関連惑星
島根県の星
919人が搭乗中
参加
お月様が好きな星
342人が搭乗中
参加
お月様の優しい光に癒されますように🌙*·̩͙
写真やイラスト
お月様に関する話や音楽などでもOKですฅ''
岐阜尾張、仕事の星
254人が搭乗中
参加
岐阜尾張仕事の星にようこそ🌟
私は自営業で2社と運送業の会社の管理職をしてるおぢです。
2ヶ月で自動車移動1万キロ達成😭
大阪〜愛知〜神奈川、埼玉を行き来してます。
全国の方に岐阜尾張地区の独特の文化や事情などを知って頂けると嬉しいです。
また道中ふらっと立ち寄る店やサービスエリアの画像を上げてくれるところから交流も出来るかな
基本的には岐阜愛知の地域性のある発信ですが中でも仕事について話したい。
現場の求人、どこに就職していいかわからない求職者、真剣に婚活したい男女国内外対応、各種専門サービス、占いで人生の方向決めたいなどなどグラビティ内外で沢山知っています✨
そして岐阜、尾張にお住まいの方や飲食店の方特に宣伝してもらって大いに使って下さい。
みんなが聞きたい情報交換に使って下さい。
また飲食店のみならず運送業、建築関係、工場勤務などの現場仕事の話もしたいと思います。
主にのいいねとコメントやDMあったフォロワーの方はコメント相互と頂いた方には必ずフォローさせて頂きます😊
どうか一緒に盛り上げていって下さい✨
最後までご覧頂きありがとうございました♪
月見さん観測の星
130人が搭乗中
参加
月見さんがここで遊ぶ!
広島県福山市.尾道市の星
122人が搭乗中
参加
福山や尾道の情報交換しましょう!
ご挨拶していただけるとありがたいです🎶
月の星
113人が搭乗中
参加
月好きの月好きによる月好きの為の惑星
超早起きの星
77人が搭乗中
参加
《超早起きの良い点》
・他人の都合に振り回されにくい時を過ごせる
・夜明けを、朝を爽やかと思える☀️🌱
・移動時の混雑・渋滞を避けやすい🚃🚗✨
・静かな時間を手に入れられる
・結果としての早寝が深い睡眠に寄与しやすい
・1日の最初にコンディションを整えてスタートできる😌
・常識を越えて好き寝好き起きに進化する
オプション
・(一部の契約者は)超安価な深夜電力を使える💡
・朝湯を楽しめる♨️
尾崎豊の星
60人が搭乗中
参加
根性論の星
48人が搭乗中
参加
月曜日の星
42人が搭乗中
参加
げつよつび。
人気

烏賊乃塩辛
回答数 35>>



さと
2025年9月20日~22日、剱岳(早月尾根ルート)に挑戦!
初日・2日目は雨天でしたが、最終日に天候が回復し、無事に登頂を果たしました。
山小屋2泊。自炊にて食事を準備。ホットケーキ、フレンチトースト、パスタ等を作りました。
荷物が山小屋2泊にしては多かったのでガイドに笑われてしまいました。パッキングは要改善です。
夜間の冷え込みで、気温は氷点下まで降下。葉に降りた霜や、霜柱が出来てました。ふわふわの白い綿毛の様で綺麗でした。
登山中、初めてクロマメノキを発見。ブルーベリーに似た黒い実を付けています。多分美味しい。
また、大好きなライチョウにも遭遇。晴天時に見かけるのは稀であり、貴重な体験となりました。
グラビティ写真載せれる用が少なすぎて辛い
#登山 #剱岳 #早月尾根









岩
チンネ左稜線を登りに行く日がきました
馬場島の駐車場に着いたのは
8/2 1:30
今回てっちゃんにバディを頼みました
ザックは2人とも60Lで23kg
水は4L
少し準備して2:00に登山開始しました
めちゃくちゃ眠いし
めちゃくちゃ蒸し暑い
アプローチには
剱岳の早月尾根ルートを使いました
早月小屋に着いたのは7:00でした
まだ半分くらい
脚がすでに終わりを迎えそう
まずは剱岳ピークを目指します
#剱岳
#北方稜線
#チンネ左稜線
#早月尾根





サル男
試練と憧れ〜の早月尾根。
試練好きな俺なのでこの道を・・・。










サル男
試練と憧れ〜の早月尾根からだ。
世界は美しい・・・。

岩
めちゃくちゃ疲れた
チャンカレ食べて帰ります
#チャンピオンカレー
#剱岳早月尾根
#北方稜線
#チンネ左稜線


タカ
剱岳、に行ってきました
北アルプス3大急登の早月尾根ルートから
登山口からすぐに急登が始まって
それが山頂まで…
甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根よりキツかった気がする…
天気もそこまで良くなく、山頂付近は真っ白
最後に晴れて顔を出してくれたのは良かった
リベンジかなぁ。。
#登山
#










たか
なかなかのハードコースでしたが、無事下山⛰️
山登りって凄いですよ
丸2日ちょっとで120,00kcal消費🔥。脂肪換算で約1.5kgも燃やしてしまった計算です
日々ダイエットに勤しむ皆さま、一度山登りはいかがでしょうか🧗♂️?


朝から
尾根ショタ
尾根尾根
もっとみる 
関連検索ワード
新着

またんぎ
1. 権現山の基本事実と地理
まず、対象となる山の物理的な事実関係を明確にします。
所在地: 福岡県北九州市八幡東区大字市瀬(および大字大蔵)
標高: 617メートル(隣接する皿倉山の622メートルよりわずかに低い)
地形: 帆柱山系(皿倉山、権現山、帆柱山、花尾山など)の一部を構成しています。山頂部分は平坦ですが、これは自然地形ではなく、第二次世界大戦中に軍事要塞(高射砲陣地など)として使用するために、山頂を約5メートル削り取って整地したという歴史的事実によるものです。現在は広場として整備され、北九州市の通信・放送局の中継局(パラボラアンテナ等)が設置されています。
2. 山名の由来と「鷹見神社」の関係
「権現山」という名称は、特定の個人の想像ではなく、明確な宗教的背景に基づいています。
由来: この山の山頂(および中腹)に、市瀬地区に鎮座する**「鷹見神社(たかみじんじゃ)」の奥宮(上宮)**があることに由来します。
権現とは: 鷹見神社は、かつて修験道の開祖とされる役小角(えんのおづぬ)が熊野権現(熊野三山)を勧請したと社伝に残されています。かつて神仏習合の時代に「鷹見大権現」として崇拝されていたことから、この山が「権現山」と呼ばれるようになりました。
旧称: それ以前は「鷹見山(たかみやま)」や「杉山(すぎやま)」と呼ばれていました。
3. 神功皇后伝説と地名の関連
この地域には、神功皇后の三韓征伐にまつわる伝承が数多く残り、地名の由来となっています。権現山周辺の事実は以下の通りです。
① 「皇后杉(こうごうすぎ)」の真実
権現山の北斜面には「皇后杉」と呼ばれる杉の巨木群があります。
伝説: 神功皇后が船の「帆柱」を作るために、この山から木を切り出したという伝承があります(これが「帆柱山系」の名前の由来の一つともされます)。
事実: 現存する「皇后杉」と呼ばれる杉林は、当時のものではありません。植物学的な調査および藩の記録によると、これらは江戸時代(約250〜400年前)に福岡藩(黒田藩)が植林政策として植えたものです。しかし、その名称は神功皇后の伝説に敬意を表して名付けられ、現在も北九州市の貴重な自然資産として保護されています。
② 「皿倉(さらくら)」と「更暮(さらくれ)」
権現山と尾根続きの皿倉山の名前も、神功皇后の行動が由来とされています。
伝承: 皇后がこの山に登り国見(地形の視察)を行った際、下山する頃には日が暮れていたため**「更に暮れたり」**と言ったとされます。これが「更暮山(さらくれやま)」となり、転じて「皿倉山」になったと伝えられています。
関連地名: 山頂付近にある「国見岩」は、皇后がそこに立って遠賀・洞海湾方面を眺めた場所とされています。
③ 「市瀬(いちのせ)」と鷹見神社
質問にある住所「市瀬」は、権現山の麓に広がる谷あいの地区です。
神功皇后との直接的な地名由来: 市瀬という地名そのものが神功皇后の言葉に由来するという直接的な記録(例:「一の瀬」を渡った等)は、主要な風土記等では確認されません。一般的に「イチノセ」は「川の早瀬」や「神聖な場所への入り口(一の瀬)」を意味することが多い地名です。
関係性: しかし、市瀬にある鷹見神社は、神功皇后伝説と深く結びついています。社伝によれば、神功皇后がこの地を訪れた際、戦勝祈願や祭祀を行った場所に関連するとされ、地域全体が皇后の遠征ルート上の重要な拠点として認識されています。
4. まとめ:事実と伝承の境界線
八幡東区市瀬の権現山について、憶測を排してまとめると以下のようになります。
歴史的事実: 山頂は戦時中に削平された要塞跡であり、現在は鷹見神社の奥宮が鎮座する信仰の山である。
名称の事実: 「権現」は鷹見神社の祭神(熊野権現)に由来する。
皇后杉の事実: 名前は伝説に由来するが、実体は江戸時代の黒田藩による植林である。
地名の背景: 周辺の「帆柱」「皿倉」は神功皇后の伝説(帆柱の調達、国見の逸話)が地名起源として定着しているが、市瀬そのものは鷹見神社の鎮座地(神域への入り口)としての性質が強い。
この山は、単なる自然地形ではなく、古代の伝説(神功皇后)、中世〜近世の信仰と産業(修験道・植林)、そして近現代の戦争(要塞化)という、日本の歴史の層が積み重なった場所であると言えます。

最強太郎vs化身仁

とぅーるくん
どえりゃあ疲れてやきとん&ホッピーなう
#カロリーコントロール #初動負荷 #低山ハイク #ホッピー #やきとん







甲斐性無しの甲斐の人
豊臣兄弟ゆかりの(?)鎌刃城!
(何でもゆからせとけばいいと思っている)
土肥氏もしくは堀氏の築城とされる。
この地域は鎌倉時代に所領を与えられた土肥氏が相模から移り住んで以来、土肥氏の勢力が根付いていたが、戦国時代までには堀氏が取って代わっていたそうだ。
戦国時代には六角氏、京極氏、浅井氏、織田氏などがこの城をめぐって攻防を繰り広げた。
織田氏と浅井氏の戦いが激化すると、城主の堀秀村は織田氏側につき浅井軍の猛攻を受けて落城するも、浅井氏が滅ぼされると城主に返り咲いた。
ただ堀氏はのちに越前一向一揆との戦いで勝手に和睦したとして改易され、この城も廃城となった。
麓はかつて番場宿という宿場町として栄えたらしい。
竹林の登城路を登っていくと、城跡のある頂上に近づくにつれ雪が積もっており、足場もだんだんと悪くなっていく。
斜面が崩れることを防ぐために築かれたとされる大石垣も登城途中で観ることができたが、私は足場の悪さでビビり散らかしながらの観察になった。
北郭にたどり着くと石垣でつくられた虎口や、これまた不安になるような木造の展望台などがある。
そこからさらに進むと北郭の虎口以上に迫力のある石垣づくりの虎口を備えた主郭にたどり着く。
このあたりから積雪量が多くなっていたが、まだ先人の足跡があったためそれを頼りに南郭と進んでいくとさらに積雪量が増え、さすがにすべては周れずに撤退した。
ただ南郭から見た細尾根との間にある大堀切は大迫力だった。
細尾根の先には滝があるらしく、そこから城内へ水を引き入れていたらしいので、雪のない時期にまた行くことがあれば見たい。
#一日一城









もっとみる 
