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これは私が41歳の時の
エピソードです

松下幸之助から
松下グループの幹部を
対象とした研修を命ぜられ
準備をしていた時の話です

当時 松下幸之助は
指導者の条件という本の中で
人を生かす心得を102項目を
記していました

幹部研修時間は限られますので
その中から特別に10に絞って
人を生かす心得を皆で学ぶことを
松下幸之助に提案したんです

選んだ項目には
"志を立てる" "自らを知る"
"衆知を集める"などです

しかし これを見た松下幸之助は

君 一つ大事なものが欠けとるな
何か分かるか… 愛嬌や
愛嬌が入っとらんな

松下幸之助は
続けてこう言うのです

上司の一番の仕事は
部下にええ仕事をさせることやな

ところがうちも
組織が大きくなって
何か偉そうにしたり
ケチをつけるのが上司の
責任と錯覚しておる者が
多くなったように
思えてならんのや

君 皆に言うといてくれ
あなたは部下に対して
愛嬌がありますか
なければ失格やと
これは松下幸之助の遺言やと…

愛嬌なきリーダーは
部下の才能を枯らす

上司の真の使命として
偉ぶらず ケチつけず 笑顔で
人を生かしたいものである

#岩井虔
#PHP研究所
#致知
GRAVITY19
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これは
特別操縦見習士官二期生として
知覧の飛行場で教育を受けていた
勝又勝雄少尉が特攻隊として
出撃する前日の話です

勝又少尉は昭和20年5月4日に
知覧飛行場より出撃し沖縄周辺で
戦死されました 享年22歳

飛行学校を卒業してから1年後
勝又さんが久しぶりに
富屋食堂に姿を現しました

すでに
少尉となっていた勝又さんは
富屋食堂の女将であり
飛行学校の生徒の頃に
可愛がってもらった
鳥濵トメに会いに来たのです

しかし勝又さんの挨拶を聞いて
トメは胸を痛めました

おばちゃん久しぶり
でも今度は短いよ
何しろ特攻だからね
だから今日は飲みおさめ
というわけで
思い切り飲んでから
ドーンと行こうと思うんだ

勝又さんはトメが苦心して調達した
焼酎を一杯つがれるごとに
"おばちゃんありがとう"と
お礼を言って飲み干しました

トメはたくさんの命を犠牲に
しながら全く見通しの立たない
戦争への不安を口に出し
日本の行く末が心配だよと
沈んだ口調で言いました

そんなトメの不安を
振り払おうとするかのように
勝又さんは言いました

俺は勝又勝雄だ "勝つ勝つ"
こんないい名前はないだろう
この めでたい名前の
勝又勝雄が出撃するんだから
日本は勝つに決まってるよ

おどけた調子でそう話すのを見て
トメはつい笑ってしまいました

好きな酒を心ゆくまで
飲み尽くした勝又さんは帰り際
トメに最後の別れを告げました

おばちゃん元気で長生きしてくれよ
人生50年と言うけれど
俺なんかその半分にもならない
20年であの世に行っちゃうんだ

あとの30年は使ってないわけだ
だから俺の余した30年分の寿命は
おばちゃんにあげる
おばちゃんは人より30年
余計に生きてくれよ…きっとだよ

そう告げて手を振り
勝又さんは去って行きました
その後ろ姿をトメはいつまでも
忘れることができませんでした

太平洋戦争末期
日本は戦局を打開するために
飛行機ごと敵艦に突撃する
特攻攻撃を採用しました

鹿児島にある知覧飛行場からは
連日沖縄に向けて数多くの
若者たちが飛び立ち
自らの命を捧げました

彼らの傍らにいてその最期の日々を
ともに生きてきた者として
トメは決意をするのです

隊員さんたちの
真実を伝える語り部として
彼らがどのように生き
なんのために死んだのかを
語り続けていこうと

そんな祖母 トメの託した思いを
私も日々語り続けるのです

#鳥濱初代
#致知
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スーパーエイジャーといって
年齢よりも20歳以上
若い脳を持つ高齢者がいます

その方々に共通するのが
いつまでも学び続けていることです

晩年もテレビや新聞を通じて
新しい情報を仕入れ続けていたり
心身に刺激を与え続けています

それから
主観年齢の若い方も多いですね
80歳でも50歳のつもりで
色んなことに挑戦されている

主観年齢と血管年齢を
調べた研究もあって
主観年齢が低い人ほど
血管年齢も若かったんです

輪切りにしたレモンを口の中に
入れるのを想像しただけで
唾液が出てきますけど

自分は若いと思い込んでいると
生理反応まで若返るんですね

以前お話を伺った女優さんは
役柄によって肌の状態が変わると
おっしゃっていました

お婆ちゃんの役を演じると
実際に肌もカサカサになるし
若い役を演じると
背筋が伸びて
爪のツヤがよくなるというんです


逆に年齢とともに
活力が衰えていく脳を
私は"老人脳"と呼んでいます

この老人脳には
五つくらいタイプがあります

一つはやる気脳の老化です
新しいことに取り組むのが
億劫になったり
出掛けるのが面倒くさくなったり
といった傾向が出てきます

二つ目は記憶脳の老化
人の顔を覚えられなかったり
スケジュールを忘れたりする

三つ目は客観 抑制脳の老化
これは脳の司令塔といわれる
前頭前野の衰えから生じるもので
詐欺被害者やキレたりする人は
ここに当てはまります

四つ目は共感脳の老化
人の気持ちを理解する力を
司る前帯状皮質が老化することで
周りを気にしなくなってしまう
近所はパジャマで出かけたりと

五つ目が聴覚脳の老化
人の話が聞きづらい
テレビのボリュームを上げないと
聞き取れないというのも
老人脳の重要なサインです

主観年齢を若く保ち
色んなことに挑戦したいものです

#西剛志
#致知
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私のところに入院してきた
肺がんの患者がいました

この方は気功などに取り組んで
明るく頑張っていたんですが
病状が悪くなっていくにつれ
だんだんと
暗い表情になっていきました

ところがこの方は
私と同じ埼玉の川越出身でしてね

回診に行く度に故郷の昔話を
するようにしたら表情が
どんどん明るくなっていったんです

そうしてある日回診に行くと
ベッドの上にきちっと正座して
私を待っていたんですよ
どうしたのか聞いたら

"先生にひと言ご挨拶したくて
お待ちしておりました
人生の最期にこんなに
いい医療を受けられるとは
思ってもいませんでした
本当にありがとうございました"

とお辞儀をしてくれて
次の日に旅立って逝かれたんです

ですからこちらも患者さんに対して
いい加減な気持ちでは向き合えない

作家で畏友の
青木新門さんが納棺夫日記に

"死に直面して不安におののく人を
癒やすことができる人は
その患者さんより一歩でも二歩でも
死に近いところに
立つことができる人である"

と書いているのですが
私もそれを受けて毎朝起きると

"きょうが最後だ!
しっかり生きよう!"

とまず覚悟を固めて
一日を始めるようにしたんです

#帯津良一
#致知
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僕は長嶋茂雄さんが大好きで
以前お目にかかった際

選手時代
ヘルメットが飛ぶくらいに
フルスイングをして
三振したのはなぜですか?

と質問したんです
長嶋さんは何とおっしゃったか

後楽園球場に何万人もの
お客さんが観戦する中で
一生に一回しか
見に来ない人もいる

その人の前で
元気のない長嶋を見せたくない

人間好調の時ばかりじゃなくて
不調の時だってあるでしょう

ダメならダメなりに
長嶋は打てなかったけど
一所懸命やっていたと
思って帰ってもらいたいから
たとえ当たらなくても
思いっ切り振る

そうすると
偶然当たったりするんだよ…


この言葉にいたく感動しました
僕の仕事も全く同じだなと
いま自分にできる精いっぱいを込めて
生きているのは確かですね

僕はこれまで4000回以上の
コンサートを重ねてきて
手抜きをしたことは
一度たりともありません

きょうできることは
きょうしかできない

明日もできる保証はありません

ですから、僕は
惜しむな 惜しむなって
自分に言い聞かせながら

すべてのステージは一回しか
ないという思いで立っています

特に70歳を過ぎてからは
体力の衰えも感じますし
身近な人が亡くなる経験もしました

もしかしたらこのコンサートが
俺の最後のコンサートかもしれない

恥ずかしくないように
出し惜しみせず一所懸命やろうと
心懸けてきました

これからもその姿勢を
貫いていきたいと考えています

#さだまさし
#致知
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私24歳 イチロー22歳の時のことです

私は1994年に青山学院大学から
福岡ソフトバンクに入団しました

2年目で本塁打王を獲得したものの
俺はパリーグ1番だと天狗になり
翌シーズンは開幕から
全く打てず焦りは募るばかり…

一方 イチローは高卒で
オリックスに入団し3年目の
1994年に初めて最多安打と
首位打者に輝くと翌シーズンは
その2つに加えて打点王を獲得
3年連続の首位打者へ驀進中でした

そういう状況で迎えた
オールスターの試合前 イチローと
2人で外野をランニングしながら
モチベーションが下がらないかと
彼に尋ねました

"小久保さんは数字を残すためだけに
野球をやっているんですか"と
イチローに言われ 私は
"まぁ残さないとレギュラーを奪われるし…"
と言うと イチローは私の目を
見つめながらこう言ったのです

"僕は心の中に磨き上げたい石がある
それを野球を通じて輝かせたい "

衝撃でした

それまでは 成績を残す 得点を稼ぐ
など 有名になることばかりを
考えていたのですが この日を境に
野球の練習をしているだけではダメ
自分をもっと高めなければ
いけないと思い至りました

心掛けたのは1人の時間の使い方
空いている時間は読書をすると決め
毎日実践しました

野球を通して"人間力を鍛える"という
スイッチが入ったのは
彼の言葉があったからこそです

後年 あの時の言葉のおかげで
俺の野球人生があると 感謝の言葉を
何度伝えたか分かりません

#小久保裕紀
#イチロー
#致知
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母さん あなたの中で
あなたの世界が広がっている

あの思い出がこの今になって
あの日のあの夕日の道が
今日この足下の道になって
あなたはその思い出の中を
延々と歩いている

手をつないでいる私は
父さんですか
幼い頃の私ですか
それとも私の知らない恋人ですか

妄想と言うなかれ
母さん あなたの中で
あなたの時間が流れている

過去と今とが混ざり合って
あの日のあの若いあなたが
今日ここに凛々しく立って
あなたはその思い出の中で
愛おしそうに人形を抱いている

抱いている人形は
兄ですか 私ですか
それとも幼くして死んだ姉ですか

徘徊と笑うなかれ
妄想と言うなかれ
あなたの心がこの今を感じている

~徘徊と笑うなかれ~


母が認知症になった30年前には
世間の理解がまだ進んでいませんでした
認知症の家族を人目につかないよう
家から出さないという家庭もありました

でも父は
何が恥ずかしいものか
俺が愛して愛して結婚したお母さんだ
病気が心臓 肺にくる人がいるように
お母さんは病気が脳にきただけだと

いつも母の手を
固く握って散歩に出ていました

がに股で歩きながら たまに立ち止まり
"あー あー"と声を上げ
すれ違う人を誰構わず触ろうとする

散歩についていく時 私は
恥ずかしくて仕方がありませんでした

ある日の散歩中に小学生が
ばーかと言って母に小石を投げつけ
逃げていきました
私はカッとなってその子を
追いかけようとしました

すると 母に寄り添ったまま
歩いていた父が私を諭してくれたのです

病気を知らない子を叱ってはダメだ
あの子よりも問題があるのは幸之助だ
おまえはお母さんのことを
いつも恥ずかしがっているだろう…

がに股で歩こうが 声を上げようが
それは母さんが認知症を抱えながら
必死に生きている姿なんだぞ

息子のおまえにそれが分からんのか


認知症になっても
人間はその時その時を必死に生きている

父の言葉を思い出すと
いまでも涙が込み上げてきます
この言葉が後に 介護に向き合う
ことになる私の心を支えてくれました

母の心は若い頃の自分に戻り
若い頃の世界をしっかり生きている
頭の中に広がる世界に生きている
という意味では母も私も同じ

そう思えた時
正常な世界と異常な世界という
区別が消えていきました

その体験から生まれた詩です

#藤川幸之助
#徘徊と笑うなかれ
#致知
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創部三年目頃から
常に意識してきたのは
ハインリッヒの逆法則です

アメリカの損害保険会社に
勤めるハインリッヒが
労働災害についてその原因を調べた

すると1件の重大な
労働災害が起こる背景には
29件の軽い事故があり

さらにその背後には
300もの小さなミスがあったと

これは"ハインリッヒの法則"と呼ばれ
職場づくりの鉄則とされています

ではこれを逆にしたらどうなるのか

日本一になることが
一つの大きな目標だったら
29の小さな目標を達成すればいい

その29の目標を達成するには
300の小さなことを
積み重ねていけばいいじゃないか

そう思い至って300項目を書き出し
それらを徹底していきました

挨拶をする いただきますと言う
嘘をつかないなど
普段の生活の細かいことを
一切手抜きをせず365日やる

その習慣によって心が整っていく

7年目の時に全日本選手権で優勝し
延べ17回の日本一になれたのも
こうした当たり前のことを愚直に
積み重ねてきたからだと実感します

ただ日本一を何度も経験する中で
私が思い至ったのは
日本一は麻薬だということです

日本一を目指すのは間違っていません

けれども勝利に執着してしまうと
本来 高校生でやるべき基礎固めを
省略してしまう

指導者は選手の未来を
見据えなくてはいけない

最終目標は"高校日本一"ではなく
日の丸を背負って世界と戦える選手
あるいは立派な企業人や母親を
育てることだと思うんです

だから選手の技術を磨くと同時に
人間性を深めていく

行動した結果から生じる
人生の意義を本人たちがしっかりと
捉えることこそ 未来に向けて
大切なことではないでしょうか

それらを追求していけば
自ずと結果もついてくるものです
実際強い年代は
周りから応援されるんですよ

#阿部由晴
#常盤木学園高等学校サッカー部
#致知
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指導する時に先生方はよく
生徒を叱りますよね

だから どうして僕は生徒を
絶対に叱らないんですかって
講習会で必ず聞かれるんです
 
これは
どの教科にも通じることだけど
例えば分数で躓いている生徒に

なんで分からないんだ!と叱っても
分からないものは分かりません

なぜ分からないのか
どうすれば分かるようになるのか
指導者は生徒が理解できる方法を
教え納得させてあげればいいんです
 
音楽も同じです
こう吹いてごらん…
ダメならこうしてごらん…
こうした過程を経ることで僕自身が
その生徒から指導法を勉強できる

つまり できない生徒が僕に
新しい指導法を提供してくれるわけ

だから逆にお聞きするんです
なぜ提供者を叱るんですかって
僕に言わせれば
生徒は神様なんですよね

いい指導者っていうのは
様々な指導法を知っているんです

僕が転任先の吹奏楽部を
すぐに全国大会に連れていけるのは

これまで出会った沢山の
生徒から習った指導法を用いて
躓いている生徒を導いてあげる
ことができるからなんです
 
いい医者であれば
患者さんの顔を見ただけで
どの薬がいいか分かるでしょう

だから僕は名医になりたい
そのためにはとにかく
いろんな病気の患者さんと
付き合いたいですね
 
できない
生徒がぐずぐずしていると
イライラして すぐ叱っちゃう人が
ほとんどだけど

できなかった生徒が
できるようになる瞬間っていうのは
最高に嬉しいから

生徒がうまくなることが
僕の楽しみです…だから毎日が
楽しくて仕方がないんです

#屋比久勲
#吹奏楽の神様
#致知
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僕自身が改めて感じたのは
日本人は本来 野性的で無邪気で
可愛らしい民族だということでした

東大で教鞭を執ったドイツの哲学者
ラファエルフォンケーベルは
日本人の最大の魅力として

そのナイーブな
子供らしい性質を挙げていますが
僕もそのとおりだと思うんですね

別の見方をすれば古事記以来
日本人は汚い心をとても嫌ってきた

神道でいう
"清き心 明き心 直き心"これこそが
日本人の一番の徳目だと思います


当然 人間だから汚いもの嫌なものも
いっぱい持っているわけだけど
なるべくそういうものを
溜めないで流していく

清き心 明き心 直き心を持って
たとえ辛いこと 不都合なことが
起きたとしても

笑って明るく逞しく乗り越えてきた
それが先人が教えてくれた
一番の教えなのではないでしょうか

現代人はそれを遺訓として
しっかり受け止めて
いくことが大事でしょうね

西郷隆盛という人は
いるだけで周囲を感化してしまった

なぜかというと
西郷さんには真心があった
真心のある人には誰も敵わない

それは裏表や邪心のない
天真爛漫な無邪気さとも
繋がっているように思います

#渡辺京二
#致知
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よく どこが痛い ここが悪いと
自慢げに話す人がいますが
私はこの年になるまで
頭痛がしたこともないし
肩がこることもない

そういうことをまず思わないの
そして人にいわない

その代わりいい話は
会う人ごとに自慢するの…

私の父親っていうのは
もうすごい人でしてね

雪の降る日に 学校へ行くのに
裸足で行かされたのよ

草履は腐るけども足は腐らない
だから裸足で行けって

そして学校まで裸足で行ったの

それでね
ああ…ほんとに足はくさらないなぁ
と思って

そういうのは人の目から見たら
悲惨に見えたかもしれませんが

私はそういう境遇であっただけに
不幸に対しては鈍感になり
幸福に対しては
感じやすくなったんでしょうね

たこら私は幸福の感じ方が
案外 上手なのだと思います
つまり幸福を知る才能があるのね

そういう父親に育てられたから
不幸に対して
へこまない子供になったんです

だから もういっぺん
子供の頃があるとしたら
またあの父親に
育てられたいと思っています

甘やかしすような
親に育てられたくないですね

あのね
これは私の特技なんですけど
私は"困ったな"と思うような
状態になったときに逃げずに
まるで待ち構えていたように
瞬間にさっとその中へ飛び込むの

そうやって平気で入り込むと
なんてことはないのね

だけど みんな逃げるからね

やりきれない状態というのは
その当人がやりきれない分量が
多ければ多いほど
やりきれない形になるんです

平気でいれば
ある程度 平気になれる
これくらい平気になれたと
自分で自分に自慢するのが
暮らし方のコツですね

#宇野千代
#致知
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宿舎に向かうバスに乗る時
チームリーダーの先輩に謝ると

謝って済むならお巡りは要らん!
と思いっきり蹴飛ばされ
私はバスの外へ転がり落ちた

死にたい気分だった
バスの座席に戻っても
出てくるのはため息ばかり

外は暗く車窓に映る自分は
何とも情けない顔をしていた

しかしこのまま
終わりたくはなかった

なんとかこの借りを返したい
一年間 心に残ったトラウマと
闘いながら私は考え続け
ついに独自の野球スタイルを
あみ出したのである

守備に自信を得た私は
打撃にも磨きがかかり
攻守にわたる活躍で
西鉄の黄金時代を支えた

この体験から得たことは
単に野球の技術に関する
ことばかりではなかった

私を蹴飛ばした時の先輩の顔

極悪人のように
醜くゆがんだその顔はいまも
忘れることができない

またバスの車窓に映った
自分の顔は何とも情けなかった

顔はその人の心をつぶさに
表していることに
私は気づいたのである

バッターボックスに立って
相手ピッチャーの顔を見る

緊張してこわばっていれば
必ず甘い球が来るから
私は逃さずはじき返した

逆にキャッチャーのサインを
冷静にのぞき込んでいる時は
結構いい球が来る

意識して見れば
何気ない相手の表情から
いろんなことが分かってくる

チャンスに強いと言われた
私のバッティングもそれに
気づいていたことが大きい


顔というのは
バカにならないのである

しかし
多くの人は自分の顔について
あまりにも無知である

毎日鏡で顔を見ていても
ちゃんと見ていないのだ

特に責任ある立場の人には
もっと自分の顔に
注意を払っていただきたい

やはり人間
一番いいのは"笑顔"である

自分の生き方を貫いてきた人は
ニコッと笑っただけで
相手の心をつかむことができる

人生の辛酸を嘗め尽くしてきた
お年寄りが時に見せる
子供のような笑顔は
接する者を何ともいえない
嬉しい気持ちにさせる

どんな組織でも
上の人間から笑顔で明るく
挨拶している会社は
うまくいっているはずである

顔というのは
年とともに変わっていく

若い頃の私はいま考えると
恥ずかしくなるくらい
生意気な顔をしていた

野球選手として
脂の乗っていた頃は 目つきが
鋭いといって怖がられた

現役を退いてからは
人間的な幅も広がり
それが多少なりとも表情に反映
されいるように思っている

顔にはその人の
生きざまが刻み込まれ、
年とともに独自の味わいを
醸し出してくるものだ

顔はすべてを語るのだ

#豊田泰光
#西鉄ライオンズ
#致知
GRAVITY
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general

general

実は怪我をするまで
僕は競争が大好きな人間でした

常勝が信条で
人に負けない生き方をずっと
貫いていたんです
だから人に助けてなんて
言葉は口が裂けても
言えない性分でした

それが怪我ですべて人の手を
借りなければならなくなりました

僕が一番したくない生き方でした

苦しいし泣きわめきたいし
助けてくれと言葉が口元まで
出かかってくるけど
プライドが邪魔してそれを言わせない

ここで弱音を吐いたら家族に
余計に心配をかけてしまうと思うと
なおさら言えませんでした

ある晩 苦しくて寝つけないでいると
看護師さんが声をかけてくれました

腰塚さん 寝ないと体がもちませんよ
睡眠剤が必要だったら言ってねって

その言葉に
僕の心が反応しちゃったんです
おまえに俺の気持ちが
分かってたまるかって…無意識に
彼女を睨みつけていました

その看護師さんは素敵な方でね
僕の様子にハッと気づいて
すぐに言ってくれたんです

腰塚さんごめんね
私 あなたの気持ちを何も考えずに
ただ自分の思ったことを言ってたよね
でも本当に少しでもよくなって
もらいたいと思っているから
なんでもいいから言ってほしいです
お願いだから何かさせてください

看護師さんは
泣きながらそう言ってくれたんです

彼女が去った後
涙がブワッと溢れてきました
俺の気持ちを分かろうとしてくれてる
この人にだったら助けてって
言えるかもしれないって思えたんです

それまで僕は周りからずっと
頑張れって励まされていました

でも もう十分頑張っているんだよ
これ以上頑張れないんだよって

だから救われたんです
あの時以来凄く思うんです
人の放つ一言が人生をどうにでも
変えてしまうんだなって

だから自分は言葉を丁寧に使おう
言葉をちゃんと選んで
丁寧に使おうって

泣くだけ泣いた次の朝
部屋に飾られていたお見舞いの花が
ふっと目に入りました
その時思ったんです

"せめて花みたいに
生きることはできないかな"って

手足は動かないけど顔は動きます
だったらできるだけ笑顔でいよう
口も動くんだから
できる限りありがとうって言おう

心も使えるんだから
周りの人がきょう一日元気に、
笑顔で過ごせますようにと願おう

そう決意したら いろんなものが
どんどん変わっていったんです。

ドクターとも看護師さんとも
リハビリの先生とも凄く仲良くなり
毎日が楽しくって

首の神経が全て切れていなかった
のも幸いして 奇跡的に車椅子に
移ることができたんです

事故に遭った事実は変わりません
でも起こったことの見方
捉え方は変えることができるんです

そして生き方を常勝から
"常笑"に切り替えて いつも笑顔で
いよう いつも感謝をしよう

周りの人々の幸せを願おうと
決意したら 毎日の小さな幸せに
気づけるようになったんです

自分がいかに周りの人たちから
助けていただいているかが
実感できるようになったんです

#腰塚勇人
#致知
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GRAVITY42
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general

優希が病院に
搬送されたと知ったのは
学校に駆けつけて
一時間も経過した後でした

崩れ落ちそうになる体を
周りの人が支えてくれました
救急隊員の配慮で救急車に乗り
優希のいる病院に運ばれました

ようやく通された処置室には
すでに事切れた優希が
静かに横たわっていました

その顔は微笑んでいる
ようにさえ見えました
まだ温かみの残る優希の体を
何度も何度も子守唄を
歌いながら擦すり続けました

何日か経つと
少しずつ事件の詳細が
明らかになっていきました

そこで分かったのは
傷の深さから間違いなく即死
だと思われていた優希が
最後の力を振り絞って
廊下を歩いていたことでした

教室を出て 血っ痕を辿りながら
倒れた場所まで歩くと
私の歩幅で68歩

その廊下には優希の流した血が
血だまりとなって
黒く染み付いていました

誰も助けの来ない廊下を
どんな思いで歩き続けたのでしょう

その姿を想像すると
胸が張り裂けそうでした
親として優希の悲しみや
苦悩を少しでも分かってあげたい

それから何度も訪ねては
優希の思いを
感じ取ろうとしたんです

精神的な瀕死状態でした
目に見えるものは灰色に見える
匂いも感じられない
音もぼんやりとしか聞こえない
触ても固い冷たいなど分からない
五感が麻痺してしまったのです

何も感じなくなりました
これ以上刺激が加わると
壊れてしまう…おそらく自分の命を
自分が守っていたのかもしれません

それからしばらくして
私は不思議な体験をしました

優希が歩いた学校の廊下を
いつものように訪れていた時
笑顔の優希が
私に向かって走ってきたのです

"ママ!"と叫びながら
走ってきた優希を"よく頑張ったね"
と力強く抱き締めました

それまで娘の苦しんでいる
顔しか思い浮かばなかったのに
いのちと命が呼応したように
会うことはできないけれど
娘とは繋がっている…
そう感じました

その時 娘の思いや願いが
無音の言葉になって
心に響き伝わってきたのです


命の価値は長い短いではなく
自分の命を精いっぱい生きること
人生をどう歩むか…そこに
命の価値があるのではないかと

その時に誓いました
辛いけれど優希が最後の力を
振り絞って歩いた68歩

私も同じように生きていきます
神様どうかお願いします
優希と一緒に手を繋いで
69歩目を歩ませてくださいと

#池田小児童殺傷事件
#本郷由美子
#致知
GRAVITY4
GRAVITY37
general

general

少し損をして
毎日生きてごらんなさい

この間 会社を途中で辞めた方の
奥さんが相談に見えたんです

そのご主人はお好み焼屋さんを
始めており 話を聞いてみると
やっぱりご主人は儲けたいという
気持ちがとても強くあるんです

元々会社で幹部だったことと
理系の人だから 現実が解らず
人に与えることができない

少し 他の店よりも与えることを
やってごらんなさいと言うけど

"与えたら損をしてしまう"と言って
与える意味を解ろうとしない

"そんなことをしたら
店はどんどん赤字になってしまう
だからちょっとでもいいから
稼がないと…それが商売だ "
という考えが強いとのことです

だからお客様に喜んでもらうより
自分が儲けることが
優先してしまうのでしょう

それを感じとったお客さんは
どんどん少なくなりますね
だから経費ばかりかさんで
結果 毎日お客に対する不満で
怒り顔で店に立つので…

結局 店を閉めるかどうかという
ところまで来てしまっていると

こうなってくると もう生き方の
根本から間違いなんですね

人に与えることを先にしないで
人から先にもらおうとして
どうしてお客さんが
あなたの店に来ますか…

よその店より工夫があり
おいしくて値段も安かったら
それは来てくれるでしょう

しかし他店よりもまずくて
肉や海老も小さくって
100円高かったら来てくれません

お好み焼きが好きで好きで
お好み焼きを始めたのなら
食べてもらうことが
嬉しくてたまらないはずです

そんな安らぎを
お客さんに与えてくれる店であれば
人々は絶対来てくれるんです


ちなみに これは十何年か前に
小倉で始めた食べ物屋さんの話です

最初に私のところに来た時は
その人は やはり儲けたい儲けたいと
言っていました

ところが 一緒に断食したりして
"商売は一割損をして生きていく"
という生き方に還るならば
必ず繁栄する

という法則に納得を得たのです

その人は大きな海老等を他店よりも
たくさん盛るようにしたんです

その食べ物屋さんはとにかく
いつもお客さんが多くて その街で
一番の繁盛店と言わるように…

それでいて
拡大をしないことを心掛けていると

いろんな意味で
少し損をすることを覚えてゆくと
対立と競争から抜け出し
生きてゆくことが楽になりますね
 
#北川八郎
#365人の人間学の教科書
#致知
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general

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29歳の時
地元の埼玉県所沢市で
仲間たちと一緒に休耕田を
甦らせ有機栽培のお米を
つくる活動をしていました

指導役は
近所の農家のおじいちゃん

ある時田んぼの近くにある
溜め池に連れていかれて
"いまから木を切ります"
と言われたんです

里山を守りたくて
この活動に参加したのに
木を切ったら
自然破壊じゃないかな
と思っていたら

池に差し掛かっている
一部分だけを切ると

これを残しておくと
落ち葉がどんどん堆積し
水が溜まらなくなる

するとお米が育たなくなり
最終的には
人間が生きていけなくなる

だから必要最小限切らせて
いただくという話でした

そして
おじいちゃんが切る木の前に
お酒とお塩とお米を供えて
ひざまずき

"命をいただきます
ありがとうございます"
と祈りを捧げたんですよ

その時
おじいちゃんの背中から
後光が射しているかの如く
感じられました

私はそんな光景を一度も
見たことがなかったので
とても衝撃を受けたんですね

それまでは国を守るというと
国土を守るとか国民を守るとか
形ある存在を守ることとして
しか認識していませんでした

しかしもっと本質的には
その国の人たちが
先祖から連綿と受け継いできた
目には見えない文化や価値観
アイデンティティを
守ることだと思い至ったんです

#葛城奈海
#致知
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