案(1879-1890): フランス人ボアソナードがフランス民法をベースに民法を起草(1890年「旧民法」公布)。
民法典論争(1890年代初頭): 旧民法の「家族制度」が日本の伝統と合わないとして、主にドイツ法派から強烈な反対(延期派)が起き、施行が延期された。
現行民法の成立(1896-1898): 穂積陳重、富井政章、梅謙次郎の3名が「法典調査会」で修正し、パンデクテン方式(総則、物権、債権、親族、相続の5編構成)で1898年に施行。
構成と特徴
財産法(1-3編): 総則、物権、債権(主にドイツ法の影響)。
家族法(4-5編): 親族、相続(日本固有の制度をある程度維持)。
この編纂により、日本の近代的な民事法秩序が確立された。

穂積(ほづみ)
ちょっとこっちが辛くなってしまう。

穂積(ほづみ)
穂積、ロブションのパン食わせておけば笑顔になることがバレている模様。

蟄居
※画像はハイラックスのお尻です。特に本文と関係はないのですが、かわいいですよね。
そんなチョコミントよりもあなたみたいな……
それはさておき、隠居に興味をお持ちになるとはすばらしい( ◜ω◝ )
どうしたらいいですか? とのことですが、まずは隠居の良さをあらためて知っていただくのがよいのではないでしょうか。
私はつねづね、もっと隠居、隠遁という言葉が再評価されるべきだと考えております。
隠居の歴史は古く、
穂積陳重『隠居論』によれば、集団の中で十分務めを果たせないものは社会的地位を追いやり遺棄される習俗が広く人類一般にあったものが次第に、自ら役目を退き家財を譲り深林に退去し余生を送る(古代インドの例)、隠居のための庵を構える、といった穏便な形になっていったものが起こりであるとされ、
また本邦における「隠居」という言葉の直接のルーツを辿れば、古代中国において出仕せず隠棲する者を指す言葉として使われ、論語などにもその用例を見ることができます。
かように元来は集団の負担を減らし強さを維持するシステムであった隠居ですが、
個人にとっても、社会的な活動から退くことは、立場ある多忙な身である時には難しい精神的文化的学問的宗教的探求を行えるような思想と時間の自由が生まれるというプラスの側面がございます。
そのため、本邦には鴨長明『方丈記』などが代表する隠者文学の作品群が生まれましたし、
中国文学においても、俗世間から逃れ静かな生活を送る隠者・隠士は憧れのライフスタイルであったことが伺えます。
いつの世にも、社会的地位や影響力や物質的豊かさは手放す代わり静かに暮らしたい、と願う人間は必ず現れるはずです。
一定数いるそうした人間を、社会活動から遠ざかっているというだけで落伍者扱いしたり事情のある特殊な者扱いするより、
それらを包括する一つの積極的選択肢、豊かな文化的伝統と接続されたライフスタイルとしての「隠居」への導線が用意されているほうが、よほど文明的なことではないでしょうか。
隠居!最高!隠居!!最高!!イェイイェイ
(公安の地下深くに幽閉されている隠居の悪魔)
気が向いたらコメント欄に隠居ライフの参考になりそうな文献を紹介しておきます


臼井優
1889年(明治22年)から1892年(明治25年)にかけて、フランス流の個人主義的・自由主義的な旧民法(ボアソナード起草)を、日本の伝統的な家父長制や儒教的価値観(「民法出でて忠孝亡ぶ」)に合わせるべきか、不平等条約改正のために急ぎ施行すべきか(断行派)、延期すべきか(延期派)で対立した、明治日本の重要な法制を巡る大論争です。
結果として旧民法は施行されず、後に戸主権などを盛り込んだ日本独自の民法が制定されることになりました。
論争の背景と内容
目的: 不平等条約改正のため、西洋式の近代的な法典の整備が急務でした。
中心人物:
断行派(賛成派): 梅謙次郎ら。早期の施行を主張。
延期派(反対派): 穂積八束(ほづみやつか)ら。日本の伝統に合わないと批判。
対立点:
フランス流の個人主義: ボアソナードが起草した民法は、個人の自由・平等・人権を重視。
日本の家父長制・儒教的価値観: 家族法(親族・相続)が、家制度や「忠孝」の精神に反すると批判。
有名な言葉: 穂積八束の「民法出でて忠孝亡ぶ(みんぽういでてちゅうこうほろぶ)」という言葉が象徴的です。
結果
論争の結果、旧民法(ボアソナード案)は施行が延期され、ボアソナードは帰国しました。
その後、日本の家族制度を尊重した戸主権などが盛り込まれた、日本独自の民法(明治民法)が制定・施行されました。
意義
民法典論争は、単なる法典の施行問題にとどまらず、近代日本の法制度が、西洋の法理論と日本の伝統文化・社会構造のどちらを優先するかという、国家のあり方を問う根源的な議論でもありました。
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臼井優
国立大学法学部卒 法律系国家資格3種保有 就職氷河期世代 元僧侶 趣味・特技 サッカー、バスケ、ボクシング、テコンドー、茶道、書道、華道、サックス、ドラム、読書、カフェ巡り、音楽鑑賞、ストレッチ、筋膜リリース、他人のデートコースを考えること 家庭教師、予備校講師、各大学でのエクステンション講座担当 担当科目・領域 小~高、文系科目全て、公務員試験全領域、面接、ES添削、マナー、論文添削等々
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レイコ
誰かとの、こちらで継続的なやり取りは一切、 希望しません。
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うり
炭水化物食べる胃のスペースがあるなら肉で全部埋めたい
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蟄居
隠居です。喋りかた忘れそうなので好きなものの話とかします。既婚者です。
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穂積(ほづみ)
幸せになるのは女と子どもだけでいい、男なら志ねい
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