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#考古学 #邪馬台国 #弥生時代


しゅん(転生)
いわゆるトンデモ本なのですが、なかなか説得力があって面白い。
邪馬台国の場所は魏志倭人伝で記録されているのですが、よくよく読むとこれ、途中から伝聞なんですよね。
今の博多から北九州あたりまではしっかり書かれているものの、そこから先は距離も方向も「っぽい」という表現になっています。
原文通りだと北九州から船で南600km進むと投馬国、その南に船で300km、陸路を600kmのとこに邪馬台国があるよーと伝えています。
海の真ん中を歩いていることになりますね。
さらにそれよりも遠い場所にたくさん国があるってんで海に沈んだアトランティスがないと説明できません。
つまり、方向も距離も適当だったことが証明されます。
では邪馬台国はどこか?
僕なりの検証はコメント欄にて。
#邪馬台国 #日巫女

しゅん(転生)
いきなり突拍子もないところで文字数制限がかかってしまいました。
「邪馬台国」って漢字、どう思いますか?
卑弥呼同様、漢字に蔑みが感じられます。
当時、小国はたくさんありましたが、その中でもとびきり大きかったのが「やまたいこく」です。
「那の倭の国」の「那」は九州を指していて、その東側に更に大きな島があるとは分からなかったのでしょうね。
「倭(わ)」とは「やまと」とも呼び、山のふもとという意味もあります。
やまとことばの時代、「やまたいこく」とはそのまま「山大国」という山の麓にある大きな国の意味でした。
「大和」とは奈良県を指しますが、国名を二文字にするために倭と同じ読みをする和に大をつけたものです。
奈良県が大和なのかは後述します。
ではなぜ富士山なのか、ここからは古事記と日本書紀との関わりも交えて説明します。
富士山は元は不死の山という意味でした。富士山信仰の大神はオオヤマツミです。
オオヤマツミには二人の娘がいて、姉がイワナガヒメ、妹がコノハナサクヤヒメです。
ふたりともイカれたパンク女子で有名ですね。
姉は一生を独身で過ごし、妹はアマテラスの孫、ニニギノミコトと結ばれ曾孫の神武天皇が日本(やまと)を治めることになります。
さて、ヤマタイコクのヒミコはよく国を治めましたが一生を独身で過ごし、ヒミコの跡継ぎになったのがイヨ(14歳)でした。
イヨは現在の大阪の有力者(王)と結ばれ、奈良に都を移しました。
このとき、「ヤマタイコク」が変じて「ヤマト」になったと思われます。
なぜ奈良なのか、これは生まれ育った山あいの気候が肌に馴染んだのでしょう。
また、2つの大きな勢力が一つになるには、どちらかに移るのではなく、中間に新しく都市を作ったほうがうまくやれると知っていたということです。
みずほ銀行に教えてあげたいですね。
いかがでしょう、お気づきでしょうか。
姉妹と義理の母娘という違いがあれど、似てませんか?
(続きはコメント欄で)
#邪馬台国 #卑弥呼

Neneu
#日本史 #邪馬台国
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