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掌編・不純情小説
【母の好きな人】最終話
#九竜なな也
#note より

父・英樹が他界して10年が過ぎた。一人暮らしを続けている母・寿美子も60歳になる。相変わらず社交的で快活な寿美子は、近所や友人との交友で賑やかな生活を送っている。しかし、母に一人暮らしをさせている真希斗には、健康のことなど何かと気がかりなことがあった。
寿美子の様子をうかがうために仕事中でも実家に立ち寄るのが、30歳を過ぎた真希斗の習慣になっていた。真希斗の妻も、義母のことを気にして、それを勧めていた。
商用を済ませ近くを通った時にちょうど正午になろうとしていたので、真希斗はスーパーでちらし寿司弁当を二つ買って実家へ立ち寄った。

「あら、ちらし寿司。美味しそうね。お父さん好きだったのよね」

寿美子はきまって、貰い物の食べ物は自分が食べる前に、仏壇に供える。そして遺影に向かって手を合わせる。
真希斗は、その時に微かに動く寿美子の口元を見るのが好きなのだ。

「ヒデくん」

声を出さない口元は、必ずそう動いていた。
真希斗は思う。
俺は親父のように妻から愛されるだろうか?
いや、そうじゃない。
俺は、親父のように妻を愛せるだろうか?

                  (了)
©️2024九竜なな也
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掌編・不純情小説
【母の好きな人】2話(全5話】
#九竜なな也
#note より

あれは、真希斗の高校卒業が近い季節だった。卒業式までの数日間、学校が休みになった。大学受験の日程や高校のカリキュラムが全て終わり、卒後の進路の準備などに充てるための時間として与えられた休校期間だった。
他の家族は皆いつも通りに家を出て、真希斗だけが2階の自室にいた。
午後2時を過ぎたころ、誰かが帰ってくる音が階下から聞こえた。真希斗が様子をうかがうと、階段下の玄関に寿美子がいた。いつも母が勤めを終えて帰宅するのは午後6時を過ぎた時間帯だ。体調でも崩して早退したのだろうか?と真希斗が考えているところで電話が鳴り、寿美子が誰かと話し始めた。
真希斗の部屋は、玄関口から続く細い階段を上って一番手前にあるため、部屋のドアを開けて耳を傾ければ、玄関口に置かれた電話の話し声が聞こえる。

「サキちゃんに見られたんですよ。あの子の顔を見てすぐわかりました。いつから見ていたのかしら」

寿美子の話す内容から、電話の相手との情事を向こうの家族に知られるという事態が起きていることが、真希斗には理解できた。そしてその相手が誰なのかということも。

真希斗の父・英樹はかつて炭鉱で栄えた北海道の小さな町の出身だが、田辺家は母・寿美子の実家がある関東北部の中規模の都市に暮らしている。東京の工業大学に進学した英樹は、卒業後、中堅クラスのゼネコンに技術者として就職した。しかし、社風に馴染めず一年で精神を病んで退職してしまった。生活のためにレストランでアルバイトをしている時に、同じ店の従業員だった寿美子と知り合った。やがてふたりは結婚を望むほどの間柄になった。ちょうどその頃タイミングよく、寿美子の故郷の、実家と関係のある建設会社が大学出の技術者を求めているという知らせが入った。寿美子に強く押されて、英樹はその会社に再就職し、それと同時に二人の結婚が決まった。英樹は母子家庭に育ったが、すでに母はこの世を去っており、彼が誰とどこに根を下ろそうが、干渉する者はいなかった。
この話を寿美子は幾度となく子供たちに聞かせていた。ふたりが出会ってこの町で結婚するまでのいきさつの、どの部分が重要なのか子供たちにはよくわからなかったが、なぜか寿美子は繰り返しこのことを話すのだった。

(つづく)
©️2024九竜なな也
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掌編・不純情小説
【母の好きな人】1話(全3話】
#九竜なな也
#note より

概して息子にとって、父親とは大きな存在である。それは、必ずしも何か偉業を成し遂げた父親とはかぎらない。無名で地味な生き方をしている父親でも、息子にしかわからない大きさというものがある。

真希斗にしてもそうだった。しかし、はじめからというわけではない。むしろ、思春期の頃は、父の無欲でおとなしい性格に物足りなさを感じ、少し軽蔑するような気持ちもあった。
真希斗がその存在の大きさを感じるようになったのは、父の田辺英樹が他界した後からだった。

「ヒデくん。いや。行かないで。あたしをおいて行かないで。お願い!」

真希斗の母・寿美子は、病院のベットの上で呼吸が弱まっていく夫に泣きすがった。
この時、真希斗と姉たちは、初めて母が父のことを「ヒデくん」と呼ぶのを聞いた。父は、家族の前ではいつも「お父さん」と呼ばれていた。田辺家にとって、田辺英樹は常に「お父さん」であった。その父と死別したのは、真希斗が大学四年の時だった。

難治の病が発覚して、二年を待たずに英樹は他界した。50余年の生涯だった。寿美子のひどい落ち込み具合に、彼女があとを追ってしまうのではないかと、子供たちや親しい者は心配したが、一周忌を終えた頃から、寿美子は自分らしさを取り戻していった。

寿美子が元気になってから姉たちが聞き出したところによると、父の周囲では彼女だけが父を「ヒデくん」と呼んでいたそうだ。しかしそれは、ふたりが恋人同士だった時と、結婚して子どもたちが生まれるまでのことだった。長女、次女、そして真希斗と、次々に三人の子どもが生まれてからは、英樹は寿美子にとっても「お父さん」と呼ぶ存在になっていった。
それが、息絶えていく最後の数分間だけ、「ヒデくん」に戻ったのだ。

姉たちからその話を聞きながら、真希斗はある出来事を思い出していた。
真希斗には家族に隠している秘密があった。それは、彼が母・寿美子の隠し事を知っているという秘密だ。

(つづく)
©️2024九竜なな也
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掌編・不純情小説
【母の好きな人】4話(全5話】
#九竜なな也
#note より

母の過ちを、父は知らぬままに生涯を終えたのだろうか?
倒れた途端に余命宣告をされ、厳しい闘病生活を送る父に、告解のように母が過去の過ちを打ち明けて詫びたとは思えない。それよりも前に、寿美子は英樹に罪を詫びたのだろうか?
それとも、隠し通したのだろうか?
あるいは、父は知っていながら、知らぬふりをしたのだろうか?
真希斗が確かに知っていることは、母・寿美子が過ちをおかしたという事実と、それにもかかわらず、田辺家には平穏な生活が続いたことだった。

大学を卒業して、真希斗は地元の商社に就職した。ある日、外回りの営業に出ている時に、母を銀行まで連れて行ったことがある。短時間で済む小用なら営業車を使って母に便宜をはかることがあった。
寿美子が用を済ませるのを、真希斗は路肩に停車させた営業車の中で待っていた。母が銀行から出てきて車に乗ろうとする時、女性行員が後を追いかけてきた。険しい表情をしている。女性は覗き込むようにして真希斗の顔を確かめ、営業車に書かれている社名をメモしていた。

「何してるの?もう関係ないでしょう」

寿美子も険しい表情で、その行員に言った。真希斗にはその女性の顔に見覚えがあった。胸のネームプレートには「小貫咲恵」と書かれていた。真希斗はあの出来事を思い出した。何事もなかったかのように平穏が保たれた田辺家とは反対に、小貫家は決して穏便にはすまなかったであろうことが、彼女の表情や行動から想像できた。

(つづく)
©️2024九竜なな也
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決して純情とは言えない、生涯一の出会い。
実話をベースにした創作です。
【短編連載・不純情小説】リバーサイドマルシェ(第5話)から、ハイライトシーンを抜粋
#note #九竜なな也 #リバーサイドマルシェ

………………
 むっとした表情で帰り支度を始めた多香美に、俺はそのまま話し続けた。
「失礼なのはわかっている。でも、はじめからそのつもりで君に声をかけたわけじゃないよ。話しているうちに、今の君を抱きたいと思うようになった。これが今の俺の気持ちなんだ。今度またこの店で君に会うことがあったとしても、同じ気持ちになるとは限らない。今夜の君が、明日も同じ君かどうかはわからない。俺もそうさ」
 多香美はひととき目をつむり、ふっと息を吐いて肩を落とした。そして俺に顔を向けた。
「わかったわ。行きましょう」
 タクシーの中で多香美の気が変わるかとも思ったが、そんなそぶりは見られなかった。多香美は何も言わず窓の外の流れる景色を眺めていた。暗い表情ではなかった。
 週末を待ってため込んでいた疲れは、二人とも同じだったようだ。体を重ねたあとの心地よい疲労感が二人を眠りへと誘った。多香美の寝息を聞きながら、俺も落ちていった。

 ベッドの上で目が覚めると、多香美はすでに服を着てソファーに腰掛け、白い靴下を履こうとしていた。窓を見ると、カーテンの隙間から朝の光が漏れている。
「タクシーを呼ぼう」
 体を起こしながら俺が声をかけると、多香美は笑顔を見せた。
「結構よ。近くのバス停にもうすぐ始発がくるはずだから、バスで帰るわ。シャワーを浴びたら?さっぱりするわよ」
 俺がシャワーを浴びている間に多香美は帰ってしまうのだろうと思ったが、多香美は待っていた。ホテルを出て表の通りまで行くとバス停が見えた。その方向へ歩きかけた時、多香美が思いついたように言った。
「ねえ。朝市に行ってみない?リバーサイドマルシェっていうの。あたしコーヒーが飲みたいわ」
「朝市でコーヒーが飲めるのか?」
「ええ。飲めるわ」

…………………
6話に続く
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