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中国語/中文の星
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文房具の星
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皆様の日常に当たり前のようにある文房具。
そんな文房具で日々に彩りを与えてみませんか?
この星ではそんな文房具の素敵な部分を発信していけたら嬉しいです!!可愛かったり綺麗だったり、素敵だったり、オシャレだったり!!皆さまが見たこともない文房具もたくさん投稿していけたらと思います!!
そして文房具好きの皆さまが自分の推し文房具を布教できる場所になったら嬉しいです!!
文房具好きの皆さま、またあまり文房具に興味がなかった方!!
ぜひこれを機会に文房具の世界に足を踏み入れてみませんか?
申請していただければどなたでも星の住民になれます✨✨✨
どうぞよろしくお願いします!!
手書き文字
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お気楽、お手軽に
書画同源。
囚われなく自由なあなたの手描き文字を待ってます✨
筆、ガラスペン、万年筆、鉛筆、ボールペン、マジックなんでも
『上手く書く事より楽しく書く』
よろしくお願いいたします
心療内科、精神科の星
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惑星へようこそ。同じ悩みの方々と共有したいと思いこの惑星を作りました。
国内ドラマの星
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文ストの星
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文スト好きな方なら誰でも搭乗可能であります!
兎に角文スト好きだよー!って方が来てくださると嬉しいです!
脳内ぴんく🧠🩷の星
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脳内ぴんくな人おいで🧠🩷
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みんなに迷惑かかります
他当たってね〜
文鳥の星
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手のひらサイズの愛すべき存在!
自己受容の星
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ここが、誰かの居場所の一つとなりますように。
自己受容とは自分をそのまま受け入れること。
「そのままの自分を受け止める、癒す」
「自分と向き合って気づいたこと」
「自分は、こう思った。こう感じた」
「自分はこういうのが好き」
など、自分自身が感じたこと、心に浮かんだこと、ふと気づいたことなどを、何でも気軽に自由に投稿できるような星、あたたかい星にしたい。
手書き文字の星
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日記やその日の出来事、想いを文字で書いて投稿する惑星です📝
みなさんの想いのこもった投稿を楽しみにしております🤍
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朝、目が覚めた瞬間に手がスマートフォンの位置を探してしまうのは、通知が欲しいからというより、眠っていた数時間のあいだに世界が勝手に進んで、僕だけが置いていかれているかもしれないという焦りを確かめたいからで、僕はそれを「情報収集」みたいな言葉で薄めようとするのだけれど、薄めたところで不安が消えるわけじゃなく、むしろ薄めたぶんだけ自分の感情がどこにあるのか分からなくなる。
タイムラインを開けば、誰かが怒っていて、誰かが笑っていて、誰かが説教をしていて、誰かが沈黙していて、そしてその沈黙でさえ「何も言わないのはおかしい」という別の言葉に変換されてしまうのを見て、僕はいつも一歩遅れて「また始まっている」と思うのに、次の瞬間には「でも今回のこれは、さすがに」と思ってしまい、その「でも」が自分の中にあることを知っているせいで、僕は自分の感情を信用できなくなる。
分断がいちばん厄介なのは、相手が完全に間違っているとは言い切れないまま、こちらも完全に正しいとは言い切れないまま、それでも「どちら側か」を要求してくるところで、事実と推測と経験と恐怖と正義が一つの投稿に折り畳まれて流れてくると、反射的に反応したほうがその場を生き延びられる気がして、考えた末の言葉より、考える前に出る姿勢のほうが評価されてしまう。
意見が交わされているように見える場所で、実際にやり取りされているのは内容ではなく、その人がどんな人間か、どんな側に立っているか、どんな敵を持っているかというラベルで、言葉は議論の道具というより、身分証明書のように扱われ、身分証明書を出せない者は最初から存在しないものにされる。
だから、人は少しだけ言葉を強くするし、少しだけ断定するし、少しだけ冷たく言い切ってしまうし、その「少し」は本人の中では自衛の範囲に収まっているつもりなのに、別の誰かから見れば刃の角度になっていて、その角度が積み重なった結果として、世界の温度がゆっくり下がっていくのを、みんなが同時に感じているのに、誰も「温度を戻す方法」だけは持っていない。
炎上が起きるたびに、僕たちは「よくない」と思う、思うのだけれど、その「よくない」は「これを止めたい」という意思とは別のところにあって、止めるより先に、自分が巻き込まれない位置を探してしまうし、巻き込まれない位置に立つには「何かを言う」か「絶対に何も言わない」かの二択になりがちで、その二択に追い込まれる時点で、もうすでに息苦しさが完成している。
そしてさらにややこしいのは、SNSがなければこの息苦しさがなかったかというと、そうとも言い切れないところで、僕は時々、SNSがなければ今の孤独はもっと直截に、もっと隙間風みたいに自分の中に吹き込んできて、耐えられなかったかもしれない、という考えに行き着いてしまうから、ここは逃げ場でもあるし檻でもある、という当たり前の結論のまま、僕はどちらも否定できない。
「分かってるんだけどね」という言葉が頻繁に使われるようになったのは、みんなが本当に分かっているからで、誰かを傷つけることも、傷つけたくないのに傷つけてしまうことも、正しさが簡単に暴力に変わることも、怒りが燃料として循環してしまうことも、ここで言葉を選ぶのがどれほど難しいかも、そして選べない者がどれほど簡単に切り捨てられるかも、知っているからこそ、その知識を免罪符にするしかないほど疲れている。
みんな気づいている、というのは、つまり、みんなが薄い罪悪感を持ちながら続けている、ということで、続けているのは悪意があるからじゃなく、生活の一部になってしまったものを今さら外せないからで、外せないのは依存のせいだけではなく、外した瞬間に「世界から落ちる」感覚があるからで、落ちるのが怖いのは、誰も受け止めてくれないことを知っているからだ。
画面を閉じても、世界は終わらない、というより、画面を閉じた途端に、世界がどこにあるのか分からなくなるような不安が来るから、僕たちはまた開いて、また見て、また「こんなはずじゃない」と思い、また「でも」と思い、また次の話題に流されていくのだけれど、その流れの途中でこぼれた人のことだけは、流れが止まらない限り拾えない。
SNSは僕たちを悪くしたのではなく、僕たちが元々持っていた不安や孤独や正しさへの渇きや、誰かに見つけてほしいという願いを、あまりに効率よく、あまりに手軽に、あまりに切り取りやすい形にしてしまっただけなのかもしれなくて、だからこそ僕たちは「分かっている」のに、ここで生きるしかないと思ってしまう。
そしてその「分かっている」が、なぜか最後の逃げ場になってしまっていることまで含めて、たぶん、みんな分かっている。
ねねねねね ᙏ̤̫
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