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B. 日頃想定している個人の多様性のばらつき幅の違い
A.
遅刻に限らず、明文化されたルールの厳守によるリスク管理は、想定外状況の排除による問題発生防止を重視し、発生後の想定外状況への対策を軽視する。(「想定外」は明文化できないのルール策定できず、ルールで対策できないことは軽視される。)一方、発生後の対策を重視するリスク管理では、ルールで対策できない想定外状況への対処も重視するため明文化したルールを絶対視しない。(つまり、比較的に軽視する。)予め明文化したルールが守れない状態は各々の状況ではあり得るとし、状況に応じてその場その場で対処すればよいと考える。
B.
歴史的に民族間、国家間などで大規模広範囲の侵略、混合、再形成などを何度も繰り返して現在の秩序に至っている社会に生きる人々は、人種の異なる人を見たときに使われることが多い「外人!」という言葉をもつ日本人と違い、生まれた家庭の貧富や言葉や宗教などが極端に異なる他人との遭遇や関わり合いも多く、付き合いに於いて想定外の状況が発生することにも慣れているため、ルールや約束が逐語的に守られなかったとしても、それが直ちにリスク管理の軽視や(リスクによる迷惑から守るべきである)相手の軽視を意味するわけではないという感覚をもっている場合が日本人よりも多い。
***
一般に、リスクの大きさは問題発生の可能性と規模の掛け算で評価できると考えると、想定外状況排除による問題発生防止を重視するか、想定外状況への対策を重視するかは、どちらかが他方より優れている・劣っているとは一概に言えない。(当該の生活習慣や場所といった条件下の観測結果などから)期待できる想定外状況の発生率やばらつき幅に応じてリスク管理のやり方を変えるのは妥当で、文化によってそれが異なるのは自然であると考えられる。

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触んなや💢
モジャ毛刈り上げんぞコラ🪚

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プツっ ジュワっ
てなる。


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庵野さんとか?


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> プロジェクトマネージャー急募!<
 ̄Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y^Y ̄
助けてください!
前任者はひと月しかもちませんでした。
その前は3ヶ月でした。
誰か来ないと、僕が辞められません😭

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comesunday
押井さんが、ボトムズの新作つくるらしい!
コレは絶対アタる!
っていうわけでもないわけでもないわけでも、、、ないカモ、w
って、どうなるか分からんけど、
何かしら、ヤラかしそう!
っていうところが、いいよね。
押井大先生。
#奴について知った風な口を聞くなッ特にこのロッチナの前ではな

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ア・ア・ア・ア・ア〜ィリィ〜スアウッ🎤
を無断で横からハモった

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#敗けたやつが悪なのだ


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#特に解除し忘れてチャリ乗ってるとウザい


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#わかりにくいネタでスマン
#WB買収でNetflix配信復活希望The100


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なんか目が曇って携帯めっちゃ見づらいねん👀

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海水浴客で賑わう浜辺から見渡す美しい海の下、暗く冷たい海の底には、私たちの知らない何かが蠢いていて、それがたまたま海岸近くまで流れ着いたとしたら、あなたもひょっこり出くわすかもしれません。
おや?あんなところに、大きなウミガメが、、、
、、、いや、アレは⁉️、、🫣
(終)


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#ギリを狙いに行く

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#林家ペー・パー子の家以外では

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#それは別の皿で食え

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comesunday
期待通り、めっちゃ楽しめた。
「興行収入」を付けてGoogleすると、誰に忖度しとるんかいなと思っちゃう様々な記事がいっぱい出てくる、本シリーズ。映画ファンの間では好きな人もそうじゃない人もいるのかな?
私の印象は、Synthetic(人工的?っていうのかな)な映像で映画を作る試みの最先端。空に浮かぶ島の間を竜に乗って飛び回り、海を自由に泳ぎ回ってクジラと友情を交わす「妖精」の映画、人々が夢に見る美しいファンタジー。そういうのを全力で大マジメに作る、昔ながらのディズニー作品なんかのジャンルのフラッグシップ。
昔ながらの映画ファンぽい人たちからは「CGなんて云々」てなコメントがあったり、それに応えるように広告動画でキャメロン監督が「人工的なCGだけじゃなく最新の装備と設備で俳優の動きをキャプチャして云々」みたいなコメントがあったりする。しかし、実は、CGバリバリでも、そうと感じさせない美術で仕上げてる「猿の惑星: 創世記」とか「Dune/デューン 砂の惑星」とかは、そんなこと言われてるのを目にしない。
このシリーズがそういう言われ方するのは、これが「ジャンル越境」してる映画だからじゃないだろうか。つまり、「ファンタジーアニメ」のフォーマットに予算と最新技術を注ぎ込んで、セット美術と人の芝居で魅せるタイプの「スペースオペラ」(のようなスペクタクル)を造るっていう越境をやってるので、そういった従来ジャンルのファンが、今までとちょっと違うものを観せられて色めいてるんじゃないかと思う。
映画はチケット買った後じゃないと観られないので、中身を知らない人に買わせるための仕掛けとして、ジャンルというものが必要。広告でジャンルを匂わせておいて、内容で遵守するも裏切るもプロモーションのやり方次第だが、観客はいずれにしても匂わされたジャンルを理解して相応の期待があるからこそチケットを買って映画館に入るわけで、まだ人々が知らない「越境」ジャンルを観せられると、期待と違うので不足感を感じる人がいるのは自然なことだ。
これはファンタジーアニメなので、ナヴィという「妖精」が登場し、妖精は妖精なので、全て美しい。どれだけ最新技術を駆使してリアルな質感の表情を描いても、ファンタジーに醜い妖精などというものは登場しない。なので、例えば、ファンタジーアニメじゃなくスペースオペラを観に来たつもりの人は、そこに物足りなさを感じるかもしれない。
同じCGデザイン顔でも、「猿の惑星: 創世記」で、大量消費と環境破壊の末に滅びた人類と、新たな世界の欲望と殺戮と生存競争を担う類人猿との、両方の業を単身背負って闘うシーザーのような、深く刻まれた皺を湛える重い表情は、この映画には登場しない。女神エイワと繋がりパンドラを守ろうとするナヴィ達が集まって歌うシーンは、バリ島のケチャにも少し似ているが、戦神ハヌマーンの勇姿をも描くケチャのような戦闘的な熱気は描かれない。
ともかく、そういう、次世代のファンタジーアニメの可能性を全力で試みる映画として、これはとても楽しめた。ナヴィの表情や動きの表現もアクションもパンドラの美しい自然のスペクタクルも、一作目から毎回、格段に進化してる。
たぶん、今後もっと進化する。
つまり、この越境ジャンルは、まだ新しく出てきたばかりで、発展途上なのだと思う。政情不安定危機や恐慌や疫病で経済社会が停滞しなければ、これからもっと進化するかもしれない。
てなわけで、のんびりボケ~っと映画観てGravity投稿できてる今の社会に感謝。

comesunday
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ラリー・フリント 1997
あかん。天才っていうと、こういうヤサグレたやつばっか思いついてしまうわ。

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じゃあ、オレの代わりに出馬してくれる人〜🙋♂️

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#俺はナナメ派

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中学生の頃、マニアックな雑談が好きな英語講師のオッサンがいて、何のきっかけでか忘れましたが、突然クラスの生徒に向かって「色ってなんだ?雪は白いっていうのは正しいか?」と訊いてきました。
咄嗟に、「よく見れば透明」と答えると、「何だそれは。どういうことだ?」とか言ってきました。
その話の詳細は覚えてませんが、結論は、モノの色は、「人が見てそのように(赤く、白く、青く、など)見える」ということでしか定義できないという話でした。
当時、私は、光の色は波長に対応付けられると思っていたのですが、そう言えるのは短波長単位相のレーザーのような光だけで、人が普段見る自然界の光はそうではく、異なる波長、位相、向きの光が多様に混合された状態を知覚しているので「全ての/殆どの人の目に赤く見える光」であることの必要十分条件となる「物理学的に〇〇の特性を持つ」条件を見つけるの非常に複雑で困難な問題だと気付きました。
そこからさらに、この問いの問題に近づけるために「反射光がXXXの条件下で人の目に赤く見える物体の物性」を必要十分な物理学的条件を考えると、これはさらに難しい問題です。
つまり、色とは、例えば誰かが「赤く見える」「青く見える」、、、といった対象をそれぞれぞれ集めて、対象どうしの共通特性値として「赤」「青」、、、と、ラベルをつけ、対象同士のラベル共通性について観測者の合意が得られたものを色の名前として認識しているのであって、実は、「赤」とラベルづけている対象の色が異なる観測者間で「同じ色」かどうかは確認されたことがないわけです。
なので、今のところ、この問いの答えになる「色」の同一性を定義する方法は、物理学的にも認知科学的にも、広く認められた一般的なものが存在しないと思います。
ニューロマーケティングなどの脳科学と塗料の開発などで応用されるような光学物性の研究が進んで、いつか誰かが方法を見つけるかもしれません。
とはいえ、なにせ数十年前に、どっかの大学の哲学科講師のオッサンが、副業の塾講師バイト中に、中学生相手のつまんないジョークのネタにしてたわけですから、昔からそれなりに知られた問題なのでしょう。
今さら、明確な経済的動機がなければ、わざわざこの研究のために人手や資金や時間を使う人はいなさそうだと思います。

comesunday
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2. 恐怖に対する過敏な反応が(自分を含めた)誰の利益にもならない時に、それを抑制なく露呈する人
3. 自分の認知バイアス(例: Harmful Stereotype に影響・歪曲され観測情報に拠っていない評価をする、自分の親近者を高く/低く評価する、など)を意識的に補正できない人
「"大人"の姿」とは、「子ども」または「若年者」の目線で見られた自分のことあって、その人たちより、数年から数十年、社会生活を長く経験している先輩としての有様、という趣旨であってますよね?
ずっと前に大人になってしまった立場では、なかなか気恥ずかしくて答えにくい問いでしたね。
そこをこらえて、敢えて答えてみると面白い。
人からどう見られたいか、特に、自分の利害への直接影響力が比較的小さいと考えられる、不特定の「子ども」からどう見られたいか(あるいは、見られたくないか)は、普段あまり意識しない。
ふと、このように訊かれて答えを考えてみると、無意識の自己実現欲求に気づかされますね。
俺って意外と、マッチョぶってるんかも。
(ハズッ🫣)
そういうの嫌ってるつもりだったんだけど😅
無意識に、サムライに憧れるのかもな、、、
望んでなくても、心の奥底では。
日本人だから。

comesunday
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0. 言説を、言語として、含まれる情報と含まれない情報の区別も含めて厳密に解釈する。
1. 理解を(適切な手法による厳密な)観測と観測値の統計と照合する。
2. 理解した各要素の間の整合性を確認する。
3. 上記を定期的に繰り返して再検証し続ける。
追加:
4. 言説を発話・記述・主張されるに至らしめた主体の目的または根源的欲求を前後のコンテクストの観測から仮説として解釈し、上記の方法で同様に検証し、その内容との整合性も同様に検証し続ける。
これは、それなりの手間がかかり、他のありとあらゆる活動と同様、100%の精度で履行することも、そうであるかどうかを検証することもできない。
しかし一方で、これは人類が20世紀前半までに確立していた方法で、少なくとも日本で生まれ育った人は大抵誰でもよく知っている。決して難しいことはない。100%は無理でも、日用としては、ほぼ間違うことがないほどの精度で容易に実行できる。
にも拘らず、実際には、曲解、誤読、誤解は非常に頻繁に発生する。
つまり、上記の当たり前の容易なことを、敢えてやらない何らかの理由がある状況が頻繁にあるということになる。
例えば、興味がない内容の理解の検証などに手間をかけたくないとか、自分の望む状態(自分自身や自分が好きなものの評判や収入の向上など)の阻害につながる主張などは、わざわざ手間をかけて曲解を防ぐより、寧ろ都合よく曲解したい思うのは、自然なことだ。
曲解、誤読、誤解をしたくないのであればよく知られた方法で適切に理解を検証すればよいだけだが、自らの意思でそうしているならば防ぎようがない。人間は根本的に自由であることをやめられないし、自由であることを他人に止めてもらうこともできないから。
他人に曲解されるのを防ぎたければ、その人が曲解したくなるような内容や言い方を避けるしかない。

comesunday
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外部的な説明とは、例えば、赤、青、緑で構成される色という世界で、青でも緑でもない赤を「区別して特定」できる情報を言語として構成することなので、「感情」を、何のために何と区別するのかといった目的に応じて、観測方法、観測情報、言語化方式を選択することになります。
但し、主体の内部的な「価値」・「意味」(及び「主体に根ざす言葉」のすべてが表すもの)が「感情」として影響・支配・構成・生成している対象と、上記の外部的な言語による「感情」の説明の対象が、同一であることを表現・証明できる言語は存在しないでしょう。
ここでいう「主体に根ざす言葉のすべて」とは、実のところ、主体が外部との相互作用を観測して生じた情報を言語化して「区別して特定」するために構築した世界そのものであり、外部的な「感情」の説明・定義の目的のために言語化された世界とは別のものだからです。
異なる世界を同一の言語で扱おうとすると、所謂、ラッセルのパラドックスに陥ると思います。

comesunday
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