共感で繋がるSNS

関連惑星

🎸浜田省吾崇拝🌏

44人が搭乗中
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素敵な貴方と🪐🌏でトークしたい💓 浜田省吾さんの人間性や人柄・優しさ・異性に 対する労り等考えさせられる場面がありコンサート🏟️やDVD📀やアルバム💿で一度は受けてみたい課外授業が浜田省吾さんでした♪。反戦呼びかけ…平和でありますように🙏でファン全員に語り、祈り🙏かけて優しさを感じ取ることが出来ました。…宜しければ御参加ください。 無理強いはしません。これが 男が男性シンガーソングライターに惚れた理由の全てです。浜田省吾さんと共に…ON THE ROADを突っ走って行きたいですね♪🎸🕶️ 【僕と彼女と週末に/作詞作曲・浜田省吾さん】 この地球【ほし】 が何処へ行こうとしてるのか もう誰にもわからない🎵のスタートで歌われる歌詞より抜粋しました🕶️🎸 🎸🕶️浜田省吾さん関連グッズあまり無いですが MY個展コレクションで公開してるのが全部です。良かったら自慢しても良し・惑星🪐参加されてれみなさんにグッズの素晴らしさ教えてあげてください♪購入時期や思い出等🎸🕶️ Instagramフォローがてらいらして下さいね

Gravity警察の星

40人が搭乗中
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最近Gravityの治安があまり良くない事が多々あり、なんとかしようと努力なさっている方、あるいは守護者の方が多いのではないでしょうか? この星では、悪質な行動や言動をなさるユーザーの情報交換や注意喚起をしていきたいと思っております 悪質ユーザーの被害に遭っており、誰かに助けを必要としている方も大歓迎です🍀* ゚ 皆で助け合える・・・ちゃんとした優しいSNSを目指しましょう!٩(ˊᗜˋ*)و もちろん、惑星内のユーザーの方で、違反行動をなさっていたり、それらしき報告が上がり次第、追放と言う形を取らせて頂く事になりますのでご理解ください💦🙏 Gravityを平和にしたい、そんな思いに賛同出来る方のみ大歓迎です🙌

日本語警察になる前に

39人が搭乗中
参加
あ、この日本語間違ってる!指摘しよう!! ……ちょっと待った!!!!! 本人の投稿にコメントせずに、こちらに投稿しましょう 相手を不快にさせずに済みますし、溜め込んでモヤモヤすることもありません 投稿する際には「全体公開」から「同じ星のユーザーのみ」に変更することをお忘れなく 実は誤用じゃなかった(じゃなくなってた)なんてこともあるかも?

感覚・洞察の星

30人が搭乗中
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感覚・洞察の星へようこそ ここではあなたのあらゆる感覚や日常、人生の中での洞察を共有し合えます。 感覚と一言にいっても、五感、第六感、心を含めた六根、共感覚などあなたが感覚だと思ったものや体験したことなら何でもOK🙆‍♀️ また洞察については、それらの感覚から得た気付きや、独自の世界観、哲学や思想の理論構築もじゃんじゃんしちゃって下さい! それでは搭乗される生命の皆様に、 よい気付きと新たな体験が訪れますように🙏

ナミブ砂漠観察の星

27人が搭乗中
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遠い遠い、とある砂漠のオアシスで ひと休みしに来た動物たちの ほんのひとときを覗いて喜ぶ星

人間観察の星

17人が搭乗中
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ふと見かけた人の備忘録と考察。

箱泥警察の星

15人が搭乗中
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箱泥共有用の星。 GRAVITY守護者歓迎です。 箱泥共有投稿を見かけ次第該当ユーザーを通報して頂けるとありがたいです。 少しでも被害が減りますように。

トナ観察日記の星

14人が搭乗中
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内省の星

7人が搭乗中
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考察の星

7人が搭乗中
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泡沫𓈒𓋜𓈒𓏸

泡沫𓈒𓋜𓈒𓏸

#クリスマス休戦
#おまけつき
#平和への祈り
「クリスマス休戦」とは

第一次世界大戦中の1914年、西部戦線でドイツ軍とイギリス軍の兵士たちが、非公式にクリスマスを祝うために戦闘を停止した出来事。

塹壕から歌声が聞こえ、出てきて握手したり、プレゼントを交換したり、サッカーをしたりしたという逸話が残っています。 

SEKAI NO OWARIの「Dragon Night」は
この話を歌った曲

「人はそれぞれ『正義』があって」: 争いの根底にある「それぞれの正義」への理解と、自分たちの正義が相手を傷つけていたかもしれないという省察
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Dragon Night

SEKAI NO OWARI

大人が遊ぶ星大人が遊ぶ星
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よしあき

よしあき

アウグスティヌスは次のように言っている。「外に行こうとしないで、汝自身のうちに帰れ。真理は人の内部に宿っている」と。

デカルト的省察 フッサールの最後の文
哲学哲学
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フッサールがデカルトの省察を批判的に乗り越えようとしたように(?)、デカルトはアリストテレスの形而上学を批判的に乗り越えようとしている。

小林道夫の『デカルト入門』によると、アリストテレスは、人間の五感に価値を認めているようだ。じゃあフッサールは、アリストテレス主義に回帰したとも言えるのだろうか。
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珠雅(しゅが)

珠雅(しゅが)

生の過謬:存在の重みをめぐる哲学的省察

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「人生のあらゆる失敗もどんな罪もあらゆる後悔も、この世に生まれて来たという最大最悪の過ち最大のクソに比べれば些末な事だ」という思想は、一見すると絶望的なニヒリズムの表明のように響く。しかし、この断言の深層を解きほぐす時、そこには人間存在の根源的な問いが潜んでいることに気づかされる。

この思想の核心は、個別的・具体的な「失敗」「罪」「後悔」と、「生まれてきたことそのもの」を次元の異なる事象として対置している点にある。前者はあくまで人生の軌道上で生じる逸脱や過誤であり、後者はその軌道全体の前提そのものを問題化している。つまり、人生における個々の悲劇や過ちは、「生きている」という土台の上で初めて意味を持つが、その土台自体が「過ち」であるならば、それらの評価は根本から転倒せざるを得ないという逆説的論理なのである。

この思想の系譜を遡れば、仏教の「生老病死」を苦と捉える根本思想や、ショーペンハウアーが「生の否定」として提示した哲学にその原型を見出すことができる。また、文学の領域では太宰治や坂口安吾の作品に通底する、生への根本的な懐疑として共鳴するものがある。彼らは皆、個々の不幸や過ちの背後に、「存在することそのものの不条理」というより深淵な問題を見据えていた。

しかし、この思想を多角的に評価するならば、いくつかの重要な論点が浮かび上がる。第一に、これは「生まれることへの同意」を前提としていない人間存在に対する、倫理的な抗議の表明でもある。生の肯定も否定も選択できないままにこの世に投げ出された人間の、根源的な無念がここには込められている。

第二に、この思想はある種の思考実験として機能し得る。もし「生まれてきたこと自体」が最大の過ちであるなら、人生で遭遇するあらゆる困難は相対的に小さく見え、逆説的に生きることへのプレッシャーを軽減する効果もあり得る。つまり、絶望の極点が、かえって現実を生き抜くための奇妙な解放をもたらす可能性を秘めているのである。

第三に、この主張は他者との関係性を完全に排除した、極めて孤独な認識である。なぜなら、「生まれてきたこと」を過ちと感じる主観は自己完結的であり、他者の存在や社会との関わりをその判断に組み込む余地がない。これは共同体や関係性の中での生の意味を問う視点が欠如している。

最終的に、この思想が提起する最も重要な問いは、「ではなぜ、それでも私たちは生き続けるのか」という逆説である。生そのものを過ちと断じながら、なお呼吸を続け、思考し、時に笑い、愛そうとする人間の姿こそが、この思想に対する最も深い応答なのかもしれない。生の肯定も否定も超えて、ただ「そこにある」ことの重みを、この思想は逆説的に浮かび上がらせているのである。

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[完]
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GRAVITY1
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