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ここは未完成の星。 「完成は呪い、未完成は祝福」 ぼくも、きみも、欠けたままで大丈夫。 カケラビト──人かもわからない知的生命体たち。 欠けたものを抱えたまま、この星に集まり、互いに溶け合って光になる。 その正体を知る者は、まだどこにもいない。

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〆さば

〆さば

認知とリテラシーついて
同室に入院中のアラキさんの認知低下が著しい。
ついに訳のわからない理由で切れるようになった。(声もそこそこデカい)
85歳にしてはしっかりしている印象だったし、クレームつけるにも、細かいにしろそれなりに筋が通っていた。
それが今では謎理論でキレてずーっとぼやいているのでタチが悪い。
本人としてはキレるに値する不条理を感じている様だがもうそれは本人の閉じた宇宙の中で完結していて外部から観測することはできない。

今日は午前と午後の2回リハビリがあるみたいですよ。
→なんだと!そんなことは聞いてない(前日に説明済み)

午後のリハビリにはご家族も見えられるそうですよ
→なんだと!勝手に呼びつけやがって!
(ご家族の申し出)

俺はもう歩けるのになんでリハビリするんだ!
→歩けるのはわかったからどの程度歩けるのかというのをご家族の方と一緒に確認して今後を決めましょうということ。
→この病院はおかしい
→ふざけるなよ…

もともと教職にあったとのことで、知能に問題があるわけではない。だが、認知の歪みや狭窄は、これ必ず出てくると思って常に自分を疑ってかからないと中年以降は厳しいかもしれん。
自分は間違ってるかもしれない、というリテラシー。
零次観測の星零次観測の星
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N

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花摘み完了!やった~
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ふっさふさ

ふっさふさ

完全にメンタルがおわている
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𝒎𝒊𝒍𝒌

𝒎𝒊𝒍𝒌


柔軟&ストレッチポール40分
ウエイトトレーニングは軽く20分
普通のHIT1本
時速5.5&6.5の5分HIT30分

とりあえず闇堕ちして飲んだ安定剤の薬抜き完了

シャワー浴びて午後から軽く仕事頑張りますか

#不安型愛着障害
#メンヘラ
#闇堕ちから回復

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臼井優

臼井優

朝倉宗滴(教景)は、戦国大名・朝倉氏の全盛期を築いた宿老であり、1555年に没する直前、「あと3年生きて信長の今後を見届けたかった」と、まだ無名に近かった織田信長の才能を高く評価したと伝わります。
 実質的なトップであった宗滴の死後、朝倉家は衰退し、宗滴が警戒・評価した信長によって滅ぼされました。

朝倉宗滴と信長に関する逸話と歴史的背景
信長の才能を見抜いた宗滴:宗滴は1555年(天文24年)に亡くなる際、まだ尾張国の一武将に過ぎなかった織田信長(当時は上総介)の将来性を見抜き、「あと3年生きて(信長の今後を)見届けたかった」と言い残したとされます。

すれ違う時代と運命:宗滴が亡くなった5年後の1560年(永禄3年)に信長は「桶狭間の戦い」で頭角を現したため、二人が直接対決することはありませんでした。

朝倉家の滅亡:宗滴という名軍師を失った朝倉家は、第11代当主・朝倉義景の代に、宗滴が恐れた信長と対立し、1573年に滅亡しました。

宗滴は「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候」という言葉を残すほどの徹底した現実主義者であり、信長の能力をその視点から見極めていたと考えられています。
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臼井優

臼井優

戦国時代の幕開けから全盛期にかけて、越前朝倉氏の屋台骨を支え続けた軍事の天才です。
79歳で没するまで戦場に立ち続け、「宗滴の死は朝倉家の衰退の始まり」とさえ言われる伝説的な名将として知られています。

1. 「朝倉の盾」としての功績
3代にわたる忠誠: 貞景・孝景・義景の3代の当主に仕えました。本来は家督を継いでもおかしくない立場でしたが、生涯「郡司」として補佐に徹し、一族の結束を保ちました。

不敗の軍略: 近江の浅井氏との同盟を確立し(後の浅井・朝倉同盟の礎)、加賀一向一揆との戦いでも多大な戦果を上げました。

文化人・商人の顔: 優れた軍人である一方、茶の湯を嗜み、高価な茶器を転売して利益を出すなど、合理的な経営センスも持ち合わせていました。

2. 透徹したリアリズム:名言と著作
彼の思想は、死後にまとめられた家訓『朝倉宗滴話記』に色濃く反映されています。
「武者は犬ともいへ、畜生ともいへ、勝つ事が本にて候」
(武士は犬と言われようが畜生と呼ばれようが、勝つことこそが本分である)

名誉や形式よりも、実利と勝利を最優先する戦国乱世の冷徹な真理を突いた言葉として非常に有名です。

3. 異例の趣味:養鷹(ようおう)
宗滴は鷹狩りを極めており、当時では唯一、鷹の人工飼育(人工繁殖)に成功した人物とも伝えられています。この技術は軍事情報の収集や、他国との外交(贈り物)にも役立てられました。
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