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めんちかつ

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🤯 哲学と生存戦略:多様性を阻む「明治の遺産」と「行動する勇気」

🤝 私の未来の「当たり前」:多様な個人が共存する社会の到来
 私の未来の当たり前にしたいことは、ひとりひとりが多様性を認め、共存できる社会が到来することです。

 私は日本の伝統と、私たちが持っている価値観をとても尊重しています。しかし、明治維新から時がかなり経ち、当時の状況とそぐわず、変革のために行った当時の改革などが、かえって私たちが現代的に生きる上で足かせになっている面が多くあると考えています

⛩️ 明治の改革が生んだ「足かせ」としての家族制度
 その一つが日本の家族制度です。当時は家制度を中心とした明治民法の影響の強かった家族形態が成立したと思います。具体的には戸籍制度などがその一例です。

 私は戸籍制度や家制度そのものが悪かったとは思いません。しかし、当時は富国強兵政策など、西洋に対して近代化を推進するうえで、家族やそのほかの社会制度も政府の強権を支えるための、なかば原動力としてつくられ、戦後に外国と戦争するとか、欧米の植民地化から日本を守るとか、ある意味での大義名分がなくなってしまったのにも関わらず、仕組みや制度自体が法律の名前を変えて存続し、現代の日本人はそれにがんじがらめになっている、そんな感じがするのです。

⚖️ 夫婦別姓・戸籍制度への反発と「大和魂」の過剰な関連付け
 たとえば、最近夫婦別姓制度とか、戸籍制度そのものに疑義を呈する方たちがいて、それに対する反発がありました。日本の多くの人たちが、夫婦別姓制度を導入したり、戸籍制度を改めると、それまで私たち日本人が大事にしていた価値観、大和魂や、武士道、あるいはおよびにおよんで天皇制度や国体にまで影響してしまうというおおげさな議論もあります。

 しかしながら、これらの制度を改正することにより、日本の社会にとって良い面でのメリットはあると思います。

🚺🚹 社会的強制力としてのジェンダーと生きづらさ
 まず、アジア人からも批判されているのが日本社会におけるジェンダーの強さ、これは男性は外で出て働き、女性は家庭を守るとか、そういう基本的な家族のあり方にも影響しておりますが、男性はこういう生き方をしろ、女性はこういう生き方をしろとか、少し日本のいつも手本にしている欧米とは違った社会的強制が現代日本にはあると思います。もちろんそのすべてが法律から来てるものではないけれども、教育とか、それに対するメディアの影響はとても大きいと思います。

 これは推測の話ですが、もしかしたら現代の日本の大きな問題である、不登校やひきこもりの問題も、こうしたこうあらねばならない的な、ジェンダーとか、何らかの価値観の影響で、子供たちが自信を失い、外に出ることを忌避(きひ)し、引きこもったり不登校になるのかもしれません。

 私は極端なジェンダー論者ではありませんが、男の子がスカートを履いても良い、男の子がサッカーよりもおままごとをしても良いとか、小さいうちから少なくとも趣味とか食べる料理とか、外見とか、あらゆること全般にわたってあれはだめ、これはだめと言われない世の中が正しいと思っています。
*例えばラーメン屋に女性が一人で食事をしに来てもいいじゃないですか。

🌟 困難を乗り越える「未来への楽観」の重要性
 私は不登校や引きこもりの気質が小さい時からとてもありましたが、学校に行かなくなったり、外に出ることができなくなったりはありませんでした。それはひとえに太陽を愛していたこと、そして人間不信論者でしたが、最終的には愛だとか、友情とか、人間を愛していた、人生を愛していたからではないでしょうか。もしも小さい時に、将来大人になると病気になる、仕事もなくなる、結婚もできないだろうなどと未来の私に言われていたら、ひきこもってたかもしれないし、自殺していたかもしれません。人間にはある意味未来への楽観がなければ生きていけない、私はそう実感しています。

🌎 多様性としての外国人:アジアへの「近くて遠い」感情
 さて、話を多様性の話に戻そうと思います。現代において多様性とは、なにもジェンダーだけではなく、外国人の存在があると思います。東京や京都、大阪など、観光地は外国人が押し寄せ、地方の自治体にもかなり多くの外国人たちが働きに来ています。おそらくは最近まで、外国人というと欧米人のみをさし、日本にとって韓国とか、中国とか、同じアジアの外国人というのは顔や体は似てるけれども、なんというか、近くて遠い存在でした。まだ深く差別感情を持っている方もいます。その同じ東アジア、儒教文化圏の外国人に対して持っている複雑な感情は、太平洋戦争、保守の方に言わせると大東亜戦争の傷跡が深く今の日本人にも残されているからだと思います。

🗺️ 島国根性の裏返し?日本人の「自己否定」としての海外論
 日本と日本人にとって海外とか、外国というのは自ら否定する、自己否定の概念だと先日亡くなったドイツ文学者の西尾幹二先生がおっしゃってました。確かに日本人が、たとえば海外だとこういう習慣があるとか、外国だとこうだとか語るときは、私たちの手元にあるなんらかの文化や価値観を否定する時にそういう話題を使うのであり、もっといえば、自称国際人たちにとっての外国とは西洋人、白人のそれをさしているのであり、それを取り上げる人たちはどこか彼らに対してまだ劣等感がある。それは有色人種としてのプライドや誇りとか、そういうのにも関連していますし、日本という島国に生まれたからこその、いわゆる物事が世界規模で客観視できない、島国根性の裏返しとすら私は思います。

📚 比較文化論のジレンマ:西洋を「鏡」とした自己理解
 私は若い時期に大量の本を読みましたが、大半が比較文化論に関する本でした。中根千恵、会田雄次、西尾幹二、中島義道らどの人たちもイギリス、古代ローマ、ドイツなどを彼らは語ります。
 
 しかし、比較文化と言っても西洋と比べたうえでの比較を語る、今思うと彼らは自覚がないにしても西洋主義者なのかなと思います。彼らが外国のことを口に出すのに、その大半が欧米のことですし、よく観察してみると、欧米と言ってもアメリカ、カナダ、オーストラリアなどの国について語るのはとても少ない。西尾氏は反米の政治路線を語ることもありましたが、その思想は深くヨーロッパから来ているものであり、ショーペンハウアーの訳者とはいえ、彼がインド主義者だったとか、アジア主義者だったという感じは持てません。

 こう語ってしまうと、これらの本を読むのはたいそう無駄なことだったのではないかとも私は思います。しかしながら、何か特定の文化や思想を語るには、それの鏡となるものが必要なのです。少なくとも比較対象があると、自分の国である日本を語る上でも説得力がある。だからこれらの人々は積極的に欧米から学び、ある時は日本の社会やシステムを批判したのだと思います。とりわけ中島氏と西尾氏の研究対象はドイツ哲学でありましたから、西洋人の考え方を理解するためにも比較文化論的な見地がおおいに必要だったと推察しています。

💡 まとめ:制度の呪縛を解き放ち、多様性を力に変える行動する哲学へ
 日本が近代化のために導入し、戦後も形を変えて存続してきた家族制度や社会的価値観は、現代の日本人にとって「こうあらねばならない」という見えない強制力となり、多様な生き方を阻害する要因となっています。ジェンダーの固定化や、アジア諸国に対する複雑な感情、そして海外を自己否定の鏡として見る視線は、すべて過去の歴史的経緯と深く結びついています。

 戸籍制度や夫婦別姓の議論に「国体」を結びつける過剰な反発は、現代社会に必要な制度の柔軟な変革を妨げ、ひいては不登校や引きこもりといった個人の生きづらさにつながっている可能性があります。多様性を真に実現するには、過去の制度の残滓(ざんし)から来る呪縛を冷静に見極め、伝統の尊重と現代的な個人の尊厳・平等を両立させる、具体的な社会システムの変革を恐れない「行動する哲学」が必要です。

 私たちが本当に守るべきは、特定の「制度」ではなく、未来への楽観と、互いを認め合う共存の精神ではないでしょうか。

#未来の当たり前にしたいこと
#日本の足かせ #家族制度の呪縛 #戸籍制度とジェンダー #夫婦別姓議論 #多様性社会の実現 #自己否定の比較文化論 #西洋主義からの脱却 #行動する哲学


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#西洋主義からの脱却
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塩分

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問い直される自由の境界線:国旗損壊罪という名の危うさ

国旗を毀損する行為は、確かに多くの人にとって不快感を伴うものです。しかし、その感情的な反応と、それを法的に罰するかどうかは、全く次元の異なる議論です。歴史的に、判例や学説は基本的人権の中核をなす表現の自由を極めて重く見てきました。その権利を刑事罰で制限することには、常に慎重な姿勢が貫かれてきたのです。健全な民主主義社会の維持には、多様な意見が自由に交わされる環境が不可欠だからです。

ひとたび規制すれば、社会は一変する

想像してみてください。もし国旗損壊が法律で罰せられるようになれば、どのような社会が到来するでしょうか。日の丸をモチーフにした芸術作品や広告が非難の対象となったり、処罰の対象となる行為がないか互いを監視し合うような、息苦しい空気が蔓延するかもしれません。私たちが当たり前だと思っている自由や権利ほど、一度失ってしまえば取り戻すのは容易ではありません。

国際比較と歴史的背景:複雑な「日の丸」の記憶

世界には、フランス、ドイツ、イタリア、中国のように自国旗の損壊を罰する国もあれば、英国やカナダのように罰しない国もあります。ただ、欧州諸国では欧州人権条約によって表現の自由が強く保障されており、実際に有罪となるのはヘイト目的など極めて限定的なケースが実情です。

また、ドイツが戦後ナチスの党旗を国旗から外し、掲揚すら禁じた事実は重く受け止めるべきです。戦前から使われ続ける日の丸に対しても、国内外には複雑な感情を抱く人が少なくありません。戦後80年を経た今も、日の丸が侵略戦争の記憶や、個人が尊重されなかった時代の暗い影を喚起するという事実は、決して忘れてはならない歴史的経緯です。

権力への異議申し立てという側面

政府が国民統合のシンボルとして国旗を掲揚しようとすれば、その反作用として、特に少数者の側から、政府への異議申し立ての手段として国旗が使われるのは自然な流れとも言えます。そうした動きを法で抑圧する姿勢は、強権的であるとの批判を免れません。

近年の例を見ても、米国ではトランプ大統領が国旗を焼く行為を罰する大統領令に署名したことがありました(なお、米連邦最高裁は国旗を燃やす行為を表現の自由として認める判決を下しています)。香港でも、中国政府への抗議として国旗を燃やした活動家らが相次いで逮捕されています。

民主政治を健全に機能させるためには、国民の自由を最大限保障することが最も重要です。「国家のために個人がある」と言わんばかりに市民の権利を抑制しようとする動きに対しては、私たちは常に強い警戒心を持たなければなりません。
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松尾芭蕉

松尾芭蕉

らしさって無自覚の差別なんだよな
ジェンダーギャップとかまさにこれで、女性らしさ男性らしさを元に作られた社会基盤や構造によってらしさを無意識に強制させられている
これの厄介なことは身体文化になっていることだから変えようと思ったらかなり時間がかかる、国のトップが強権持ってたら即効だろうけど
でもその時代のらしさを否定するわけではない、その時代はそれでよかったしなんなら有利に働いていたこともあるだろうから だかららしさになったとも言える
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ケチャップ

ケチャップ

日本人は残念ながら強い者に圧倒的に弱い傾向にあるから、優秀なリーダーが強権的にまわりを引っ張っていくのが望ましい

みんなで話し合って決めようは向かない
人数が増えても、時間をかけてもいい結果にならない

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comesunday

comesunday

自己犠牲の正義は子ども達に教えるべきか?理由も教えて欲しい。自己犠牲の正義は子ども達に教えるべきか?理由も教えて欲しい。

回答数 44>>

まずは「正義」という「感覚」の共感、体験の機会は得られるようにした上で、自己「犠牲」というより、あえて自分が結果的に他の人より悪い条件の合意を受け入れたり損をしたりする選択肢もあり得ることを意識する体験も、させたほうがいい。

自己「犠牲」は子供にとっては納得感がなく、絶対的な権力者である親が押しつけると強権的正義になってしまい、無駄な世代闘争敵愾心につながる懸念があると思う。そうではなく、自分で考えて、そのように選択することもできる機会をつくるだけでいい。

私は、0歳児のある時期に身体が弱かったらしい。おそらくその反動で、小学校に上がった時分まで、親から、強い子になって欲しいという気持ちで「やられたらやり返せ」的な公平性にもとづく「正義感」を親から植えつけられた。

その影響で、気が強く活発な子供になったが、おそらくADHDの傾向もあって、落ち着きがない子で、暴力的で喧嘩や揉め事を起こしがちだった。小学校に上がると、やられたらやり返せみたいな事は一切言われなくなった。多分、間違ったと思ったんだと思う。

中学2年生の時に起こしたとある問題がきっかけで、「正しさ」や公平性よりも、周囲の状況と自分の能力や立ち位置を踏まえた立ち回りを優先すべきだと自分でふと気付くまで、色々と問題を起こして遠回りをして、結果的に損をしてたと思う。

誰しも自分の正義を疑う事、疑われる事には抵抗を感じるものだし、親の影響で子供の正義感にバイアスがかかることは避けられないだろう。

それでも、歳をとった者は遅かれ早かれやがて必ず踏み台となって若い世代に頭の上を越えて行かれるべきものだという事実を受け入れて、子供がやがて自分で選択してゆく正義が様々多岐にあり得ることを、幼いうちから適度に体験させるのはよい事だと思う。
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斎

大家さんの甥っ子とかいう強権を行使して人と知り合ったことがある
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