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なお
ヤコブの最後の言葉が、すべてを変えた
僕は最近、モーセ五書の創世記を読んでいて、ある一章に立ち止まりました。創世記49章です。ここには、イスラエルの父と呼ばれるヤコブが、死の床で12人の息子たち一人一人に語りかける言葉が記されています。
この言葉こそが、後の「イスラエルの12部族」の起源と言われる部分です。聖書を読んだことがない方にも、やさしくご紹介しますね。
僕が最初に思ったのは、なぜヤコブは息子たちを呼び寄せ、一人一人に違う言葉をかけたのだろう?ということでした。それは単なる父親の遺言というより、まるで未来への預言のように感じたんです。
ヘブライ語から見える深み:部族という言葉の重み
聖書の原文はヘブライ語で書かれています。創世記49章28節には、こうあります。「これらは、イスラエルの部族(שִׁבְטֵי)である。十二である。」(創世記49:28)
ここで「部族」と訳されているヘブライ語は「שֵׁבֶט」(シェベト)です。この言葉、実は「杖」や「支え」という意味も持っています。僕はこの語感がとても好きで、一つの家族、一つの集団が、互いに支え合い、また神によって支えられる「一本の杖」のような存在として描かれているのだな、と感じました。
ヤコブは、長男ルベンから始まり、シメオン、レビ、ユダ……と、12人全員に言葉を贈ります。その内容は、讃えるものもあれば、戒めや警告も含まれています。例えば、ユダへの祝福(創世記49:8-12)は非常に力強く、「ユダは獅子の子」と称えられ、支配者の杖が彼から離れないという約束が語られます。
不完全な人間を通して進む神の物語
12人の息子たちは、決して完璧な人間ではありませんでした。過去には兄弟喧嘩や妬み、過ちもありました。でも、ヤコブはそんな彼ら一人一人の性質や未来を見据え、言葉を選んで祝福(時には厳しい言葉も)した。
僕はここに、神の計画の不思議さを覚えます。神は完璧でない私たち人間を、そのまま用いながら、歴史を織りなしていかれる。12部族とは、神がアブラハムに約束された「あなたの子孫を大いなる国民とする」という約束(創世記12:2)が、具体的な形を持ち始めた瞬間なのかもしれない。
そして、この12部族の物語は、創世記から出エジプト記、民数記、申命記へと、モーセ五書全体を通して続いていきます。約束の地への旅路、律法を受けるとき、部族ごとに旗を掲げて宿営するとき……。12という数は、神の民の全体性を表す数字として、常に意識され続けます。
今残っている部族は? モーセ五書が示す希望
よく「今、12部族はどうなったの?残っているの?」という質問を耳にします。僕がモーセ五書から感じるのは、神の約束は決して消え去るものではない、ということです。
申命記の終わり近く、モーセがイスラエルの民を見渡す場面(申命記33章)でも、各部族への祝福が再び語られます。たとえ歴史の中で離散や苦難があったとしても、神がそれぞれに託された使命や役割は、何かしらの形で続いているのではないか。僕は、それを確信するというより、一つの希望として心に留めています。モーセ五書は、すべての答えを明かすのではなく、私たちが神と共に歩む中で、その答えを探求する旅へと招いてくれているように思うからです。
僕自身、まだモーセ五書の学びの途中です。一つの章節から、これほど多くの気づきと問いが湧き上がることに、いつも驚かされます。12部族の物語は、単なる古代の族長の話ではなく、私たち一人一人が「神の民」としてどのように生き、互いに関わり、未来へと希望をつなぐのかを考えさせる、豊かなテーマです。
もし、この話に興味を持たれた方がいらっしゃったら。僕の学びのきっかけにもなっている、マンガで描かれたモーセ五書を覗いてみてはいかがでしょうか。気になった方は、ぜひAmazonで『モーセ五書 マンガ 石川尚寛』と検索してみてください。無料で読めますし、続きもどんどん公開しています。
創世記49章のヤコブの言葉が、あなたの心にも何かを響かせますように。
#モーセ五書マンガ
#創世記からはじめよう
#イスラエル12部族


なお
聖書を読んでいると、細かい地理の違いに「なぜ?」と感じることがありますよね。
先日、読者の方からご指摘をいただき、僕自身もあらためて学び直したことがあります。
実は、約束の地への境界には重要な二つの川があるんです。
ヨルダン川とゼレド川、その決定的な違い
確かに、一般的に「約束の地に入る」と言えば、ヨルダン川を渡る場面を思い浮かべます。
ヨシュア記のクライマックスですからね。
しかし申命記2章13節を見ると、主がこう言われています。
「さあ、立って、ゼレドの川を渡れ。わたしたちはゼレドの川を渡った。」
この「ゼレドの川」を渡ることが、38年ぶりの決定的な一歩だったのです。
ここで、僕は地図を広げてみました。
すると、ゼレド川は死海の東側、現在のヨルダン国内を流れる川で、約束の地の東の境界線の一つでした。
一方、ヨルダン川はその西側、カナンの地そのものへの入り口です。
つまり、ゼレド川を渡るということは、「約束の地の境界地域に入ること」であり、そこからさらに進んでヨルダン川を渡り、「カナンの地そのものに入ること」が次の段階だったのです。
ヘブライ語が示す「境界」の重み
申命記2章13節の「渡れ」という命令のヘブライ語は「イブルー」(עִבְרוּ)です。
これは「通過する」「向こう側へ行く」という意味で、単なる地理的な移動以上の、象徴的な意味合いを持っています。
38年の荒野の旅を終え、ついに「約束の地の境界」であるゼレド川を渡る。
これは、単なる移動ではなく、「神の約束の領域へ足を踏み入れること」を意味する決定的な瞬間でした。
僕はここに、深い象徴性を見いださずにはいられませんでした。
私たちの信仰の歩みにも、「ゼレドの川」のような境界線があるのではないでしょうか。
完全な約束の成就(ヨルダン川渡渉)の前段階として、まず「約束の領域の入口」(ゼレド川渡渉)に立つ時がくる。
その一歩一歩が、神様の計り知れない導きの中にあるのだと感じます。
「あの川」を渡る勇気
申命記2章14節には、こう続きます。
「カデシュ・バルネアを出てから、ゼレドの川を渡るまでに、三十八年かかって、そのときまでに、宿営のうちの戦士たちがことごとく滅びうせた」
38年かかって、ようやくゼレドの川にたどり着く。
それだけの時間を必要とするほどの、信仰の「準備期間」があったのです。
古い世代の戦士たちが滅び、新しい世代が育ち、いよいよ約束の地の境界を目の前にする。
このゼレドの川を渡る決断は、ヨルダン川を渡るための「予行演習」であり、「信仰の宣言」でもあったのだと思います。
私たちの人生にも、「ゼレドの川」と呼べるような境界線があるかもしれません。
完全な約束の成就の前に、まずその入口に立つことを求められる時。
そこで必要なのは、38年の待ち時間を経て与えられた「今、一歩を踏み出す勇気」ではないでしょうか。
このモーセ五書を描き、学びながら、僕自身も多くの「ゼレドの川」と向き合っています。
一歩を踏み出すための信仰が、少しずつ与えられていくのを感じます。
もしこの荒野の旅路に興味を持たれたら、ぜひAmazonで「モーセ五書 マンガ 石川尚寛」と検索してみてください。
無料で読めるマンガ版で、この深い旅路を共に追体験できたらと思います。
#モーセ五書マンガ
#申命記の地理
#ゼレドの川


とも
暗い夕方の雨の中、車で移動していました。
強い雨の中視界は悪く、空調もまだ少し冷たいです。
とはいえ、ごく稀に乗る雨天バイクに比べれば快適さは雲泥の差です。
私の好きなバイクの一幕で比較すると、
雨天時レインウェアは必須で、ヘルメットのシールドは水滴と暗さで視界は悪く、首筋や袖口から侵入する雨水は体力を奪います。防水のブーツは経年劣化でいつしか水の侵入を許し、ポケットの財布は出しにくいし、濡れた指先ではスマホのタッチパネルの操作は出来ません。冬の雨の夜、自宅まで遠い状況であれば"詰み"でしょう。
バイクの例えはわかりにくいかもですが、とにかくクルマは安心で快適なのです。事故さえ起こさなければ。
私の好きなキャンプでも同じようなことはあります。
開放感を求めて行う楽しいキャンプですが、宿営地の展開、撤収、テントや寝袋等のギア関係と食材の運搬。飲水の確保、トイレ、シャワーの手配。クッカーや焚き火台などの折りたたみ器具の展開と収納。寝袋就寝。
羅列が過ぎてまたしてもわかりにくくなりましたが、自宅と比較したときに電気ガス水道があって布団があって皿とかしまう棚があるのは快適なのです。さすがは住宅めちゃ快適にてまたしても雲泥の差なのです。
安らぎと興奮はトレードオフかなとも言えますけど、ここで特に言いたいのは普段の生活が素晴らしく快適なのに当たり前過ぎてそれに気が付かないと言うことです。
ライフラインのある住宅での暮らし、クルマでの移動はキャンプやバイクなどの不便な視点から見たときに輝いて見えます。布団で寝れるとかね。
労働や勉強に多くの時間を割く現代の生活は辛いこともたくさんあると思いますが、身の回りの素晴らしい文化だとか良い行いみたいなものをしっかり見つめて行きたいですよね!
非効率で不便なところからの視点は無駄のようで無駄ではなかったと思っているのですが、こんな回りくどいことをせずとも暮らしの快適さは誰しも理解されているところと思います。が、私なんぞはこうしたことでようやく理解できるのです。大変な非効率ですし、体験しないと気が付かないというまたしても新しい無駄の発見をしてしまいましたね!


なお
皆さん、こんにちは!漫画家の石川尚寛です。
「聖書ってなんだか堅苦しそう…」
そう思っていませんか? もしそうなら、それは大きな誤解です!
今、私が全身全霊をかけて漫画化している聖書の**『民数記』**は、あなたの想像をはるかに超える、スリルとドラマに満ちた最高の物語です。
終わりの見えない旅路に、まさかの人間ドラマが炸裂!
物語の舞台は、灼熱の荒野。エジプトを脱出した200万人もの人々が、約束の地を目指して旅をします。
ですが、この旅路は「順調」とはほど遠い。
「喉が乾いた!」「お腹が空いた!」
人々はすぐに不満を爆発させ、指導者であるモーセに反発します。その姿は、まるで現代の私たちを映し出す鏡のよう。彼らの葛藤や裏切り、そして何度も立ち上がる姿は、読んでいるうちに「わかる!」と共感せずにはいられません。
さらに、この物語には予測不能な出来事が次々と起こります。
* 嘘の報告で旅が40年間に延長! 荒野をさまようことになった、失敗と教訓の物語。
* 指導者に反発した男が、地面に飲み込まれる! 組織の中での反乱がいかに危険かを教えてくれます。
* 敵対する国の預言者が、呪うつもりがなぜか祝福! まさかの逆転劇に、読んでいるこっちが興奮します。
これらはほんの一部に過ぎません。全36章を通して描かれる壮大な人間ドラマは、あなたの「聖書」に対するイメージを180度変えてしまうことでしょう。
全章全節を「画像化」! 行間からあふれる感情と情景を、漫画で味わい尽くす!
『民数記』は、まるで淡々とした日記のように書かれている部分もあります。
「〇〇の家族は〇〇であった」「彼らは~に宿営した」
しかし、その行間の奥には、人々の絶望、モーセの孤独、そして荒野の壮大な情景が隠されています。
私はその「行間」を漫画の力で表現することに挑戦しました。
飢えに苦しむ人々の表情、指導者モーセの苦悩、そして約束の地を前にした人々の期待と不安…これらすべての感情を、一枚一枚の絵に込めています。
だからこそ、あなたの心に深く響くのです。
さあ、あなたも冒険の旅に出かけよう!
民数記の物語は、過去から現代、そして未来へと続く、普遍的な人間の物語です。困難を乗り越えること、信仰を貫くこと、仲間と協力すること…。この壮大な旅路には、人生を歩む上で大切なヒントがぎゅっと詰まっています。
まるでゲームの主人公になったように、民数記の物語を冒険してみませんか?
【漫画版『民数記』はAmazonで発売中!】
**「民数記 石川尚寛」**で検索して、あなただけの冒険の物語を見つけてください。
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