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花の名

新築一戸建て
プロローグ
某月某日午後八時。マルリアナ王国国立魔術研究所、通称魔国研は安寧みと静けさに包まれていた。
本日は国軍調査部隊の出動日。即ち大規模転移魔術の使用が命じられる日なのである。普段は好き勝手に研究を進めている研究者たちも、この日だけは魔術発動の準備に駆り出されるのだ。
彼らは現在、魔術式の最終確認のため魔法陣の描かれ第一式屋外典場に赴いている。
その後は見送りが終わるまで待機し、それが終われば魔力を術式に流し込む。帰還用術式の設置についての確認が行われ、国王のありがたいお言葉を賜った後ようやく解散である。
彼らが研究所に戻るのは午前0時を周った頃になるだろう。
(…平穏って、素晴らしかったんだな)
台風の目のいなくなった研究所、式典会場の見通せる窓際にて青年は小さく息を吐いた。
彼の見つめる窓の先では、指先ほどの大きさとなった研究員たちが般若の形相で術式のチェックを行っている。
彼はそれを見て笑みをこぼした。肩が小さく震え、一括りにした暗紅色の髪が揺れる。
錦織真冬は少々特殊な経歴を持つ研究員助手である。
真冬が特殊と言われる所以はひとえに真冬の補佐する研究員にある。
その研究員の名はアルフィー・ヘイズ。
高校、大学を飛び級してきた新進気鋭の大天才であり、足元がクラクラするほどの総資産額を持つ良家の4男である。
長男が成人し跡継ぎが確定した後、何の責務もなく義務もなく、ただただ愛し合った結果生まれたアルフィーを、両親は心底可愛がった。
それはもう生糸でくるんで上等な木箱にしまい込んでしまわんばかりの溢れる愛をもって、全身全霊をかけて甘やかした。
だからまだ成人もしていない愛息子をなんの護衛もなしに研究所に押し込めるなど、たとえ本人が望んでいたとしても看過できる話めはなかったのだ。せめて一人、護衛をつけたい。
だが、国立研究所内には国家魔術師以外の立ち入りが禁じられている。そして彼らは国に忠誠を誓っており、金で動くような存在ではない。
そこで白羽の矢が立ったのが、当時、軍学校魔術部に通う国軍専属魔術師候補であった真冬である。
家が、身寄りがなく、しかも未成年だった真冬に、その高額な依頼を拒むことはできるはずもなく、真冬は卒業と同時に魔国研への就職を確定させられてしまった。
そして現在、真冬はアルフィーの護衛として勤務している。研究所で働く以上、儀礼的に研究員助手と名乗ってはいるが実質アルフィー専属の召使いだ。
(最ッッッ高にピースフル…)
真冬は両脇に据えた松葉杖を見つめながらそう考えた。
これは、先日アルフィーの魔法陣実験につきあわされた結果の産物である。
最後の最後で魔力の調節をしくじったアルフィーに対してさ、真冬は今回ばかりは感謝していたりする。
なんてったってお留守番。あのナチュラルボーンマッドサイエンティストどもから離れられるのだ。その上、馬鹿みたいにしんどい大規模転移陣への魔力供給もサボれるのである。
大金をはたいても手にしたい境遇であることは確かだ。
それにしても気分が良い。
真冬は楽しげにコテンと首を傾げ、躑躅色の瞳を細めた。
罪の意識も感謝もなく常日頃から自分を振り回す者共が四苦八苦する中、空調のよく効いた室内で見上げる空ほど清々しいものはないのだ。
ほんの少し下を向けば激務に追われる研究員たちが見えるというのも高得点である。
唯一のマイナス点は本日は星の|ほ《・》の字も見えないほどの曇り後曇りである。が、そんなことは気にならない。
厚塗りの黒が敷き詰められた空は大いなる旅立ちに相応しくないが、憂鬱な長い長い出張の始まりにはこれ以上ないほどピッタリである。
真冬は遠く続く暗い空に、あの緑に覆われたかつての大国を思った。
懐かしい気持ちとともに僅かな寂しさと呆れが胸を掠める。
マルリアナはどうしてもこの長期出張を華々しいものだと示したいらしいが、もうさすがに無理があるだろう。
(アホらし)
溜息とも笑いともつかない息が溢れた。
どちらかというと政府側である真冬ですらこの反応なのだ。世間がこの定期調査をどう思っているかなど、分かりきった話である。
せめてもう十年ほどならいざ知らず、昨今の国民たちの意識は既に大和国から遠のいているのだ。
大和国崩壊、ゾンビ化症候群、感染症。
約四十年前、世間の話題はそれらで持ちきりであった。
突如発生した謎の病に、各国は大いに恐怖、警戒し、大和国へは数多くの精鋭が調査団として贈られた。
(|だった《・・》。いつのまにか過去形になってら)
真冬は髪を指先に巻き付けながら、時の流れを思った。
結局、誰もが自分以外に興味はなかった。それだけのことが途轍もなく愉快に感じられるのは長所と言えるだろうか。
『ゾンビ化症候群は感染者の体液を体内に入れない限り感染しない』
この情報がマルリアナに持ち込まれたのは、調査開始から僅か3ヶ月のことだった。
高頻度の調査は病原体の感染力の低さを露呈させるには十分すぎたと言えるだろう。
情報が民衆の間に知れ渡るのにあまり時間はかからなかった。
彼ら彼女等は、自らに影響のない物事には興味がない。
結局、ゾンビパンデミックが残したものは、陰謀論の種と崩壊した一国、そして義務的かつ事務的に行われるやる気のない大和国の定期調査のみであった。
そして、数十年前のお偉いが義務付けたこの形式だけの調査に毎年巻き込まれるのが、国軍魔術師であり、魔国研であり、現在のお役人なのである。
つまるところ、現在大和国調査に関わる者は皆、上も下も平等に被害者なのだ。
(私を除いて皆被害者。気分がいい)
巻き付けていた髪から指を引き抜いた。パラパラと暗い赤の装甲が崩れていく。
それを見つめながら、真冬はうっそりとした笑みを浮かべた。
身分差のない被害者の会を上から眺めていられるというのは、激務により性格が歪んだ真冬にとって最高の酒の肴なのである。
一応勤務時間であるため酒は飲めないが、せめて目に焼き付けておかねばならない。
今晩は最高の思い出を肴に一人晩酌をする予定なのだ。
真冬は基調な一人時間を充実したものにすべく、両目を中心に身体強化をかけながら窓の外に意識を集中させた。
この男、地獄みたいな趣味嗜好にガチで取り組んでいる。
薄く魔力を帯びた双眼は、さして迷うことなく、ガラス越しにお目当ての色を見つけ出した。
動くたびに揺れる、腰まで伸びたターコイズブルー。
真冬の仕える男、アルフィー・ヘイズの最大の特徴である。
自然と目を引くそれは、視力を強化せずとも簡単に見つけることができただろう。
敢えて身体強化を使ったのはアルフィーの苦しむ顔の解像度をあげるためである。
望まぬ労働に苛立たしげに歪み眉の動き、腹立たしさを隠しもしない仕草、それらすべてが最&高だ。
当然、それを特等席で観察している真冬の機嫌は最高点に到達する。
「……はあ゙?」
なんてことはなかった。
そう簡単に憂さを晴らせたら、真冬の性格はここまでの歪みを見せることはなかっただろう。
誰も居ないとはいえ、仮にも職場で出して良い声ではないであろうドスの効いた声が研究所に響いた。
声の主は勿論真冬である。
窓越しに見下ろすあんにゃろうは粛々と作業する同僚たちからスッと離れ、涼し気な顔で彼らから死角となる影の方へ歩いていく。
そう、アルフィー・ヘイズ。この男、サボっているのである。
真冬は強く目を瞑り、軽く擦り、また開いた。そしてもう一度アルフィーの状態を確認する。
窓越しに見下ろす怠慢傲慢あんにゃろうは建物の影となるそこで、ぐーっと伸びをしていた。
やはりアルフィー・ヘイズ。この男、サボっているのである。
真冬はこの状況を否定することをあきらめた。
望まぬ状況に眉が苛立たしげに歪む。ガシガシと乱暴に頭を掻きながら、真冬は考えた。
(あんの下痢ピー野郎、今度は何しようとしてやがんだよ…)
アルフィーはただサボるために人の目を逃れたのではない。
これは、あの男の無茶苦茶の後始末をさせられ続けた経験が導いた予測である。最早確定事項と言っても過言ではない。
それぐらい、真冬はアルフィーの尻を拭い続けてきたのだ。2年間の付き合いは決して軽くない。
嫌気のさす確信を胸に真冬は魔力の巡りを速め、アルフィーの手元を凝視した。
何をするにも研究。とりあえず魔術。3度の飯は要らぬ。|魔国研《ここ》はそんな頭のネジに欠陥の見られる阿呆の集まりなのだ。
アルフィーも例に漏れないくるんちゅである。寧ろ代表格とも言える存在だ。
Q,そんな人間が仕事から逃げ出して何をするか
A,確実に魔術関連である
アルフィーの魔術がどれだけの被害をもたらすかは分からないが、魔術式から魔術の系統を導き出すことができれば、後々の復興作業は幾分か楽になるだろう。
(さっさとしてくれよバカなのか)
頬に涙が伝う。
何一つ見逃すまいと開かれ続けた瞳は限界まで乾燥しきっていた。
起こして欲しくないはずの厄介事の催促をしてしまう程度に、真冬の精神はもうギリギリであった。
そんな苦労は知るはずもない。アルフィーの動きはゆったりとしたものだった。
見られているなんて、微塵も考えていないのだろう。
アルフィーは辺りを気にする様子もなく、腰に下げたポーチから杖を取り出しそのまま宙に魔術式を描き始めた。
1文字1文字、丁寧に式が紡がれていく。
鈍く光るそれが完成に近づくにつれ、真冬の心を占めていた怒りは焦りと驚きに塗り潰されていった。
知らない式である。別にそれはいい。
想定の範囲内であるし、文字の並びや種類からおおよその効果は想像できる。
問題はその式に含まれる文字が空間系、加えて言うなら長距離転移魔術に使われるものであることだ。
「マズい……ぅぎゃっ!」
真冬はアルフィーの件を報告するため、勢いよく駆け出し、盛大にコケた。
松葉杖の状態で走ろうとしたのだ。当然である。
「ばかぁ…」
この状況で転んだ自分と、この状況を作り出した男へ向けた言葉である。
包帯で固定された右足が強く痺れる。すぐに痛みが追いつくことが容易に想像できた。
真冬はスンと鼻をならしながら淡々と立ち上がった。痛みを訴える右足に構っている暇はない。
今日のこの時間帯は式典の準備が立て込むから、という理由で敷地内の連絡魔術は封じらわれている。
自分の足で、直接伝えなければならないのだ。事態は刻一刻を争う。
アルフィーの様子に他の研究員は気がついていなかったのだから。
あの規模の魔術式を展開していたというのに、空気中の魔力の動きに気が付かないわけがない。
奴は魔力の隠蔽に重点を置いた目隠の魔術をあらかじめ自分にかけておいたのだろう。
真冬は慣れぬ松葉杖で懸命に歩を進めた。
アルフィーは本気で事を進めている。急がねば間に合わないし、急いでも間に合うかどうかは怪しいだろう。
現在の最高速度。杖が食い込み、地味に脇が痛む。入念に布が巻いてあるとはいえ、痛いものは痛いのだ。
真冬は鼻を啜り、泣きたい気持ちを抑えた。今泣いてしまったら後で流す分の涙が尽きてしまうと思ったからだ。
予想が当たっていれば、アルフィーは法を犯している。それも、中々に罪が重くなる部類のものを。
護衛兼助手という立場である真冬は、当然のように詰められることになるだろう。
そうならないことを祈り、それと同時にこれは無駄な行為だと頭の隅で俯瞰しながら、真冬は廊下を進んでいった。
以前から匂わしてはいた。行ってみたいと言っていた。
だが、普通は冗談だと思うだろう。真冬も下手なジョークだと流していた。
本気でやるバカなんて、いない、はず、だ。恐らく。
アルフィー・ヘイズ、|大和国《ゾンビのくに》へ不法入国。
数日後の一面を飾るであろう一文を思い浮かべ、真冬はブルリと体を震わせた。
(そんなわけないよね。そうだと言ってよ。ね、博士?)
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