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haru

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表面的には「うんうん」って聞き役に回ってるように見えて、 実はちゃっかり自分の都合のいいように場を回してるから面白い。その計算高さが顔に出ないのは、生まれ持った愛されスキルだよな。普段は家事もこなすしっかり者なのに、 遊びとなると急にフットワーク軽くなるから目が離せないのよ。
基本的に穏やかで、誰とでもすぐに打ち解けるから、気づけば周りに人が集まってるタイプ。ただ、自分が一度「これだ!」って決めたことには、周りが見えなくなるくらい一直線になるから、その熱量に周りがちょっと引くこともあるかもね。でも、その真っ直ぐさがこの子の人間味なんだよな。
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すなふきん🐸

すなふきん🐸

おはようございます☀

昨日は雀魂祭りにご参加頂き、誠にありがとうございました♪
突然開催したのにも関わらずみんな集まってくれて感謝感激です[大笑い]
お陰で楽しい時間を過ごすことが出来ました( 艸`*)

お約束の役満賞
ジェシー様(国士、四暗、大三、数えは凄過ぎるw)
マキ様(大三)
つんちゃん様(数え)
以上3名はおめでとう御座います🎉
1垢タダ箱プレゼントします♡

残念ながら、バンジー賞は無しでした‼️w

またヒリつく戦いをしましょう( ≖ᴗ≖​)ニヤリ


次回開催するときは事前告知して、みんなで呑みながら楽しめたらなぁって思ってます!
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吉田賢太郎

吉田賢太郎

題名:『日常の裏側に届く、最高にリアルな贈り物』
​教科書に載っている「正解」は、
誰かが決めた、退屈な「表の設定」。
でも、僕らの世界はそんなに単純じゃない。
​都市伝説。
それは、嘘でもなければ、ただの噂でもない。
「友達の友達」から届く、
一応のエビデンスでラッピングされた、
刺激的なプレゼントだ。
​それは、世界の**「裏設定」**。
みんなが信じている「普通」からこぼれ落ちた、
「例外」や「論外」をあえて拾い集めて、
ひとつの物語に編み上げた、知的なパフォーマンス。
​「ただの説(陰謀説)」で終わらせない。
「これが世界の真実だ」と言い切る**「論(陰謀論)」**の強さが、
僕らの退屈な日常を、一瞬でスリリングな映画に変えていく。
​本当かどうかなんて、二の次でいい。
大事なのは、その話を聞いたあと、
いつもの帰り道が、少しだけ違って見えること。
​信じるか信じないかは、君次第。
だけど、この「面白い世界」を誰かに渡したくなったとき、
君もまた、この壮大なパフォーマンスの、
新しい主役になるんだ。
​このポエムの「本質」まとめ
​「裏設定」としての面白さ: 世界には隠されたルールがあるというワクワク感。
​「論外・例外」の肯定: はみ出した情報こそが、物語に深みを与える。
​「エビデンス付きのギフト」: 根拠があるからこそ、誰かに教えたくなるエンタメになる。
​「説ではなく論」: バラバラな事実をつなぎ合わせ、ひとつの完成した世界観を贈ること。
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🐰椎茸🐰🐇

🐰椎茸🐰🐇

#クリスマスと言えば

オーナー…「仕事」
※この時期教会で祭事を行ってる

椎茸…『繁忙期』
※クリスマスの仕事しながら正月、バレンタインのシフトと催事の準備。

役員達…「税理士との打合せ」

#大人になるとね
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s

s

だから役所の馬鹿たちって言ってたんだよ。
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ゆに🦄

ゆに🦄

通常時訳のわからん押し順ナビ(レア役隠し)が出る台は2度と触らない
パチスロの星パチスロの星
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m.oga

m.oga

存在しない人間失格の一節

「自分は、郵便受けの中に張り付いている、水のトラブルマグネットより、役に立たない人間なのです。水のトラブルを知らせるだけで、直し方もわからず、磁力もありませんから、冷蔵庫にメモ書きを貼りつけるやうに、人を支えることすら叶わない。いや、本心を言えば、役に立つことを願うことすら、自分にとっては大変恐ろしく、そういう浅ましさが、自分の磁力となって、仮令、誰かが引き寄せられたとて、いずれ何処かへ去ってしまう。メモ書きは自ら剥がれ落ちていくのです。自分はそれを何度も繰り返しています。水のトラブルよりも厄介なのでありました」
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🦁ベラちゃん

🦁ベラちゃん

かねてから私は友人を「作る」という言い方があまり好きじゃなくて、友人とは互いに「なっていく」ものだと思っている
どうやって「なって」いくのかと言えば何かしらの交流があるわけで、逆に言えばそれが無い人は友人ではない、単なる知り合い

ただ、知り合いであれでも、居ればそれなりに
生活に潤いはもたらされる、それが私の思う生活の局面ごとの連れ
買い物に一緒に行く、映画を観に一緒に行く、ゲームを一緒にする、それぞれで違う人と行くやる、それ自体は、普通にある事だと思う

しかしそれすらも自分に必要性を感じないのであれば、無理して交流を拡げることはないとは思う
人間関係は拡がれば・拡げれば、それなりに何かしらの摩擦は時々生じる

でもまぁ、自分以外の人間が自分と同じように思う・感じるなんてことは無い、それが大前提だ
その違いを含めて許容する、それでもなおその人との交流は互いの人生に何か有益性をもたらす(事実として。そのように感じるだけでは弱い。感じるだけではそれは思い込みかもしれないから。)ならば、それは自分の生活の一部を担う人として大事に扱うのが良いと思う

人間関係は損得ではないと言われるし確かに物理的な損得勘定は不要だが、心理的な損得(好き嫌い)のそろばんは弾いた方がいいと思ってる
そういう扱われ方言われ方、それはイヤだなと言えないで我慢するとは、私には有り得ないかも

友人と呼べる関係が続く時とは、上から順に理想、
①何かの齟齬が生じた時、悪かったかもと云う感情が相手に対して湧いて行動言動の軌道修正が互いに自発的に行われていく
②どちらかが改善を申し出た時に気づいて改めようと努めることが出来る(やるやる変える変えると言うだけじゃダメ)、
この2つのいずれかは必須に思う

ほんとにちなみにだが、私はかつての配偶者とは、友人には成れなかった
人生で担う立場、役目、互いにそれを共同して行う局面での連れ、であった
そうにしか成れなかった
だからそれらの役割が終了した時に、関係性もいったん終了した
と同時に、これから友人になっていくかもしれない、ならないかもしれない
そう考えると、やはり友人は、あえて作るという言葉を使いたいなら、一緒に関係性を作り上げていくものであって、どちらか一方の思いこみや感情だけでは成立しないと思う
それさえ出来れば親子でも友人のように付き合っていくことは可能であり、他人ならば親子ほどに年代を超えた者同士が友人になることも当然に可能である
私は、息子と娘からは友人認定されたいと願っている
お母さんだから仕方ないよねと思われて付き合ってもらうのは、イヤかも

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