共感で繋がるSNS

関連惑星

人気

関連検索ワード

新着

りんご飴

りんご飴

12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日。なので仇討ちの映画といえば?12月14日は赤穂浪士の討ち入りの日。なので仇討ちの映画といえば?

回答数 33>>

『狼の死刑宣告』😵‍💫🤮🤬🐺
(ケヴィン・ベーコン、ケリー・プレストン、
ジョン・グッドマン)
(映画館で観ました🤮🐺)(旧テアトル梅田📽️)

幸せな家族を襲う理不尽な暴力😵‍💫🤮[大泣き]
ニック(ケビン・ベーコン)は復讐を誓います🤬
映画の星映画の星
GRAVITY
GRAVITY10
ボルド

ボルド

happiness is a way of travel not a destination はロイ・M・グッドマンの格言なので、変なTシャツとかがAmazonに無数に存在してる
GRAVITY
GRAVITY2
HAL(ハル)🔴

HAL(ハル)🔴

DVD化されていない、あるいは廃盤、今配信されていない見たい映画ありますか?DVD化されていない、あるいは廃盤、今配信されていない見たい映画ありますか?

回答数 61>>

【ステラ(1990年)】この感動のドラマが廃盤!だったとは!配信もないとは!驚いた!音楽もいいしお母さんの頑張りは永遠に愛されるはずなのに
【概要・あらすじ引用】
オリーブ・ヒギンズ・プローティの「ステラ・ダラス」の3度目の映画化であり、未婚の母として誰にも頼ることなしに力強く生きてゆこうとする女性とその娘の20年間にわたる愛情に満ちた関係を描く女性ドラマ。製作はサミュエル・ゴールドウィン・ジュニア、監督は「欲望という名の電車」のジョン・アーマン。脚本はロバート・ゲッチェル、撮影はビリー・ウィリアムス、音楽はジョン・モリスが担当。出演はベット・ミドラー、ジョン・グッドマンほか。
#GRAVITY映画部 #映画
映画の星映画の星
GRAVITY8
GRAVITY18
ハシオキ龍之介

ハシオキ龍之介

デヴィッド・ストーン・マーティン画廊 # 18


#レコードジャケット #JAZZレコード


☆『スタン・ゲッツ』

村上春樹のコレクションの中からのデビッド・ストーン・マーティンが手掛けたジャケット作品にフォーカスした本を紹介している。
 続いて村上春樹のコレクションから紹介されたのが『HAMP and GETZ』。互いに帽子を取ってのご挨拶が微笑ましい。ゲッツとライオネル・ハンプトンとは、これまた異色の取り合わせやなぁと思ったが、村上春樹によれば…グランツは数多くの手持ちのミュージシャンをほとんど「順列組み合わせ」的に組み合わせて録音をおこなったみたいだが、意外な組み合わせがホットな結果を生むことが多く、そのへんの目付の確かさは「さすが」と感心させられる。ゲッツとハンプトンの顔合わせもそんな意外な成功例のひとつで、二人は真っ向勝負のホットなプレイを繰り広げる。そしてその演奏の質はとても高い。ゲッツも本気、ハンプも本気だ。…となる。
ライオネルは最初はドラマーだった。1936年、ルイ・アームストロングとビング・クロスビーの共演映画『ペニーズ・フロム・へブン』にルイのバンドのドラマーとして出演、映画の中でルイの唄う♫クローゼットの中の骸骨 というおどろおどろしくもコミカルなシーンで、仮面を被ってドラム🥁を叩きながら村上"ポンタ"秀一がよくやる、ドラムセットから立ち上がり辺りの全てのものにスティックを当てて踊るように叩き、最後は本物の骸骨の肋骨をスラーで流し打ちした時に、ザイロフォン(木琴)の音を当てる、というパフォーマンスを披露。ライオネルがドラマーからビブラフォン奏者に変身した瞬間だった。同じ年にベニー・グッドマンのカルテットに招かれて、巷間では史上初の白黒混成バンドとされているチームに参加、ここからライオネルの陽キャな一面が世の人々に認知された。ベニーのバンドで一頻り演った後、1939年に自己の楽団を結成する。ステレオ時代になってからライオネルの楽団で♫エアメール・スペシャル を聴いた事があったが、ライオネルのスイングパルスが楽団全体に波及して、ブラスを含めた集団パフォーマンスが凄まじいグルーブとなって圧巻の演奏となっていたのには舌を巻いた。
本回アップしたこのアルバム筆鋒の♫chrokee
でも非常にホットな2人のバトルが繰り広げられている。ライオネルは興が乗りはじめると必ず"唸る" 。ベニーのカルテットでもその間隙を縫うように、…ィェィーィ いぇーいィぇーいいぇーい…と唸っていた。ジャズメンでは時々この唸りを隠さない御仁がいるが、大体は黒人が多い。バド・パウエルなどはかなりドイヒーな唸りを聴かせる。タモリが以前ラジオで…ありゃ、バドがピアノを虐めてるんだ…と言い切っており、変に腑に落ちた事があった。様々な解釈があるが、あの唸りを容認するか否かで、聴く者の価値観が試されているようでもある。もっと酷いリスナーはそれをスピリチュアルにまで拡大解釈する勘違い者がいるので、要注意である。ジャズ解説もせいぜいタモリレベル位までに留め置くのが、正しいジャズとの向き合い方ではないだろうか。

GRAVITY

Cherokee

Lionel Hampton & Stan Getz

スイングの星スイングの星
GRAVITY1
GRAVITY13
ハシオキ龍之介

ハシオキ龍之介

デヴィッド・ストーン・マーティン画廊 # 17


#レコードジャケット #JAZZレコード


☆『スタン・ゲッツ』

村上春樹のコレクションの中からのデビッド・ストーン・マーティンが手掛けたジャケット作品にフォーカスした本を紹介している。
 ムショ帰りのゲッツが久しぶりにライブレコーディングを行った。1954年11月8日。ゲッツが特に親しかったトロンボーン二ストのボブ・ブルクマイヤーが共演している。ボブはスタンより2つ年下。共に1920年代後半に生を受けた。ボブもスタン同様、人気ビッグバンドの下で研鑽を磨いた。
ボブはグレン・ミラー楽団を引き継いだテックス・ベネキ&レイ・マッキンリーの楽団で若きピアニストとして活躍したが1950年代に入るとクロード・ソンヒルの楽団に移籍してからはバルブトロンボーンに変えた。やがて、ウッディ・ハーマン楽団から独立したばかりのスタンの楽団に加わり、そこで親交を深めた。村上春樹はこの本の中でボブについて「ところどころで野暮ったく聞こえるのが難点といえば難点だ。ゲッツはブルクマイヤーを高く評価していたようだが、僕はこの人のいかにも理の勝った演奏ぶりが今ひとつ好きになれない。にもかかわらず、この二枚組LP
「アット・ザ・シュライン」は間違いなく、ゲッツの代表作のひとつにあげられるだろう」。
ボブのトロンボーンは村上春樹が指摘するほど野暮ったくはない。そもそもトロンボーン自体、野暮ったい音だから(笑)
トロンボーンの名手と言えばジャック・T・ガーデンである。トロンボーンのソロを吹く時に、……いかにもトロンボーンでござい‼️というようなソロを俺は吹きたくないね。……と、そこまで言い放つジャックのソロは1930年代くらいまではその言葉通りで、ぽわんとしたソロではなく、シャープで切れ味鋭いアドリブが人々を刺激した。1920年代のレッド・ニコルズ楽団時代にクラリネットの若き名手だったベニー・グッドマンとの火花散るようなcl. VS tb.のソロのチェースはスリリングであった。
1943年1月、ジャックの楽団に若き日のスタンが入団した。この頃のスタンはまだ高校生だったが、ミュージシャンユニオンにも加入していたスタンはミュージシャンとして一端の大人と全く遜色ない仕事振りであった。スタンを気に入ったジャックは時々訪れてくる無断欠席の生徒を調査する少年課係官が来て、即刻スタンを解雇されたしという命令書を手渡されたりもしたが、ジャックは怯まず逆にスタンがどれだけこのバンドで必要とされている人材かを、その係官に説得した結果係官は引き下がっていき、二度と現れることは無かったという。
さて、先程の村上春樹のボブは野暮ったい論に話は戻るが、村上春樹はジャズのみならずクラシック音楽などあらゆる音楽にも精通しているせいだろうか?そのフレーズの一音に至るまで精緻に拘る。私の様に、凡そな聴き方はしない。そこに音楽に対する真摯な姿勢であるか否かの違いが出て来るのである。村上春樹のボブへの私見は、私にも覚えがあって、私はシドニー・ベシェのソプラノサックスが苦手である。これはもう言葉や理屈では言い表せない。単に苦手としか言い様がないのである。古い時代のブルーノートからリリースされた代表作の♫サマータイム などはここ数年の猛暑続きの最中に掛けられたらウンザリする。
しかし、世界的な映画監督ウッディ・アレンはそのシドニー・ベシェフリークで、自らもソプラノサックス🎷🎶を吹奏し、すっかりベシェに成りきっていた。1998年公開(日本未公開)の『ワイルド・マン・ブルース』はアレンにしては珍しい一切のナレーションも説明もない、ただアレンがバンドとソプラノサックスを吹いているだけの半ドキュメント仕様で作られていた。アレンのベシェ愛が汲み取れる一編である。
アレンと言えば自らの幼少期に流行っていた数々のスイング楽曲がふんだんに流れる『ラジオ・デイズ』が有名であり、この惑星でも誰かが紹介してくれることを願って止まない。誰も書かないならワシ☞(◜ᴗ◝ )書く(・ω・)φ
斯様にして自らの私見で音楽を断罪する手法は以外と昔からある。私が30代の頃、通っていた東京・水道橋にあった中古レコード店『ROOT』のマスターの手引きで吉祥寺の老舗ジャズ喫茶Megでレコードコンサートをヤラセて頂いたが、そこのオーナーの寺島靖国氏も極端なまでにチャーリー・パーカーやビリー・ホリデイ嫌いである。これは彼の自著にも書いてあることだから公開しても何ら支障はないだろう。私がSPレコードで聴く女性ボーカルを特集した時に、招待した神田神保町でTONYレコードを営む店主真尾くんが後からそっと教えてくれて発覚したのだが、寺島氏は私がビリーホリデイの名盤♫Lover Man を掛けている最中あろう事か、耳栓をしていたらしい。ジャズの未だに人気の絶えない、又、ジャズ史的にも大きな影響を与えたこの二巨頭を袖にする精神。いやはやなんとも…である。こういう方の書く著作もノリ一発の観無きにしも非ずである。初めて世に出た『辛口ジャズノート』は面白く呼んだが、正史を蔑ろにした私見だけの本なので、初心者には薦められない。
さて、本回ご紹介するのはご覧のジャケットでお馴染みの『AT THE Shrine』冒頭でも書いたライブ盤でリリースは1955.3.1。選曲したのは、先程の話にも出た♫Lover Man 。スタンとボブの絡み合いにご注目👀
GRAVITY

ラヴァー・マン

スタン・ゲッツ

スイングの星スイングの星
GRAVITY
GRAVITY18
マサヤス   龍之介

マサヤス 龍之介

Uber Jazz ♯ 47

 ☆『スイングジャズの花形ボーカリスト.22』

 ハリージェイムズ楽団の最大にして彼の代表曲となったレコードが♫You Made Me Love You あなたのとりこ であろう。曲そのものは1913年に出版されたもの。何と100年以上前の楽曲である。当時は舞台劇が全盛期、アメリカではミンストレルショーと言って白人がわざわざ黒人の様に顔に靴墨を塗って舞台で戯けたり歌や踊りを披露したり、そんな文化が一世を風靡していた時代。
 昔、日本でもシャネルズ=ラッツ&スターが扮していたのをご記憶の方もあるでしょう。あれはもっと時代が下り1950年代のソウルミュージックやドゥーワップと言った音楽が背景だったようですが、1910年代のアメリカのミンストレルショーは白人絶対主義が罷り通っていた時代、黒人は労働者階級としてそれをコミカルに白人が演じていたのである。これらは100年以上経た現在では差別的と見做されて公的な場ではご法度と成り果ててしまったが、演者が全て黒人を馬鹿にしていた訳ではない。その時の人気者アルジョルスンも黒人への敬意を表した上で演じていた。そのアルジョルスンがこの歌をThe Honeymoon Express"というレヴューで唄い、ヒットした。アルジョルスンの後年のアルバムにもこの歌が所収されている。  
 それをハリージェイムズ楽団はハリーの艶やかなペットで表現した。1941年5月20日に録音されそれがヒットした。全編インストゥルメンタルだったが、翌年ハリージェイムズ楽団が映画出演した際にヘレンフォレストが唄う場面が挿入されて、後年女性シンガーたちがこの歌をこぞって取り上げた。それだけヘレンフォレストの影響力があったことの証左である。私がSP盤を持っていたのはコニーヘインズの盤だったが、ハリージェイムズ楽団のレコード以上に甘くて今聴くとこれぞポピュラーソングといった趣きである。欧米ではこうした古い歌をリバイバルしてその時の時流に合わせた楽調でアレンジしてレコードにする文化が根強い。日本ではすぐに新曲を求められるが、西洋ではとっくの昔からカバーも文化だった。更に時代が下りコニーフランシスもそうしたカバー曲のヒットが多い。日本では♫VACASION が殊に有名だがアメリカ本国ではヒット曲の傾向がガラッと変わる。そのコニーフランシスもこの楽曲を取り上げている。
 さて、ヘレン・フォレストに話は戻るが、1942、1943年の人気音楽誌『ダウンビート』と『メトロノーム』の投票で人気女性シンガーNo.1に選ばれたのがヘレンだった。後進の女性シンガーが憧れたのは無理もあるまい。この当時の女性シンガーと言えば、ハリージェイムズのライバル楽団だったジミー・ドーシー楽団の専属歌手だったヘレン・オコネル、ベニー・グッドマン楽団時代のペギー・リー、トミードーシー楽団専属のコーラスグループ パイドパイパーズに居てこの直後に独立するジョー・スタッフォード、ザビア・クガート楽団から独立したダイナ・ショア、誰よりも早くソロデビューしていたビリーホリデイ、ベテランのミルドレッド・ベイリー、映画の世界からソロシンガーへとデビューした変わり種リナ・ホーン、ビリーと同時期にチック・ウェッブ楽団からソロデビューしていたエラ・フィッツジェラルド こうした錚々たる面々を制しての名誉だった。
1942年7月22日 ロス・アンジェルスで録音された♫ I Had The Craziest Dream はヘレンにとっても又、ハリーにとってもフェイバリット ソングとなる。老齢になってからのハリーは日本人ジャズシンガー真梨邑ケイとこの曲を録音した際に真梨邑に「この曲は僕にとってのマイフェイバリットソングなんだよ」と語ったと真梨邑は話していた。確かにそう言ったのだらう。



 
GRAVITY

I Had the Craziest Dream (Remastered)

ハリー・ジェイムス&ヒズ・オーケストラ

スイングの星スイングの星
GRAVITY6
GRAVITY34
もっとみる

おすすめのクリエーター