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2017年 流行語大賞に「忖度」が選ばれた。
強き者に迎合する傾向が問題視されたからだ。
あれから5年以上の時が経った─
君たちは、忖度・迎合・遠慮ゼロで
自由に言いたいことを主張できているか🫵?
民衆よ!
君の世界では「君がルール」である👑✨️
君の世界を統べ、動かすのは君しかいない!
恐れるな!
君の「絶対君主たる自覚」を解放するのだ!!
ゴチャゴチャ書いたけど
器のちっさい投稿をして笑い合う星です。
上から言いたいこと言ってふんぞり返れぃッ!
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アメジスト
読書記録です。
倭の五王
王位継承と五世紀の東アジア
河内春人 著
中公新書
ちょうど5世紀頃の倭の歴史について知りたかったので、勉強になりました。
当時の倭は朝鮮半島情勢に武力介入しており、想像以上に蛮族をしていたんだなと驚きました。
朝鮮半島南部からの鉄の供給に依存していたため、朝鮮半島情勢は倭にとって死活問題だったようです。
当時の倭は、古市古墳群をつくった王家と、百舌鳥古墳群をつくった王家と、継体大王を輩出した北陸系の王家と、三つの王家があって天下を持ち回りしていたという考察はなるほどなと思いました。
p225で述べられている、倭の五王の最後を飾る武が中国に遣使を行わなくなった5世紀後半から継体大王が登場する6世紀の初頭にかけては、倭国内は政治的に混乱していた可能性が高いという考察はなるほどなと思いました。
継体大王の登場は王朝の交代が行われていて、それに伴ってかなり混乱したという解釈が妥当なように思います。
p228によると
5世紀の倭の五王は、倭姓を名乗る王権が無姓の人々を治めていた。
6世紀の大王の王権は、姓を持たない王権が、豪族以下民衆にいたるまで姓を授けて、その上に君臨していた。
継体大王の時に、王朝交代劇が行なわれたのは明らかだと思います。
本書の冒頭で紹介されている七支刀が天皇家に伝えられていないことからも、倭の五王の王権とのちの天皇家は全く別の王権と解釈したほうがよさそうです。
5世紀の倭の歴史をより深く知るには、誉田御廟山古墳や大仙陵古墳を発掘調査する必要があるなと感じました。
天皇家の祖先ではない墓を祖先の墓だと言い張る宮内庁は非科学的な体質があるように感じます。
#読書
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#古代史
#倭国
#倭王権

アメジスト
読書記録です
新・古代史
グローバルヒストリーで迫る
邪馬台国、ヤマト王権
NHKスペシャル取材班
NHK出版新書
NHKらしい公明正大で中立的な立場から、様々な学説を紹介している内容となっています
箸墓古墳や通称仁徳天皇陵、通称応神天皇陵などの古墳の発掘調査が今後更に進展していくことが楽しみに感じました
古墳は宮内庁が管理していて、発掘調査は厳しく制限されていることに時代錯誤感を感じました
現在の王家のルーツはどんなに遡っても継体までだと思われますので、いわゆる倭の五王と呼ばれる初期倭王権とは血統的なつながりはないと思います
なので、古墳を宮内庁の管理にする必要はないと思います
3世紀には東海から東北にかけては前方後方墳が多く、西日本の前方後円墳勢力とは敵対関係にあった
4世紀以降は、東日本でも急激に前方後円墳が増えて、西日本からの勢力圏に飲み込まれた
前方後円墳は水路や土手の版築を出来る技術があり、その技術が広がった
継体の時代に磐井の乱が起き、その後、倭王権による地方支配が強まり、時代の画期となった
卑弥呼が親魏倭王に封ぜられたのは三国志の歴史と非常に密接な関係にあるという学説は興味深かったです
魏が呉や蜀を挟み撃ちにするために、大月氏や倭国と冊封体制を結んだそうです
倭の五王の時代は倭国は鉄資源の入手を百済に依存していたため、高句麗を牽制するために、宋との関係を重視していたそうです
吉野ヶ里遺跡は無慈悲な開発重視の佐賀県の方針で工業団地が造成される計画であったのが、平成元年2/23に朝日新聞が遺跡の重要性をアピールする報道をしたことで、世論の吉野ヶ里フィーバーが起きて、無慈悲な佐賀県知事をして、工業団地計画を白紙撤回させました
韓国南西部では前方後円墳がたくさん見つかっており、韓国南西部から九州を経て畿内に至るまで、政治的経済的文化的に一体感のある文明圏が築かれていたのかもしれませんね
ひとつ気になったのは、倭王権は「わおうけん」であって、ヤマト王権と呼ぶのはおかしいと思います
どこに対する忖度なんですかね
#読書
#読書感想文
#NHK
#古代史
#極東

アメジスト
読書記録です。
ヤマト王権
吉村武彦 著
岩波新書
本書がカバーするのは、邪馬台国の時代から謎の4世紀を経て、倭の五王から継体、欽明の時代に仏教が伝来して古墳がつくられなくなる時代までのいわゆる古墳時代と呼ばれる時代です。
p86で述べられているとおり、「大王」号が後世の創作であるならば、倭王権の王は倭王と呼ぶのが妥当であるようです。
仁徳が河内王朝なのかどうかは、少なくとも古墳の発掘調査でもしないと、推測に推測を重ねる仮説しか言えないのが現状であり、つかみどころが難しい時代なんだなと感じました。
本書ではなぜか日本書紀がそうなっているからと理由で継体を応神五世孫と認めていますが、僕は信ぴょう性に乏しいと思います。
継体死後の二王朝並立や内乱の可能性についても否定する根拠は薄弱なように思います。
日本書紀や古事記と王家のある種の神聖性に引っ張られているように感じます。
#読書
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#古墳時代
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強者はただ見下ろす

☁️おりゅんꪔྀི̤
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うばたまちゃん
倭物やカヤ さんです!
お求めやすくリーズナブルかつ可愛いと思います。
お近くにありましたら是非!


のえる
主祭神⋮倭建命










臼井優
「魔女裁判」はその中で行われた、拷問や不当な手続きで有罪をでっち上げ、火あぶり(大陸)や絞首刑(イギリスなど)で処刑する世俗裁判を指し、
16〜17世紀がピークで、約4万〜6万人(推定)が処刑され、女性が大多数を占め、社会不安や権力闘争、金銭欲などが背景にあり、啓蒙思想の発展で終焉しました。
魔女狩り・魔女裁判の概要
時期と場所:16世紀後半から17世紀がピークで、中央ヨーロッパ(ドイツ、フランスなど)で特に大規模に発生しました。
対象:貧しい女性、教養のない人、友人が少ない人などが多く、犠牲者の7〜9割は女性でした。
背景:キリスト教世界への脅威、農作物への被害、病気、殺害、誘惑などとされ、悪魔崇拝やサバト(会合)への参加が疑われました。
裁判の実態:証拠捏造、拷問、虚偽証言、不当な手続きが横行し、被告人は自白を強要されました。有罪判決はほぼ死刑(火あぶり、絞首刑など)でした。
関連する著名な裁判
セイラム魔女裁判(アメリカ):1692年に発生。告発者の少女たちの「遊び」が発端とされ、無実の人が処刑され、費用負担の過酷さも問題となりました。
ドイツの魔女裁判:ヴュルツブルク、バンベルクなどで大規模な処刑が行われました。
終焉の理由
啓蒙思想の台頭:魔女信仰が衰退し、科学的・合理的思考が広まりました。
権力の強化:カトリック教会や王権の権威が強まり、混乱が収束しました。
特徴
「魔女狩り」は不適切な表現で、「悪魔憑き容疑による世俗裁判による執行死刑の流行」と表現されることもあります。誰でも容疑者になり得た現象です。

刀条誠
回答数 2>>

自称木林森子

またんぎ
福岡県北九州市八幡西区岡田町に鎮座する「岡田神社(岡田宮)」は、神功皇后の伝説において極めて重要な「通過点」かつ「祭祀の場」として記録されています。
社伝および歴史書に基づく事実関係:
* 神功皇后の参拝: 社伝および地域伝承によれば、神功皇后は三韓征伐(外征)の際、この地を訪れました。この時、皇后は岡田宮に鎮座する神々(天神地祇)を親(みずか)ら祭り、武運と道中の安全を祈願したとされています。
* 案内者「熊鰐(くまわに)」の存在: 『日本書紀』などの記述において、この地域(岡県/おかのあがた)を治めていた豪族・**岡県主熊鰐(おかのあがたぬしくまわに)**が、仲哀天皇・神功皇后を周防のサバ(山口県防府市付近)で出迎え、水先案内をしてこの地(洞海湾・岡田宮方面)へ導いたことが記されています。
* 二つの「岡田宮」伝承: 岡田宮は、元々は神武天皇(初代天皇)が東征の折に一年間滞在した場所として『古事記』に記されています。神功皇后は、その数百年後に「先帝(神武天皇)ゆかりの聖地」として同地を訪れ、改めて祭祀を行いました。つまり、岡田神社は**「神武天皇が政(まつりごと)を行った宮」であり、かつ「神功皇后が戦勝祈願を行った神社」**という二重の皇室伝承を持つ古社です。
2. 「地名」に残された神功皇后の足跡
八幡西区およびその周辺には、神功皇后の行動そのものが由来となって定着した地名が明確に残されています。これらは単なる噂ではなく、風土記や神社の由緒として語り継がれてきたものです。
① 皇后崎(こうがさき・こうごうざき)
* 場所: 八幡西区(現在の皇后崎町・黒崎地区の西側)
* 事実と由来: かつて洞海湾に突き出していた岬であった場所です。社伝等によると、神功皇后がこの地に船団を率いて**「上陸した(着岸した)」場所**であることから、「皇后の崎(みさき)」=「皇后崎」と名付けられました。
* 現在: 現在は埋め立てが進んでいますが、かつてはここが海陸の接点であり、岡田宮へ向かうための上陸地点でした。現地には記念碑が存在します。
② 熊手(くまで)
* 場所: 八幡西区熊手(岡田神社の鎮座地周辺)
* 事実と由来: 一般的には「熊手」という道具や地形に由来するとも言われますが、この地域の歴史的文脈(岡田神社の由緒)では、**「熊鰐(くまわに)」の一族(熊族)が拠点としていた手(方面・場所)**という意味合い、あるいは神功皇后を迎えるために人々が集まった場所としての意味が深く関わっています。岡田宮の祭礼(黒崎祇園山笠など)においても、この地区は中心的な役割を果たしてきました。
③ 王子(おうじ)
* 場所: 八幡西区(岡田神社の旧鎮座地周辺、現在の熊西地区など)
* 事実と由来: 現在の岡田神社は江戸時代(1605年)に現在地の岡田町へ遷座しましたが、それ以前の「元宮(もとみや)」があった場所、あるいは神功皇后や皇子(後の応神天皇)に関連する祭祀場があった場所周辺には「王子」という地名や、それに関連する「一宮神社(王子宮)」が残っています。
* 一宮神社(旧鎮座地推定地): 八幡西区山寺町にある一宮神社は、岡田宮が元々あった場所(またはその関わりが深い場所)とされ、ここにも神功皇后が祭祀を行った伝承が残ります。
3. 歴史的「事実」としての総括
憶測を排除し、記録から読み取れる事実は以下の通りです。
* 戦略的要衝の掌握: 神功皇后(およびヤマト王権軍)は、洞海湾という天然の良港を持つこの地域を重要視し、地元の有力豪族である**熊鰐(くまわに)**を従えることで、大陸への航路と後方支援基地を確保しました。
* 祭祀による統治: 岡田宮での祈願は、単なる宗教儀礼にとどまらず、先帝(神武天皇)の故地を再訪することで、自身の権威を確立し、地元の協力を取り付けるための政治的なデモンストレーションとしての側面がありました。
* 地名の定着: 「皇后崎」等の地名が現代まで残っていることは、当時のこの地域の人々にとって、皇后の来訪が極めて衝撃的かつ歴史的な大事件として認識され、長く語り継がれてきたことの証左です。
以上が、岡田神社と神功皇后の関係における、史料と現地伝承に基づく事実の深堀り解説です。

レロレロりんご
倭塔瓦
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臼井優
国立大学法学部卒 法律系国家資格3種保有 就職氷河期世代 元僧侶 趣味・特技 サッカー、バスケ、ボクシング、テコンドー、茶道、書道、華道、サックス、ドラム、読書、カフェ巡り、音楽鑑賞、ストレッチ、筋膜リリース、他人のデートコースを考えること 家庭教師、予備校講師、各大学でのエクステンション講座担当 担当科目・領域 小~高、文系科目全て、公務員試験全領域、面接、ES添削、マナー、論文添削等々
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自称木林森子
→現在の状況
ほぼメモと思考の整理
馬の話は大歓迎 アフォはファッ!
二重に投稿されるバグ直せよ
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うばたまちゃん
陰キャで好事家の被写体
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アメジスト
感性を大事にして、季節の変化を感じる心を大切にしようと思っています。
スマホで風景写真などを撮影するのが好きです。
身近な季節感や楽しみ、美を求めて、言葉の調べを奏でられたらいいなと思っています。
2月生まれなのでネームはアメジストにしました。
誕生日 2月16日。
1980年代生まれ。
身長178cm 体重 62kg(23年3月現在)
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☁️おりゅんꪔྀི̤
白子とパンケーキが好き🐡
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