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たまかしわ〜
ドイツと言えば観念論!!これはロマン派論をアフォリズムの文体で語られたもの。
芸術、特に詩を史上のものとし、自然・自由・精神の高尚さを唱える。また、芸術と哲学を相対的な関係性を持つと考え、芸術と哲学について論じられている。またこの2つには道徳も加え人生や人としての意義が語られている。


岬ロカ
としゆき
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えーさん
としゆき
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レイアウトいかつくね


IPS

おにく
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
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❄️こめ❄️
「神は、サイコロを振らない」アルベルト・アインシュタイン
このふたつに匹敵する、または上回る【厨二病が発狂して喜びそうな偉人の名言】知ってる人がいたら教えてください。
#質問をしたら誰かが答えてくれるタグ
#真面目でも大喜利でもいいよ

なお
「なぜ生きるか」を知っている者は、
ほとんど、あらゆる「いかに生きるか」に耐えるのだ。
(フリードリヒ・ニーチェ)
としゆき
回答数 15>>
というのも、歴史は過去の政治家たちの実施された政治の結果として積み上げられた歴史事象を、自分の思想に活かすことが重要だからです。
実際、歴史上の過去の政治家や軍事思想家も皆先人の成功と失敗を(当時の)現代に生きる自分の政策や戦略に活かすために歴史を学んでいたのですから。
ナポレオンは、カエサルはもちろんハンニバルや孫子、直近のフリードリヒ大王から過去のあらゆる歴史の記録を学んで世界史に軍事的天才のひとりとして大成したのですから、歴史の信憑性が歴史の本質とは言えないということは明らかです。
歴史の信憑性が重視されるのは歴史そのものというよりむしろ歴史学そのもの、歴史研究家のための歴史研究という、実際の政治思想家や軍事家にとってはあまり関係のない分野の話しになると思います。
歴史の信憑性を求めることに研究の旨を置く学は、ペーパーテストの高得点を目指すための学習のための知識に近いものなので、先人の歴史を学ぶ動機と理由を詳細に解釈し理解すれば、学としての本質には触れていないことはすぐにわかるはずです。

ラビッ兎
いやね、君。君に私の痛みがわかるのかね?と言った風にである。
然し、私は痛みを知らない人間でもなければ深淵を知らない人間でもない。つまりは、私という人間は深淵を直視した上で?厭だね。深淵そのものかもしれない。いうなれば、深淵を知った上でこの底なしの穴を蹴飛ばして戯れているに過ぎない。
というのも、例えば、私の経験でいうと、序文でも記した通り小学校までしか通えなかったという経歴については、私が強姦により世界に産み落とされ、謂わゆる虐待などを経験し、中学校に上がる頃にはこの現代日本でなんということだ。
私はホームレスになってしまったわけであるが、当然、連絡手段やまともな友人は居らず服なども無いし、仕方がないから非行に走るわけであるが、これが恐らく幼少の頃の存在否定に対する他者からの承認の渇望であるとか、或いは暴力に対する反抗心として?正義を信じていたのかもしれない。
ともあれ、少年時代の私は食品の窃盗などの非行を行いながら、実に正義というものを渇望し、倫理とは何たるかを思索に耽りながら自己の死を願い、死の恐怖に怯えるという全くの矛盾に生きていた。いや、それよりも以前、物心ついた頃から繰り返し問われた、何故生まれてきたのか?何故この痛みを味わうのか?何故愛されないのか?私の存在意義とは?つまり、おおよそ6才程の頃には私は既に実存主義者として英才教育を皮肉にも施されたわけである。
17の頃には、私の親権など、再婚した義父の指示に従い放棄した母は遂には、その首を吊る顛末である。この時もやはり、私は底知れぬ憎悪に対する報復の相手を失い、自らの痛みだけが残ったことに心底絶望した!
また、唯一心を許せた祖父についても、私が15歳ほどの頃に失ってしまったので、この時私は家族という存在を全て失ったわけである。
即ち、絶望とは生体的に生きている状態にありながら精神の死を迎えた状態なわけであるが!自己憐憫などでは無い。最早、私はその後、世間一般よりは飲食店などを経営し、資産を築いたのであるが、それも21程になる頃に、コロナウイルスという疫病の流行により金銭的に困窮した、かつての友人や、年長者に家を襲撃されその資産の全てと家を失う事となるのである。人生とは数奇なもので、更にはかつて私が雇用していた従業員2人は1人は二十代前半、もう1人は十代後半という若さで殺害され、慕っていた知人も当時の疫病により死が彼を連れ去ってしまった。これには世界に対し、酷く失望したものである。
そこで、当然、行政に助けを求めるわけであるが、私という人間の碌でも無い生い立ちである。身分証も持ったことのない私は身分証の発行も戸籍の証明も出来ず生活保護すら受けれないどころか、役人には貴方が日本国民であることを先ず、示さねばならぬという侮辱を受ける事となった。
私は、語った。
“いやですね、君、尊大な勘違いをしているようだがね。
君よりもね、私は余程の愛国心を持っているのだよ。”
さて、かくして二十代にして再びホームレスとなった私は何をしたかであるが、人生を通して考え続けてきた実存的苦悩と本格的に向き合い始めるわけである。
街を放浪し、ただただ散歩しては、飢えに耐え忍び、そして私は遂に!いや、そうなるか?過去の友人が起こした犯罪の共犯を疑われて投獄されてしまった!(とはいったものの2週間ほどであったが)奇しくも、この投獄のおかげと言ってはなんだが、その時、私を担当した弁護士が実に親身な人間であったため、ようやく弁護士の機転によって事件化することによって私は身分証を手にし、そして、社会復帰を果たして今日25歳となった今、本書を執筆している。家族も友も失った私を知る者は、同僚のみであるが、彼らもやはり、私を知りはしない。天涯孤独とはまさにこれである。そんな私の顔には裏切りや虐待によって刻まれた傷跡が、宛ら、格闘家のように刻まれているわけである。
しかし、今となってみれば、このような経験はある意味では私に深淵と哲学を与え、私という深淵の香りに誘われた思想は今ではまるで私自身であるかのように私を語る事となっているのであるから、皮肉にも不幸であったかと問われれば、いやですね。それが、そう思うでしょう?
いいえ、実はですね。私にとってこれらの生活とは、謂わゆる常識であったわけですから、当然、絶望は何度も観てきたのですけれども、過ぎてみれば、むしろこの経験のおかげでですね・・・などと語り始める顛末である。つまり、私が何を主張するかというと、哲学はまさに、例として私という人間を今日まで生きながらえさせることを、実に巧妙な手口で成功させてきた!という事である。
私は、知を愛している。
私というものが、私に理解され始めたおおよそ6歳ほどの記憶から、脳裏には疑問符だけが実に支配的に精神に君臨し、その疑問符を直視する事は、私に真理への志向を与えた。
私を育てたのはアカデミックでないにしても、やはり知であり、この知を与えてくれたのは世界という具体が示してきた抽象的概念という宝であり、世界という知そのものと親しんできた私に、現代人は考え過ぎであるとか抽象的過ぎて何について考えているのかさえ分からないと理解を示す者はいなかったが、それは哲学という学術的なものとして存在するということを享受してくれた、凡そ十九世紀に生きた数々の哲学者たちという友であり、フリードリヒ・ニーチェという同じ志を掲げた、ただ1人の親友であった。
そして、絶望に対して知は私にこのように示したのである。
人間の恐怖とは、無知によるものである。
人間とは、無限の想像力と、有限の現実であり、真理と真実の境界なのである。
嗚呼、なんという喜劇だ!権威主義?或いは実証主義、それこそ、机上の空論愛好家にこのような診断を下される顛末である。
しからば、私はこのように答えよう。
なぁ、君、実はだね、仕事、当面の休暇、与えられたわけだし、散歩にでも耽っては創造性高めなよ?と、私に語りかけるか。
或いは、いやぁ、君。なあ、こりゃあ、深淵の後遺症ですよ、とでも医者の顔をして、セカンドオピニオンでも下してみよう!
いえいえ、あの猛々しく未来に向かって泳いでいた遡河魚、或いは新たな未来を探し求めて旅に出た渡り鳥たちを唆したのは、あの悪名高い、ソクラテスだったのでしょうか?
という事は、哲学ってやはり、若者をそそのかしてしまうのかもしれませんね、毒人参を飲まされたのは間違いじゃなあ無かったのかね?
そうだ!
これはやはり、あの深淵病だ!
或いは、神に毒人参を?なんてね?
ともあれ、私は今日も、実存しており、この血をもって思想を記している。最早、友であるニーチェと同じ末路を辿る事も、共に木の枝を握りしめては弄り返すように、つんつんと突いて、深淵に悪戯を仕掛け戯れてきた実存主義者として悪くはないだろう!むしろ死後の世界があると仮定したならば!寧ろ、死についても論じてみたいものである。
何故ならば、この思想を私に齎した運命を愛しているからだ。
それは、精神の耐久性などで言い訳や撤回の出来ない私にとっての信念故である。
つまり、思想という精神の力を手にしたものは、精神の脆弱性に勝る強靭な意志を得る。ということである。


シズ
『ツァラトゥストラはかく語りき』
(Also sprach Zarathustra)
1883年から1885年にかけて執筆
全4部構成
「神の死」「超人」そして「永劫回帰」の思想を散文的な文体で論じている。
好きな哲学者を紹介する会
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