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░モジバケ░永そ哀
朽ちた遊園地の観覧車は もう動かない
けれど少女・莉央(りお)はそこに座り
ぬいぐるみと会話をしていた
「ここは夢の国だよ
ほんものよりもずっときれいなの
これがシミュラークルだって
ほんものなんて もう要らないんだよ」
彼女の瞳は虚ろで
笑顔は切り裂いた紙のように不自然だった
観覧車の影からふしぎな獣が姿を現した
猫のようで 鳥のようで どこにも属さない
莉央はそれを見て囁いた
「あなたがアルケーなの?
ぜんぶの始まり ぜんぶの種みたいなもの」
獣は答えなかった けれど
その沈黙こそが答えのように思えた
遊園地の通り道には 割れたガラス
ちぎれたポスター
莉央はそれらを拾い集めて 並べて 壊して
また並べる
「これが 脱構築なんだよ
つくって こわして またつくる
意味なんてどうでもいい
ぜんぶぐちゃぐちゃにすればいい」
彼女は無邪気に笑い
血のにじむ指で絵をかきを続けた
夜になると 遊園地は音もなく沈黙した
莉央は観覧車に凭れ
星の見えない空を見上げて言った
「わたしの中にいるのは タナトス
生きるよりも消える方がずっと楽しいんだ」
その囁きは 遊園地に取り残された精霊たちの
すすり泣きと重なり 闇に吸い込まれていった


Life robot2
カズオ・イシグロ『遠い山なみの光』(1982)
再読しても「信頼できない語り手」やアイデンティティについて考えさせられる。
もはや「実存」というものが自明ではない時代に、いかにして自己のアイデンティティを再構築するかという問いを投げかけている。その答えは、「実存の虚構性」を認めながら、その虚構を丹念に反復し続けること、つまり「シミュラークルのなかで生きる」という、あるいは「物語が失われたあと、わたしたちはどう生きるのか」という問いに対して「虚構を演じる」ことでかろうじて生き続けるというある種の諦念と同時に、ある種の美しさを見出そうとする試みだ。
それは、もはや「本物」が手に入らないと知った現代の私たちが、どう生きるべきかという問いに、静かに応えているかのようだ。


きさき
#今日の哲学
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