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妖怪ソ

ルネ
rene_kage(小ルネち)
ゴーストピンク
我思う、故に我おりゅ?🥺

ユリ
回答数 50>>
ルネ・デカルトによる近代的自我の発見を根拠にしている。

天ノ川
フォン・ノイマン、ルネ・デカルト、ジョン・ナッシュ、ナポレオン・ボナパルト、ジョージ・ワシントンetc.
もし知らない人だったら検索してみるのを強くお勧めしますwww

メテン
埴輪
回答数 9>>
フランスの哲学者ルネ・デカルトは「考えている私」という意識そのものは疑えないだから私は存在する個人であるとう真理に到達しました。
つまり私が思考している以上存在する人間だと証明できます。
いかがでしたか?
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シズ
回答数 14>>
プラトン
死とは 魂が肉体から解放され、真理に近づく出来事。
肉体は不完全
魂は不死
→ 死は“帰還”であり恐れるものではない。
アリストテレス
魂は肉体の形相(機能)だと考えたため、
死は“人間という統合が失われる瞬間”。
アウグスティヌス、トマス・アクィナスらは
死は魂が神の前に立つ瞬間 と位置付けた。
デカルト
「私(意識)があること」が基礎なので
死=思考の完全な停止=“私”の解体。
カント
死そのものは認識不可能。
→ “われわれは死を考えざるをえないが、理解はできない”。
実存主義:死は「生を照らす最大の事実」
ハイデガー
最も影響力のある「死の哲学」。
人間は 「死にゆく存在」(存在者としての定義)
死を自分のものとして引き受けるとき
→ 本来的な生(“自分として生きる”)が可能になる。
つまり
死を意識すると、“生が始まる”。
サルトル
死は
「自由の終わり」
「主体性が奪われること」
と捉える。
レヴィナス
他者は永遠に完全には理解できないが、
死はその“他者性”が完全に閉ざされる瞬間。
死は、関係性が終わるという意味で根源的。

たるお

たるお

たるお

たるお

あく

れっく
pluton
東洋人初のGPドライバー
プリンス・ビラがいたって?ロータスエリーゼの開発エンジニアにビラ閣下の子孫がいたって?
まあ其処は措く
国内F2でホンダエンジンを独占使用して通算5回も全日本F2でチャンピオンになった中嶋悟
この時は中央競馬のジャパンカップみたいに毛唐の速いのを連れてきてJAFグランプリなどを開催していた。
ブーツェンやパトレーゼにルネ・アルヌー(奥さんをプロストに寝取られた!ついでに仏No1ドライバーの座も)にF1ワールドチャンピオン以外はゼニ積んで呼んでいたようだ。
そこでの中嶋さんの評判は決して低いものではなくて、86年までの欧州F2への挑戦につながっていく
だが、実は78ごろに生沢徹氏が率いるi&iレーシングにて英国F3に打って出たことがある。
そのレースのPPはネルソン・ピケ・ソト・マイオールJr
そして我らが中嶋さんは26番手のビリ
決勝の1コーナーでひっくり返されて、リタイア
優勝はピケで、次ぐ年にF1デビュー
稀なる縁とは、ここからで
88にウィリアムズを逐われたピケがロータス入り
マクラーレンに移籍したセナの後釜となった
トリプルクラウンのピケがゲイ呼ばわりしている伯人の後輩にも後塵をはいしたわけだ。
そしてチームメイトとなった中嶋さん
ピケですら予選落ちするほどのクソ車
優勝なんて覚束ず、中嶋さんは1点のみ獲得して終わった。
ツノ信には想像もつくまいが、既に30年以上も前に中嶋悟SRS校長がワールドチャンピオンという存在との差は身をもって知り
佐藤琢磨や伊藤に、そして角田に伝えたワケだ。
が、結果は昨日のとおり。5歳くらいから彼を知り全日本の後に露天風呂に入ったワタシ
まあザントウな結末といえよう。
可夢偉も含めて過去の日本人はオレより遅いと吐かした資金力以外に見るべきところのない子ども
早く引きづり下ろすドライバーでもマネージャーでも出てこいよ。
もう彼の存在自体に飽きているんだ。

せな
これは画家ルネ・マグリットの作品『ヘーゲルの休日』(Les vacances de Hegel)
私この作品めっちゃ好きなの!!
争い合い対立するものを統合し、どちらも共存できるような答えを探すヘーゲルの哲学を芸術として形にしたこの作品は、水を受け入れずに避ける傘の上に、水を避けずに受け入れるコップをのせるという遊び心に満ちた作品である。(せな解説)

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