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ミスティーブルー

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11月26日はスヌーピーの作者
チャールズ・M・シュルツ 
の誕生日

スヌーピー自身は8月10日かぁ

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ぼっちか

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11/26(水)
#1186
【トークテーマ】
「スヌーピーの生みの親 チャールズ・M・シュルツの誕生日」
にちなんで
「あなたのベストフレンド」

【Xプレゼントキーワード】
「バッチリキングで爆笑」

#ラヴィット
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マミ

マミ

チャールズ・モンロー・シュルツ
1922年11月26日
漫画家
ピーナッツほかの誕生日👏
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kiwi

kiwi

シュルツさんはピーナッツを毎日描いて、アニメ版の原画も描いて、アイスホッケーもしてた日本で言う荒木飛呂彦先生的な化け物なんですよね。確か徴兵で入隊したのに、「軍に残ってくれ」と言われた逸話もありますし。
77歳と短命なのが以外です。
「自分以外にスヌーピーを描かせない」というプライドが凄すぎます。
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幾多斗

幾多斗

パニグレにおいて純粋悪なのってコレドール位しかいなくない?
シュルツですら理由ある
ヒサカワとヘインズも納得はしていないがこいつら悪ではなく所詮人間の小悪党なので比べるべくもない雑魚
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幾多斗

幾多斗

シュルツは悪役、というかこいつめんどくせえな…って感じの悪キャラだからなぁ
パニグレ本編を見回してもナナミちゃん本人から直接「お前のこと嫌い」発言されてるのこいつしか知らない
なかなか凄いことしてる
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大樹

大樹

大人になるとは、人生を諦めることなんですね?
誰も教えてはくれませんが。

良くも悪くも、大人になると言うのは「車のハンドルを握る様になる」事なのではないかと思います。

スヌーピーで御馴染みのチャールズ・モンロー・シュルツは、「ピーナッツ」のチャーリー・ブラウンを通じて「安心とは、車の後部座性に座る事だ」と表現したそうです。
子どもの頃、吾々は車の後部座席に座っている事が出来ました。何を心配する事もなく、前の座席に座る両親に全てを委ねて、窓の外の景色を眺めたり、穏やかな寝息を立てる事も出来ました。
しかし、チャーリー・ブラウンは続けます。人はある時、急に大人になる。前の座席に座らざるを得なくなる時がやって来る。シュルツ自身が、母の病や軍からの徴集によって大人に成らざるを得なかった様に。

子供である時、吾々の生きて行く上での選択肢は限定的なものです。親に養って貰っている分、自分の意思だけで人生の全てを決定する事は出来ません。しかし、その反面で両親や保護者に守られている安心感もありました。
大人に成るという事は、選択・判断を下して車を目的地に走らせなくてはならない様に、その責任や緊張感と向き合わざるを得なくなる訳です。助手席や後部座席に家族がいるかも知れませんし、事故を起こせばその責任を負わなくてはならない。迂闊な事を出来ない、無難に切り抜け続けなくてはならない。

子供時代の感性や思考が自由だと言われるのは、自身の生存に未だ直結しない環境の中であるからこそ、余計なものが無く純粋である事が多いからです。
本当はその感性や思考が大人に成ったからと言って消える訳ではないのです。その純粋な疑問や発想への答えが、大人に成ったからと言って与えられるとは限らない。唯、それを考えている余裕が乏しくなるのです。野生動物が自分の生存の術を模索して行動しなくてはならないのと同じで、人間も経済社会の中で生き残る為に頭を使い、行動し続ける必要があるからです。
純粋に自分の存在や未来への不安や希望と向き合えた幼少期・青年期から、常に生存や社会生活を成立させる為の要請に応じ続けなくてはならない大人に成る、という事はある意味ではシビアなものです。それを「人生を諦める」と見て取る向きも当然あるだろうとは思います。

しかし、逆に言えば大人であると言う事は、責任やリスクと引き換えに「ハンドルを握っている」という事。即ち、自分の人生の決定権を握っている事であります。
生きなくては、生計を立てなくてはならない、という要請と社会的責任という束縛。そんな重りを括り付けられていようと、吾々は究極的には自らの意思と行動の主人です。自らの望みを、それに伴うリスクと共に選び取る自由を持っています。
ですから、人生を諦めるかどうかも、各人の選択に委ねられているのだと思います。シビアな現実を前にして、尚も自分の信条や夢に生涯を懸けるのか、そうしたものを放棄して現実に自分を順応させるのか。リスクのある自由か、張り合いの無い安定か。それも究極的には吾々自身が選び取る選択肢です。

私も正しくシビアな現実に晒されている身ですが、夢を追っている身です。未来への確たる保証も無く、転落への恐怖と隣り合わせではありますが、それは間違いなく私自身の選択であります。
私にとって大人に成った事は、(自分なりの、ではありますが)「闘いの始まり」でした。自分自身やシビアな現実との闘い。仮に最後に無残な敗北に終わるとしても、その勝利も敗北も私自身のものです。生きる限り、情熱を持って大胆に挑んで行きたいと思っています。

とても良い話みたから

夢とかばかりでなくどんな事も、憎しみや羨みを常識としたり、決めつけはやっぱりあって、諦めと上手く行かない人生を羨むからと言うか
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