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#日光街道巡り / 永井寺
2024年10月から2025年3月にかけて、日本橋から日光東照宮まで歩いた時の写真を載せています。


永井寺は茨城県古河市西町にある曹洞宗の寺院で、古河城主・永井直勝が1626年(寛永3年)に開基した歴史ある場所です。

永井直勝は小牧・長久手の戦いで池田恒興を討ち取った武将として知られ、この寺は永井家の菩提寺となっています。


境内には永井家墓所、直勝の墳墓、藩校盈科堂の教授・小高益卿や書家・小山霞外の墓があり、いずれも古河市指定史跡です。


境内入口付近には、六地蔵があります。
入口近くに並ぶ六地蔵菩薩像群で、六道衆生(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天)を救済する象徴として一般的です。 

寺の開基(1626年、永井直勝)以降の江戸時代に建立された可能性が高く、永井家墓所への道標として機能しています。


ちなみに、直勝の子孫は永井宗家として高槻藩主などを輩出、三男直貞の子孫は旗本家に、譜代大名として明治まで続き、直清が実質的高槻藩祖となりました。

#古河市 #古河宿 #永井寺 #永井直勝
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またんぎ

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**北九州市八幡西区陣原(じんのはる)に実在する「旗頭神社(はたがしらじんじゃ)」**について、神社の由緒書き(社伝)や地域に残る地名・記録に基づき、憶測を排して事実のみを精査・再構成し、解説いたします。
​1. 旗頭神社の基本事実
​まず、神社の基礎データとしての事実は以下の通りです。
​鎮座地: 福岡県北九州市八幡西区陣原5丁目10-64
​主祭神: 武内宿禰(たけのうちのすくね)
​神功皇后ではなく、皇后の右腕として軍事・政治を指揮した武内宿禰が主祭神です。ここが「神功皇后そのものを祀る神社」との大きな違いであり、この神社の性格(実務・指揮の場)を表しています。
​2. 「陣原(じんのはる)」の地名と神功皇后伝説の関係
​旗頭神社が鎮座する「陣原」という地名は、神功皇后の遠征に伴う具体的な軍事行動が由来として記録されています。
​事実:軍事拠点としての「陣」
​社伝および地域の地名伝承によると、神功皇后の命を受けた武内宿禰が、この地を通行、あるいは警護した際のエピソードが地名の起源です。
​行動: 武内宿禰は、洞海湾(当時は「洞の海」と呼ばれた内海)周辺の警戒にあたるため、この地の原野に軍を留め、**「陣(キャンプ)」**を構築しました。
​地名: この「陣を張った原」であることから、当初は**「イクサバル(戦原)」と呼ばれ、後に「陣原(じんのはる)」**という地名として定着しました。
​位置関係の事実: 当時の洞海湾は現在よりも深く内陸に入り込んでおり、陣原はその湾口付近を見渡せる軍事的な要衝でした。
​3. 「旗頭」という社名の由来(二重の歴史的事実)
​なぜ「旗頭」と呼ばれるかについては、古代の伝説と、中世(戦国時代)の史実が重なっています。深掘りすると、単なる伝説以上の「土地の記憶」が見えてきます。
​① 古代の層:軍の「旗頭(指揮官)」としての記憶
​主祭神が武内宿禰であることから、神功皇后軍の先陣・指揮官(旗頭)としての彼を祀った場所、という意味合いが根底にあります。陣原に陣を敷いた際、指揮のための旗印を立てた場所としての伝承です。
​② 中世の層:戦国武将「麻生興春」の事実
​神社の具体的な創建・改称に関わる記録として、戦国時代の確実な史実が存在します。
​事実: 大永年間(1520年代)、この地域を支配していた花尾城主・**麻生興春(あそう おきはる)**が、陣原の小高い丘(亀山・現在の社地)を気に入り、「死後はここに葬れ」と遺言しました。
​旗の事実: その際、墓所の目印として**「旗」**を指し立てたことから、当初は「旗指(はたさし)神社」や「旗頭社」と呼ばれるようになりました。
​解説: つまり、**「神功皇后・武内宿禰が陣(キャンプ)を敷いた古代の聖地」の上に、「戦国武将が旗を立てた史実」**が重なり、現在の「旗頭神社」という名称と信仰が確立されたというのが、最も精査された歴史的経緯です。
​4. 周辺地名との関係(「皇后崎」との連携)
​「陣原」単独ではなく、近隣の地名との位置関係を見ると、神功皇后伝説における「軍の配置」が浮かび上がります。
​皇后崎(こうごうざき)(八幡西区、陣原の北西約2km)
​事実: 神功皇后がこの地に上陸した、あるいは船を着けたとされる場所です(現在は埋め立てが進んでいますが、当時は岬でした)。
​関係性: * 皇后崎 = 皇后(本隊)の上陸・滞在地点。
​陣原 = 武内宿禰(実働部隊)が陣を敷き、内陸や湾岸を警備した前線拠点。
​このように、八幡西区のこのエリアには「トップの居場所(皇后崎)」と「守備隊の陣地(陣原)」という、軍事組織としての役割分担が地名として明確に残されています。
​結論:事実の深掘り
​旗頭神社と神功皇后の関係を事実に絞って総括します。
​場所: 北九州市八幡西区陣原(誤りのない事実)。
​役割: 神功皇后の遠征において、実務指揮官である武内宿禰が「陣」を敷いた軍事拠点としての記憶を留める場所。
​地名: その軍事行動が**「陣原(じんのはる)」**という地名の直接の起源となっている。
​社名: 「旗頭」の名は、古代の軍旗の記憶に加え、戦国時代の領主が実際に旗を立てた史実が複合して成立している。
​度重なる訂正となりましたが、これが憶測を含まない、旗頭神社と神功皇后(および武内宿禰)に関する精査された事実です。
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またんぎ

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1. 旗頭神社の基本事実
​まず、神社の基礎データとしての事実は以下の通りです。
​鎮座地: 福岡県北九州市八幡西区陣原5丁目10-64
​主祭神: 武内宿禰(たけのうちのすくね)
​神功皇后ではなく、皇后の右腕として軍事・政治を指揮した武内宿禰が主祭神です。ここが「神功皇后そのものを祀る神社」との大きな違いであり、この神社の性格(実務・指揮の場)を表しています。
​2. 「陣原(じんのはる)」の地名と神功皇后伝説の関係
​旗頭神社が鎮座する「陣原」という地名は、神功皇后の遠征に伴う具体的な軍事行動が由来として記録されています。
​事実:軍事拠点としての「陣」
​社伝および地域の地名伝承によると、神功皇后の命を受けた武内宿禰が、この地を通行、あるいは警護した際のエピソードが地名の起源です。
​行動: 武内宿禰は、洞海湾(当時は「洞の海」と呼ばれた内海)周辺の警戒にあたるため、この地の原野に軍を留め、**「陣(キャンプ)」**を構築しました。
​地名: この「陣を張った原」であることから、当初は**「イクサバル(戦原)」と呼ばれ、後に「陣原(じんのはる)」**という地名として定着しました。
​位置関係の事実: 当時の洞海湾は現在よりも深く内陸に入り込んでおり、陣原はその湾口付近を見渡せる軍事的な要衝でした。
​3. 「旗頭」という社名の由来(二重の歴史的事実)
​なぜ「旗頭」と呼ばれるかについては、古代の伝説と、中世(戦国時代)の史実が重なっています。深掘りすると、単なる伝説以上の「土地の記憶」が見えてきます。
​① 古代の層:軍の「旗頭(指揮官)」としての記憶
​主祭神が武内宿禰であることから、神功皇后軍の先陣・指揮官(旗頭)としての彼を祀った場所、という意味合いが根底にあります。陣原に陣を敷いた際、指揮のための旗印を立てた場所としての伝承です。
​② 中世の層:戦国武将「麻生興春」の事実
​神社の具体的な創建・改称に関わる記録として、戦国時代の確実な史実が存在します。
​事実: 大永年間(1520年代)、この地域を支配していた花尾城主・**麻生興春(あそう おきはる)**が、陣原の小高い丘(亀山・現在の社地)を気に入り、「死後はここに葬れ」と遺言しました。
​旗の事実: その際、墓所の目印として**「旗」**を指し立てたことから、当初は「旗指(はたさし)神社」や「旗頭社」と呼ばれるようになりました。
​解説: つまり、**「神功皇后・武内宿禰が陣(キャンプ)を敷いた古代の聖地」の上に、「戦国武将が旗を立てた史実」**が重なり、現在の「旗頭神社」という名称と信仰が確立されたというのが、最も精査された歴史的経緯です。
​4. 周辺地名との関係(「皇后崎」との連携)
​「陣原」単独ではなく、近隣の地名との位置関係を見ると、神功皇后伝説における「軍の配置」が浮かび上がります。
​皇后崎(こうごうざき)(八幡西区、陣原の北西約2km)
​事実: 神功皇后がこの地に上陸した、あるいは船を着けたとされる場所です(現在は埋め立てが進んでいますが、当時は岬でした)。
​関係性: * 皇后崎 = 皇后(本隊)の上陸・滞在地点。
​陣原 = 武内宿禰(実働部隊)が陣を敷き、内陸や湾岸を警備した前線拠点。
​このように、八幡西区のこのエリアには「トップの居場所(皇后崎)」と「守備隊の陣地(陣原)」という、軍事組織としての役割分担が地名として明確に残されています。
​結論:事実の深掘り
​旗頭神社と神功皇后の関係を事実に絞って総括します。
​場所: 北九州市八幡西区陣原(誤りのない事実)。
​役割: 神功皇后の遠征において、実務指揮官である武内宿禰が「陣」を敷いた軍事拠点としての記憶を留める場所。
​地名: その軍事行動が**「陣原(じんのはる)」**という地名の直接の起源となっている。
​社名: 「旗頭」の名は、古代の軍旗の記憶に加え、戦国時代の領主が実際に旗を立てた史実が複合して成立している。
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リトル

リトル

若い子のルームに入ったら若い子パワーが強すぎて枯れた†┌┘墓└┐†

所で、ルーム抜けた後に「あいつ何だったの?」とか言われてないか心配になる人いる?
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#日光街道巡り / 正定寺
2024年10月から2025年3月にかけて、日本橋から日光東照宮まで歩いた時の写真を載せています。

正定寺は茨城県古河市大手町にある浄土宗の寺院で、土井利勝が開基した歴史ある場所です。

古河城主の菩提寺として知られています。
寺は寛永10年(1633年)に創建され、開山は玄哲和尚です。

土井家歴代の墓所があり、本堂は天保3年(1832年)に再建されました。

本尊は阿弥陀如来で、黒門(旧土井家江戸屋敷表門)は市指定文化財です。

弁天堂の弁財天は古河七福神の一つで、お楽の方の供養塔や芭蕉塚もあります。


#古河市 #古河宿 #正定寺 #土井利勝
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臼井優

臼井優

「親鸞閉眼(へいげん)せば、賀茂河(かもがわ)にいれて魚に与ふべし」
 親鸞聖人が自身の死後、葬儀や墓は不要であり、遺体は鴨川に流して魚の餌にするよう言い残した言葉です。
 肉体への執着を捨て、阿弥陀仏の救い(本願)と信心を第一とする姿勢(自然法爾)を示した言葉であり、形式的な墓や葬式へのこだわりを否定しています。

この言葉のポイントは以下の通りです:
出典: 曾孫・覚如上人の著『改邪鈔(がいじゃしょう)』に記録されています。

真意: 肉体は単なる「抜け殻」であり、死後の形よりも、現生で信心を得て浄土へ往生することが重要であるという教えです。

背景: 当時、葬式や墓を建てることを重んじる風潮に対し、真宗の「自然法爾(じねんほうに・自然に仏の力に任せること)」の精神を強調するために言われたとされています。

歴史的事実: 実際には家族や弟子たちによって葬儀が行われ、大谷(現在の京都)に墓所が築かれました。

この言葉は、仏教において葬儀や墓そのものが必須ではないということを、極端な例えを用いて現代にも示しています。
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魔龍

魔龍

沖縄は温い!
ニュースで内地の大雪のことやってます。
ついこの間まで、他人事で無かったのに今や遠い地の出来事。その様に思っております。
今日は掃除機を買いに出かけ、その帰りに浦添大公園で散歩してきました。沖縄に来る度に良く脇の道を通る機会がありましたが、公園に入ったのが今日が初めて。めっちゃ大きい公園なんだよ!
浦添グスクの跡があったり、浦添ようどれ(墓所)などのゾーンを初めとにかく広く公園でした。
寒緋桜もチラホラと咲き始めていて、眺めも素晴らしい所でした。
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臼井優

臼井優

岐阜県垂井町は、戦国時代の名軍師・竹中半兵衛(重治)ゆかりの地として知られています。半兵衛は14歳の時に父・重元とともにこの地の岩手に移り住みました。

竹中半兵衛重治とは・・・ | 垂井町観光協会
現在、町内には以下の主要な史跡やスポットがあります。

主要な史跡・観光スポット
竹中氏陣屋跡(岩手城跡)
半兵衛の嫡子・重門が築いた陣屋の跡地です。現在、敷地の一部は小学校となっていますが、白壁の櫓門、石垣、堀が残っており、旗本の陣屋として全国的にも珍しい城郭遺構です。

菩提山城跡
半兵衛の居城であった山城です。標高402mの山頂にあり、現在はハイキングコースとして整備されています。戦国時代末期の高度な城郭構造を今に伝えています。

禅幢寺(ぜんどうじ)
竹中氏の菩提寺で、半兵衛の墓所があります。三木合戦の陣中で没した半兵衛の遺骨を、後に息子の重門がこの地へ改葬しました。

竹中半兵衛公像
町内には3体の銅像があり、JR垂井駅北口、竹中氏陣屋門前、タルイピアセンター(図書館・資料館)でそれぞれ異なる姿を見ることができます。

2026年の最新トピック
菩提山城跡の発掘調査
垂井町教育委員会は2025年度から、菩提山城跡で御殿や軍事施設の詳細を明らかにするための発掘調査を進めています。

観光の際は、垂井町観光協会が提供する「竹中半兵衛重治公のふるさとを巡るコース」が便利です。
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黄昏の龍

黄昏の龍

昨日 捨て地の墓所でキャンマラ中エビちゃんの突撃に遭いまして羽散らしましたww
回収しないと、、w
#Sky星を紡ぐ子どもたち
sky星を紡ぐ集いsky星を紡ぐ集い
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典々

典々

東武日光駅から歩いて、行って来ました。ヒザが限界だったので、家康公御墓所までは上がれず。
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臼井優
国立大学法学部卒 法律系国家資格3種保有 就職氷河期世代 元僧侶 趣味・特技 サッカー、バスケ、ボクシング、テコンドー、茶道、書道、華道、サックス、ドラム、読書、カフェ巡り、音楽鑑賞、ストレッチ、筋膜リリース、他人のデートコースを考えること 家庭教師、予備校講師、各大学でのエクステンション講座担当 担当科目・領域 小~高、文系科目全て、公務員試験全領域、面接、ES添削、マナー、論文添削等々
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なずむ
エビとザリガニ。 祈りと決壊。
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ℕ𝕒𝕥𝕤𝕦☘
日々のこと・空や景色・神社仏閣、あとは日光街道を歩き旅したときの写真を載せています。お気軽にご覧ください✨何か一つでも興味が合ったものがあれば嬉しいです😊
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おちゃ
メリー厄年 韓国語ガチ勉 / 한국어 열공중🇰🇷
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●38歳/大阪/男性/独身 ●発達と精神疾患や身体病気あり[病気の話はNGで] ●メッセージはいつでも受付中 ※気軽にお声かけしてください ●返事やお迎えは遅くなる場合もあります ●呟き,独り言等を綴る ●友達募集中/彼女募集 ●外国人/既婚者/シンママ/学生等は ※面倒な事に巻き込まれたくないのでNGです※ ●ドクターストップ[※休養中※] 2025/05/28再出発
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