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ドブ山
朝枠15コンテクストが見えにくいですふんほどおまち(

むかで
南直哉さんのブログを読みググる。
意味は、「文脈、背景、状況、前後関係」だそうです。
言葉にチカラを与えるのがこの「コンテクスト」を共有した空間だとして、、
ネガティブな言葉に苦慮した時に、逆から考え潰していくのもアリかと考えました。
「コンテクスト」無しで「その言葉」を受けた時、
ここまで胸を痛めるだろうか?
相手はこの「コンテクスト」を巧みに利用し、言葉を鋭利に尖らせる。
なので、危なそうな時は。。
「今着ました」
「初めて会いました」
的な感覚でコンテクストを無視して相対するのも、心の自衛として使えそうだと感じた内容でした。
やっぱ南さん難しいw

仁智
第一章:言葉の向こう側
言葉なき**脈絡(コンテクスト)**に、
**概念(コンセプト)**は静かに芽を出す。
それは世界の形、思考の青写真。
でも、口に出すとき、文字にするとき、
言葉がそれを拾い上げ、意味となる。
伝えるために、分かち合うために。
形なきものが、言葉の橋を渡る。
橋の先こそが、真実の共有だ。
第二章:心の影と光
見つめた事象を、間違って受け取れば、
それはただの誤解、「誤った解釈」。
光を当てれば、霧は晴れ、すぐに直せる。
だが、心の奥に積もった決めつけは、
揺るぎない偏見、「偏った見解」。
真実より、自分の見方を愛してしまう病。
それは壁となり、愛と知ることを遠ざける。
第三章:論理の武器
誰かに責められた時、逃げたくて探す、
都合の良い言い訳、「言い逃れる理由」。
それはやむを得ない事情という名の盾。
自分の主張を通すため、論理を曲げれば、
それは屁理屈、「自分勝手な理屈」。
勝利のための、ねじ曲がった知恵の刃。
誠実さこそ、最も強い武器であることを忘れずに。
第四章:たった一つの核
この世の全て、騒音や葛藤、誤りも、
結局は、二つの柱に辿り着く。
ひとつは、誰かを、何かを、深く愛すこと。
共感と絆、ぬくもりこそが、生きる力だ。
もうひとつは、世界を、自分を、真に知ること。
真実を探る勇気こそが、自由への道だ。
愛すと知る。
それが光と影、思考と感情の全てを照らす。
中高生よ、その二つの鍵で、世界を開け。

その辺のITの人
文章やコンテクスト読めないコミュニケーション能力の低い相手と話しても会話成立しなくないか??

comesunday
回答数 26>>
ただし、そのどの場合でも常に当てはまる、より根源的な目的が別にあり、それは、生物としての本能的欲求の充足である。つまり、自分の情報生成と、相手の情報生成の相互作用によって生まれる、新たな情報生成によって、脳の刺激欲求を満たす行為である。

モノクロ
shin
ある程度の大人になると、現実のトレードオフを受け入れて、どちらかを選ぶことになる。
ぽんかん
ずけずけと他人の領域にくるやつは
本当に頭いかれてると思う
思慮深さを磨いて出なおせ

みゅあ
おそらく質問者は、自分に好きな人がいる状況下で、LINEやInstagramのダイレクトメッセージなどでのテキスト・コミュニケーションにおいて、自分が言ったことへの返信、もしくは、相手からのメッセージの通知によってテンションが上がる、つまり嬉しいと言っているのだろう。ここまで書いて、この質問が高度なコンテクストに基づいていることに気付いた。つまり、若者世代ために非常に簡略化された文、ということだ。圧縮言語、と言っても差し支えないかもしれない(それを迷いなく理解することができたため、ここまで言語化しなければ気づくことができなかった)。
話を戻すが、相手の一挙手一投足(インターネット上では手も足も見えないが)に注目し、自分にとって好ましい返答があれば喜ぶ、好ましくない返答があれば機嫌が悪くなるようなコミュニケーションの形は、良いか悪いかは別として、かなり情緒の軸が他人になっていると感じた(ここまで拡大解釈されるとは質問者も思っていないだろうが)。わたしは、いわゆる自分軸で生きており、他人に振り回されることをひどく嫌うため、考え方が違う、と思った。ただ違うだけだ。朧げな記憶を辿った限り、昔は他人のことばかり考え、好きだった人からメッセージが来るのを今か今かと待っていたような気がする。だから質問に、覚えていない、もしくはそうだったかもしれないと回答した。
とはいえ、誰かのために感情をそこまで動かすことができるほど、他人のことを好きになれる、というのは、わたしはとても良いことだと思う。以上。
shin
例えば、映画の上映前の説明で、「ここでシャワー浴びないでください」とか「ここでサンマを焼かないでください」とか言われてないからOK、みたいな解釈をしたらダメなのと同じで、普通に生きるうえで、そんないちいち、物理的にあり得る全事象について、有限の時間内に言及することはできない。
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