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みゅんひ
癒やさないノン・スピリチュアル『モトの話』へようこそ。霊感ゼロでも【解かる】スピリチュアル理論です。
ここから先は「エキスパート編」です。
今まで
・入門編(モトはココロの材料、ニンゲンの三つのパーツ)
・初級編(ココロと感情の関係、モトあつめについて)
・中級編(レンアイやオカネとどう向き合うか)
・上級編(人生とは「何」か、どう生きればいいのか)
という話をしてきました。
この中でいろいろ「はっきり言えないこと」があったのですが、エキスパート編ではそれらすべての解説をします。とてもテクニカルな内容になるはずです。
上級編のはじめに「テレビの構造を知らなくても、テレビ番組を楽しむことはできる」と書きました。そして上級編では「テレビ番組の楽しみ方」のような『ジンセイのトリセツ』を作りました。
ここから先のエキスパート編ではいよいよ「テレビの構造」のような話をしていきます。
#セカトリ

みゅんひ
わしら人間のココロというものは、モトというエネルギー源のようなツブツブが集まってできてまして、コレが足りなくなるとネガティブな気持ちになる、だから増やしてやるとアガるよー!というのが『モトの話』です。覚えてますか?初めて読む方、はじめまして😁
この考えはわしの作ったオリジナルのアイデアなんですけど、これを広く世に広めたくてわしは日々ゲームしたり飯テロしたりと活動をしております(バカ)。
そもそもグラビティもモトの話をするところとして始めました。最近コレがおろそかになってたので、ちょっと初心にかえってみようかなーと(我にかえった、とも言う)。
んで、この『モトの話』が分かるとどうなるかというと、なんと僕らが「なんで生きてるのか」が言葉で説明できるようになってしまいます……!人生の意味、というものが「説明できるようになる」ということです。すごいでしょ?🥰
今ぱっとやってしまうと
「人生とは【個別のドラマ】が【関わりの網目】によって連なる、【大いなる矛盾】に支配された【地獄世界】の【時間軸】の一部分である」
となります!ね?できたでしょ?
…さっぱりわからん!と思ったアナタ!アナタは正しいです😅なぜなら、この【】の中の言葉は『モトの話』独自の概念だからです。これらの意味がわかって初めて「人生の意味」とやらを理解するに至ります。…大変でしょ?
ま、おいおい語っていきます。今はこういうこと…
「すべての人生には、ちゃんと『存在する理由と意味』があるし、もちろんあなたのものもそうだ」
ということだけ知っていてください。
ではまた!!🥰
#おやモト

みゅんひ
わしら人間のココロというものは、モトというエネルギー源のようなツブツブが集まってできてまして、コレが足りなくなるとネガティブな気持ちになる、だから増やしてやるとアガるよー!というのが『モトの話』です。覚えてますか?初めて読む方、はじめまして😁
他者とは何か? を考えるとき、一番大事になることをもう一度。
・相手のすることは、モトあつめである
これはもちろん
・自分のしていることは、モトあつめである
という意味でもあります。わしらの「行動」というものは、全部、ぜーんぶ『モトあつめ』なんです。モトが欲しくてやってるんです。
にもかかわらず……モトが集まらなくて幸せを感じられない毎日を送っているひとも大勢居ます。日々のストレスと戦いながら、カネやモノが少ないことを嘆き、周りのひとを嫌いながら、明日におびえて眠りにつく……こういうひともやっぱり『モトあつめ』をしています。え? と思うかもやけど、こういうひとは
・モトを失いたくない、相手に渡したくない
という、守る『モトあつめ』に終始しているんです(これは実体験だから本当によく知っています、ツラさも含めて)。これは『許す』という動作の真逆の行動です。何度も書いている通り、許すという動作は
・相手に自分のモトを少し与えることで「二番目」のモトあつめを促す
という動作のこと。はじめにこちらが、相手に意識的に注意を向けて、そして相手のココロをモトで満たして、そして送り返してもらう、という動作なんです。相手が怒っていようが、寂しがっていようが、悲しんでいようが、こちらからモトを分けてあげる=注意を向ける≒話を聞いてあげるんです。
こんなとき、最初に出てきた
・相手のすることは、モトあつめである
という知識が役に立ちます。どんな感情をどう表現しているひとも、みんなやってることは「自分のモトあつめ」だと知ること。そうすると、怒っているひとも嫌がらせしてくるひとも、怖くなくなりますよ……なーんや、そういうことかーと理解できるから、全部ただの「一番目のモトあつめ」なんやと分かるからです。こんな時ちゃんと【自分ファースト】ができていれば、余裕を持って『許す』ことができます。持っているから、与えても平気なんです。
続きは次回!
#おやモト


みゅんひ
わしら人間のココロというものは、モトというエネルギー源のようなツブツブが集まってできてまして、コレが足りなくなるとネガティブな気持ちになる、だから増やしてやるとアガるよー!というのが『モトの話』です。覚えてますか?初めて読む方、はじめまして😁
前回「人生の意味はコレだ!」なんて書いたんやけど、これを読んでいる方の多くは
「人生の意味なんて人それぞれだから、答えも人それぞれ」
と思っていらっしゃるでしょうね😅
それはその通りなんやけど、現状わしらが「生き物」であって、かつ「生きている状態であること」については、全員が完全に同じ条件のはずです。でしょ?😉
モトの話が導き出す『答え』というのは、この部分についてなんですよ。だから、この『人生とは何か?の答え』の上に「人それぞれの経験」が乗っかってるわけです。
せやから、人生というものは「人それぞれ」ではあるものの、その「人それぞれ」はたった一つの
『命というシステム』
の上で成り立っていることになります。
こういった考え方のもと、人生における「人それぞれ」の部分のことを、モトの話では
【個別のドラマ】
と呼んでいます。『人生とは何か?』という問いに「万人共通の答え」を求めるならば、この【個別のドラマ】について考えても仕方ない、だってそこは人それぞれだから、というわけです😁
今日はここまで!また明日ね!!🥰
#おやモト

みゅんひ
わしら人間のココロというものは、モトというエネルギー源のようなツブツブが集まってできてまして、コレが足りなくなるとネガティブな気持ちになる、だから増やしてやるとアガるよー!というのが『モトの話』です。覚えてますか?初めて読む方、はじめまして😁
人生があるのには「意味」「理由」のようなものがあるよー、という話の続き。ちょっと復習やけど、002あたりで書いた【個別のドラマ】(個人の周辺事情や経験など)の話をいっさい考慮せず、その奥にある「生まれたり死んだりする生き物の『一生』がある理由」という話をしています…もちろんそういった【個別のドラマ】がなぜあるのか?という話もあるんやけど、それを理解するにはやっぱり「命って何?」という話をちゃんと知っておく必要があるやろなーと思てます😉
んで。前回は人生には「決まった未来」が用意されているよ、という話でした。わしらの人生というものは、生まれてから死ぬまでに「どんな【個別のドラマ】を『体験』するか」がかなり厳密に決まっている状態で始まり、そのとおりに過ごして、そのとおりに終わりますよ、というのが「#モトの話」における「時間」というものの考え方です。
(理由はまた別の機会にします…モトと空間の構造の関係から考えられる三次元空間と時間軸の関係性から導き出される、時間軸の終点の形状、という話なんです……難しいでしょ?🤔)
こういった造りの「決まった人生」によく似たものがあります…「アナログレコード」です。あの黒い丸い板には「音楽」が入っています。それも初めから終わりまで一曲まるまるね🤩
でもね…だからといってレコード盤をジロジロ眺めても、わしらは「音楽を聴く」という『体験』をすることができないでしょ?音楽ってもんは「時間にそって流れる」ものやから。
やからレコードをプレイヤーに乗せるんです。たとえそれが一度聞いた音楽であったとしても、プレイヤーに乗せて流さないとわしらは「音楽を聴く」という『体験』ができないから。
人生も同じで、たとえ「死ぬまでの出来事が決まっている」としても、それを『体験』するにはこの【地獄】に「生まれてみる」しかないんですよ。やからわしらは自分の人生で何が起こるか知った上で「生まれよう」と決めて生まれてくるんですね😉
では続きは次回。お楽しみに🥰
#おやモト

みゅんひ
わしら人間のココロというものは、モトというエネルギー源のようなツブツブが集まってできてまして、コレが足りなくなるとネガティブな気持ちになる、だから増やしてやるとアガるよー!というのが『モトの話』です。覚えてますか?初めて読む方、はじめまして😁
前回「モトは素粒子だ」と書いたんですけど、多分科学をたしなむ方全員に鼻で笑われているんじゃないかと覚悟しています(笑)。でもまぁ、どうして素粒子だと思ったの? という質問にもちゃんと〝答え〟を用意していますので、気になる方は拙著『セカイのトリセツ』をぜひ😁
それでね……だったらどうなの? という話なんですけど。
モトが素粒子なんだとしたら、わしらというものは
・モトでできたココロ
・モトでできたカラダ
・モトでできたカラダにくっついてるアタマ
という構造をしていることになります。つまりです、わしらは頭からつま先まで全部
モトでできている存在
である、となります。
そしてそして! すべての物質が「素粒子モト」の集まりなんだとしたら、このセカイというものは
すべてがモトでできているセカイ
である、という結論になるんです。ですから、たとえるならわしらは
モトの海にドボンと浸かっているような状態
で存在していることになるんです。
そんな中、わしらはどうやって「自分」を定義しているのか? それが
『境い目』
という話。わしらは自分の『B:信念』を上手に使って、このモトだけでできたセカイで「自分か、自分じゃないのか」をうまく見分けて生きているんです。
でもね……やっぱりわしらは「モトでできている」んです。とはいえ、モノが存在する空間のモトは濃いはずですし(めちゃくちゃいっぱい集まって物質化しているから)、ニンゲンをかたち作るモトも濃いはず。そう、ただ「モトの濃淡」があるだけなんですね。
093で「わたしたちとは何か」と書いたけど、わしらは結局「モトが濃く集まっている場所」にすぎないんです。あなたも、わしも、みんな。
そんな中でわしらは、個々で【モトあつめ】をやりながら生きています……大抵は「一番目」をやってるから、奪い合ってるんです。
こんなセカイで他者を『許す』とどうなるか……なんと!
メインの【モトあつめ】が「二番目」に変わるんです!!
続きは次回!
#おやモト


みゅんひ
わしら人間のココロというものは、モトというエネルギー源のようなツブツブが集まってできてまして、コレが足りなくなるとネガティブな気持ちになる、だから増やしてやるとアガるよー!というのが『モトの話』です。覚えてますか?初めて読む方、はじめまして😁
ココロの材料『モト』を一番増やす動作が『許す』なんですけど、これをジャマするのが「自分で自分のことが許せない」気持ちです。これをなんとかすることを
【自分との和解】
と呼んでいますが、どうやってこれを達成するのか?
これねぇ……それこそ【個別のドラマ】によって本当にひとりひとり違うので、これだー!っていうたった一つの答えがあるわけじゃないんですよ。自分を縛っている自分を見つけ出すのは、かなり自分を観察して、分析して、そして自分自身の『無意識の習慣』=『無意識に考えている「B:信念」』を洗い出す必要があるから、大変だったりします。
そやからね……一度「自分史」みたいなもんをちゃんと書き起こしてみるのがいいのかも……客観的に「自分自身」のあゆみを振り返るのも案外効果的なのかもしれないと考えています。
わしの場合は……
わしはすごくイヤな子供でした。高飛車で高慢な子供でしたし、いつも周りを見下しながら「俺はお前らとは違う」とアタマのどこかで考えていました。中学生くらいまでそういう人間でした。理由は多分、母親にすぐ叱られていたから……今なら分かるけど、わしはASDという発達障害を持っているので(大人になってから診断が出ました)、良くないことをしてはすぐ母親に恥ずかしい思いをさせていたのでしょう。やからどうして叱られるのかわからないまま、しょっちゅう叱られて、叩かれていましたので、なんとかして母親や周囲に「自分が素晴らしいと認めさせる」よう、背伸びし続けてしまうクセ(=無意識の習慣)がついてしまったんやと思います。
そんなわしがそのまま高校生になってしまうんですが、そこで初めて自分のことが心底イヤになりました。このころから今書いている #モトの話 につながるようなことを考え始めるようになったんじゃないかと思います。
そう、なぜ自分の人生が「ある」のか?という疑問です。イヤだったんですよ……生きるのが。
続きは次回。
#おやモト


みゅんひ
わしら人間のココロというものは、モトというエネルギー源のようなツブツブが集まってできてまして、コレが足りなくなるとネガティブな気持ちになる、だから増やしてやるとアガるよー!というのが『モトの話』です。覚えてますか?初めて読む方、はじめまして😁
で、人生の本質とは何か?という話は結局
・「この世」とは何か
・「生きている」とは何か
という二つの説明から成っている、という話になりました。実は、この二つの疑問について考えるには、順番があります。それはまず「この世」とはどういう世界なのか?ということを知ること、そしてそののちに「生きている」とはどういう状態か?を知ることです。
なんでかっていうと、この世界がないとわしらは「生きている、という状態」になれないわけだから、まず「この世」という場所の正体がはっきり分からないと、生き物が「なぜ」生きているのかを、考えようがないからです。
というわけで、まずは「この世」とは「どこなのか?」という話をします。
先に答えを言います。わしらが生きている「この世」という世界のことをモトの話では
【地獄世界】
あるいは単に【地獄】と呼んでいます。なぜなら、昔おしゃか様(仏教を作ったエライ人)が
「この世は一切皆苦である」
(この世界は苦しいことだけでできている)
て言っていた通り、この世で起こっていることを端的に分析すると”苦しむこ”とを中心に造られているからです。
…と書くと「んなアホな」とよく言われます(笑)。どうしてそんな大げさに苦しいことばっかクローズアップするん?もっとフンワカいこーぜ!なんてね。でも、この世を【地獄】だと断定する根拠は、モトの話にもちゃんとあるんですよ。
では今日はここまで!!🥰
#おやモト

みゅんひ
おやすみ前の #モトの話 100
わしら人間のココロというものは、モトというエネルギー源のようなツブツブが集まってできてまして、コレが足りなくなるとネガティブな気持ちになる、だから増やしてやるとアガるよー!というのが『モトの話』です。覚えてますか?初めて読む方、はじめまして😁
他者とは何か? を考えるとき、一番大事になることをもう一度。
・相手のすることは、モトあつめである
これはもちろん
・自分のしていることは、モトあつめである
という意味でもあります。わしらの「行動」というものは、全部、ぜーんぶ『モトあつめ』なんです。モトが欲しくてやってるんです。
にも関わらず……モトが集まらなくて幸せを感じられない毎日を送っているひとも大勢居ます。日々のストレスと戦いながら、カネやモノが少ないことを嘆き、周りのひとを嫌いながら、明日におびえて眠りにつく……こういうひともやっぱり『モトあつめ』をしています。え? と思うかもやけど、こういうひとは
・モトを失いたくない、相手に渡したくない
という、守る『モトあつめ』に終始しているんです(これは実体験だから本当によく知っています、ツラさも含めて)。これは『許す』という動作の真逆の行動です。何度も書いている通り、許すという動作は
・相手に自分のモトを少し与えることで「二番目」のモトあつめを促す
という動作のこと。はじめにこちらが、相手に意識的に注意を向けて、そして相手のココロをモトで満たして、そして送り返してもらう、という動作なんです。相手が怒っていようが、寂しがっていようが、悲しんでいようが、こちらからモトを分けてあげる=注意を向ける≒話を聞いてあげるんです。
こんなとき、最初に出てきた
・相手のすることは、モトあつめである
という知識が役に立ちます。どんな感情をどう表現しているひとも、みんなやってることは「自分のモトあつめ」だと知ること。そうすると、怒っているひとも嫌がらせしてくるひとも、怖くなくなりますよ……なーんや、そういうことかーと理解できるから、全部ただの「一番目のモトあつめ」なんやと分かるからです。こんな時ちゃんと【自分ファースト】ができていれば、余裕を持って『許す』ことができます。持っているから、与えても平気なんです。
続きは次回!

みゅんひ
おやすみ前の #モトの話 076
わしら人間のココロというものは、モトというエネルギー源のようなツブツブが集まってできてまして、コレが足りなくなるとネガティブな気持ちになる、だから増やしてやるとアガるよー!というのが『モトの話』です。覚えてますか?初めて読む方、はじめまして😁
人生を好転させる切り札「許す」ための『所作』
2.選びなおす
の話の続き。これは「1.あきらめる」を実行するための動作だ、という話です。
自分のモトを増やすものかどうかを「明らかに、見極め(あきらめ)」たあとは、自分のモトを増やすものを「選び取る」必要があります。自分のモトを減らす(増やさない)ものを手元に残しておいても、いつまでも「愛」の状態になれません(愛=モトの量)。イヤな気持ちをもたらすもの(=モトを減らすもの)を〝手放す〟ことで初めて増えるモトもあるんや、と知りましょう。
とはいえ、愛着のあった道具(故障)や古い人間関係(イヤなヤツ)をバッサリ切ってしまうのも、どうもココロにしこりが残るような気分になってしまいそうで……というお気持ちもよく分かります。人間誰しもそうですやん?🥰
そこで前回紹介したツール
『選べ、もう一度』
が役に立ちます。使い方はカンタン。あきらめたいものを前にくっつけて
『〇〇。選べ、もう一度』
と自分に命令するだけ。これは強い命令文なので、結構な強制力を持ちます。優柔不断な自分に喝を入れるつもりで、唱えてみましょう。
この命令文は、身の回りのあらゆる物事に応用できます。たとえば……
着ない服。選べ、もう一度
古い靴。選べ、もう一度
今晩のおかず。選べ、もう一度
ご近所さん。選べ、もう一度
友人。選べ、もう一度
仕事。選べ、もう一度
役職。選べ、もう一度
習慣。選べ、もう一度
宗教。選べ、もう一度
社会観。選べ、もう一度
生き方。選べ、もう一度
こんなふうに、日常から思想まで、あらゆるものを「自分のモトを増やすかどうか」で「選びなおす」ことができます。便利でしょ?😉
もちろん「選びなおした」結果として「手元に残す」という選択をすることもできます。ただしそれは「自分のモトが減らない(増える)」ときのみです。基準はあくまで
「それは『愛』(=モトの量)か」
ですよ。
ではまた次回!!

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みゅんひ
回答数 4>>
ただし、いまの「あなた」の人生は一回コッキリやから、どうぞ後悔のないように生きてね!!😊
#モトの話

みゅんひ
回答数 46>>
さて、モトの話というのは『ココロの材料である素粒子』を想定し(モト、と名付けました)、すなわち「ココロには具体的な素材がある、ゆえにココロとは量をともなう具体的な存在である」という仮定のもと、世界というものをもう一度再検証する試みです。
で、ですよ。この話が『無』とどう関係があるのか、というと……
モトという粒子は素粒子だと仮定しているのですが(もしくは素粒子に共通するはずの性質を指す、詳細は拙著を)、もしココロの量が増減するものならば(ココロの増減と感情には密接な関係があることが、長年の観察の結果分かっているのですが)、増減する具体的な仕組みとはなんぞや?という疑問に対する最も合理的な答えとして
「素粒子は、ひとつひとつがとある空間座標に固定されており、単に空間の表裏を移動して『有』『無』の二つの状態を表現するものに過ぎない」
(ゆえに、三次元空間中を移動しない)
というひとつの解答が得られました(めっちゃ考えたんですよ😁)。
ここで注目したいのが『有』『無』という“モトの状態”です。モト粒子は、その場から動かないのに
『有』と『無』
の二つを表現できる、という性質を持っています。どうやっているのかというと、この世に『有る』ときはこの世に出現していて、この世に『無い』ときは、同じ空間座標にありながら、空間の『裏側』に引っ込んで、存在を認識できなくなっているんです。
この仕組みで、あらゆる場所に何かがあるように見える、わしらのいるこの三次元空間の世界に、擬似的に
『無』の状態
が生み出されているのではないかと、わしは考えています。
これが「モトの話」が定義する『無』の状態です。セカイは全部が『無』の状態から、ビッグバンを経て時間とともに『有』が増加することで膨張し、最後の“時刻”には空間すべてのモトが『有』になるのではないか、とわしは考えています。
もしかしたら、般若心経の
色即是空
空即是色
という言葉は、このモトの性質についての記述だったのかもしれないと、最近は愚考しております😁
もっと詳しいことは拙著『セカイのトリセツ』をなんとかして読むか、トップにある連載をハッシュタグで読んでくださいませ😊


みゅんひ
回答数 67>>
【地獄】
と呼んでいます。なぜなら、苦しむことを中心にできているからです。
と言うと「んなこたーない」と返されますが、なぜそこまで言うのかというと、実際にわしら生き物は全員が
“嫌がる他者を殺して食べないと死ぬけど、自分も殺されたくない”
という状態に置かれているからです(この状態を【大いなる矛盾】と呼んでいます)。
この“関係性”をベースに、すべての「他者との関係」が起こっているのが『わしらが今暮らしている世界』なので、この世界は間違いなく、文字通りの【地獄】です。死ぬかもしれない世界で、苦しいことが起こり続け、最期は全員必ず死ぬんです。全員が死にたくないのに、です。
さて……こんな世界なのに、わしらのココロには
【幸せを感じる、という『機能』】
が備わっています。なぜでしょう?不思議に思いませんか?
実はね……わしはこれが『なぜ生き物がこの世に在るのか』という問いの答えの入り口だと考えているんです😊
人は誰でも幸せ探す旅人のようなものですが(銀河鉄道999)、なぜ幸せになろうとするかというと、そのほうが『いい』からです。安心するし、いい気分だし、スッキリするでしょ?こういうインセンティブがあるから、そうなろう、そうしようとするわけ。逆に『イヤな』ものからは遠ざかろうともします。不安になるし、イヤな気分になるし、モヤモヤするから。
結局、地獄を生きるわしらにとっての“救い”というものは、この『ココロの機能』をいかに使いこなすか?ということに集約されるとわしは考えています。そしてこの『機能』の働きは“アタマの力”に大きく左右されるので、だからたくさんものごとを知って、考える力を鍛えることが唯一の道なのかなーと思っています😁

みゅんひ
回答数 30>>
・わたしたちが存在している場所
ほどの意味かとわしは捉えた。異世界転生、なんていうときの「世界」だ。わしらの世界にも、異世界から来た転生者がいるかもしれんもんな😁
んで、どっちが大きいか?となると、これは
「世界は宇宙空間を内包するのか」
という質問意図なのかなーと考えておる。もしわしらの「世界」が宇宙空間を内包している場合、可能性としては「複数の宇宙空間」を内包できる構造が浮かび上がる。そうなると、この別の宇宙空間は「異世界」なのか?という定義の問題が別途発生するやろな。
個人的見解では(#モトの話 に準拠)、わしらの宇宙空間は「三次元かつ球の表面」という、四次元以上の空間でないと表現できない構造なので、宇宙の外、という世界があると考えとる。ゆえに、世界は宇宙より大きいと考えられるな😊

みゅんひ
回答数 44>>
わしは「ココロには材料と量がある」という研究を30年続けてきた者です。この“ココロの材料”である粒子に【モト】という名前をつけ、その性質とわしら人間との関わりを探ってきました……その結論が、さっきの「答え」なんです😊
わしが編み出した、新しい心のあり方の概念である#モトの話 では、ココロは「粒子の集まり、という実態のあるもの」だ、とします。そしてその“量”の増減に応じて、ココロは「感情」という行動の指針を出してきます。
ココロには、保持するモトの量が増えると、幸せを感じる仕組みがあります。ゆえに、わしらはココロのモトの量を増やそうとして、より“幸せを感じるような行動”を取ろうとします。
(くわしくはわしの投稿か本を読んでくれ😁)
この【モト】という粒子が「なぜ宇宙に存在するのか?」ということを突き詰めていくと、最終的に「なぜココロがモトでできているのか?」と同じ結論に行き着くことが分かっています(くわしくはこのまえ#セカトリ に書きました)。ですから、わしらがどうして生きているのか?の答えが、先ほどの
『モトあつめをするため』
(=ココロの量を増やして幸せに暮らす)
になっちゃうんです😁
どうやって集めるのか?(≒どう生きる?)ということについても前に書いていますので、気になる人はどうにかして投稿か本を読もう😅DMも受け付けてますよー😊



みゅんひ
回答数 114>>
「人生というものを生きていく上で、どんな行動を取るか(取らないか)」
もう一つは
「人生とは、そもそも何なのか」
です。
なんでこんなことを書くかというと、前者は完全に
・ひとそれぞれ
で答えが違うものになるはずですが、後者は
「生きている全員が同じである答え」でないと、ちゃんとした回答にならないからです😁
人生というのは「現象」です。現象とは「今実際に起こっていること」ですよね。となると、わしらの人生は「すでに、ある」ことになります……それも、確実に。このことに何らかの「意味」「目的」のようなものが(もし)あるとするならば、それは考えるに値することだし、できればちゃんとした
『答え』
を知りたいはずだし、知っていたほうが後々生きるのが楽になりそうですよね?
というわけで、みなさんの代わりに、わしが30年かけてその
『答え』
を見つけておきました。ですから今から書く『答え』をよく覚えておいてくださいね。
では大発表ー!(浜ちゃんの声で😂)
人生とは何でしょうか。答えはこうです。
『人生とは【個別のドラマ】が【関わりの網目】によって連なる、【大いなる矛盾】に支配された【地獄世界】の【時間軸】の一部分である』
はい!これが全てです!!
……ポカーンとなってますね?😂
今の一文の【】の中身は、わしが考えだした「新しい心のあり方の概念」である
#モトの話
というもののオリジナル用語です。ですから、ちゃんと理解するためには、この用語を学ばないといけないんですが……
(例えばさっきの「人それぞれ」の部分はすべて【個別のドラマ】という用語で表されます)
今はともかく
・人生に「意味」は、ちゃんとある
ということと
・それを知って、どう生きるかの指針も、ちゃんとある
ということを、ぜひ知っておいてください😊
実はわしは、そういう本を書いている者です。興味あれば、探してみて下され😊


みゅんひ
・背が高いひといいな(あこがれ)
↓
・わしより背が高いひと憎い!(嫉妬)
では、恋愛関係の嫉妬はなぜ起こるのか?
※ここから先は拙著『シリーズ#モトの話』からです。
恋愛の関係は、普通の人間関係とちがい、ココロの材料『モト』が二人の間でたっぷり交換され、二人でいる間はずっと『モト』の量が高どまりの状態になります。だからずっと「幸せな気持ち」が続くんです。
(拙著『レンアイのトリセツ』参照)
この状態のとき、一人が別の相手と楽しく過ごしているのを見たり知ったりすると、ヤキモチから嫉妬まで、幅広い「不安感」を抱きますよね。
それはアタマが
「パートナーが、ホントは自分が受け取るはずだったモトを、他の人に配っている」
と認識して(無意識に、です)、自分のココロには本来もらえるはずのモトが入ってこない(≒モトが減った)と判断しちゃうから、なんです。
ココロが持つモトの量が減ると、ココロはなんらかの「イヤな気分」を出します。この場合は
・パートナーと誰かが仲良くモトの交換してていいな(あこがれ)
↓
・パートナーがわたし以外にモトを与えるなんて許せない!(嫉妬)
こういう流れなんです。
……まずはこういう「現象」が起こっている、だから自分の気持ちが変化している、ということを『知ること』が大事なんやないか、とわしは思っています。原因がわかると、対処法も分かりますからね😊

みゅんひ
回答数 35>>
さて、では『優しさ』とは何か?をこの【モト】の性質に基づいて定義すると
「他者のココロのモトの量を増加させる行動や判断」
である、くらいになるかと思います。
問題は「どうやって増やしたか?」です。モトの増やし方(モトあつめ、と呼んでいます)には二種類あることが分かっており
・他者の注目をあびて、他者から奪う
・自分のココロがたくさん持っているとき、ココロの機能が勝手に増やす
となります。初めての人は信じられないでしょうが、ココロの材料モトだけは、わしらが知っている物理法則を無視して、ココロの動きに連動して「空間に出現する」ことがあるんです(詳細な理論は拙著で)。
で、ですよ。さっきの「一番目」では、注目をする側が「モトを減らす」ので(モトは何かに注目したときココロから流出する、という性質を持っています)、ギブアンドテイクで誰かが損をしますが、「二番目」を行うと、自分のモトも相手のモトも増加し、お互いが『いい気分(≒幸せ)』になります。
ゆえにわしは、本当の「優しさ」というのは、この「二番目」を意識してやっていることを指すのではないか、と考えています。
……こんなふうに、わしが見つけた『モト』という新しい考え方に照らすと、ココロの動きや相手の感情変化を
『言葉で明確に説明できる』
ようになります……ホンマです😁
詳しくは拙著をぜひ😁
#モトの話

みゅんひ
回答数 32>>
『個別のドラマが関わりの網目によって連なる、大いなる矛盾が支配する地獄世界の時間軸の一部分』
です。これは全人類、ひいては全生命体に当てはまる、わしらが生きて暮らしている“この世”の厳格なルールです。例外はありません。
で、それでこの話が終わるのか?というと、そうではないんですよね……なぜなら、“この世”の生き物は、嫌がる他者を捕食しないと自分が死んでしまう、でも自分は生きたい、という【大いなる矛盾】と名付けたルールに支配されているからです。これが、われわれ生命体が抱える『生きる苦しみ』の根源にあるはずです。この苦しみが解消できない限り、わしらはいつまでも「わいは何をしてるんや……」という悩みから開放されません。
この悩みを解消する方法……少なくとも「マシ」にする方法は、あると考えています。それはわしが発見した、ココロの材料である【モト】というものの性質を知ることと、その性質を使って、自身のココロのもつモトの量を、できるだけ増やすことです。
……という、聞いた人全員が「ポカーン」となる話を、30年かけて考えて、言葉にして、本にまとめました。チャンスがあればぜひ読んで下され😁
#モトの話


みゅんひ
回答数 30>>
わしらは日々、不可知の『未来』に向かって、自分で考えたり感じたりしたとおりに、判断したり行動したりして生きている、と考えて暮らしているはずです。たぶんコレのことを『自由意志』というんですよね?(哲学のことは不勉強でして😅)
ところが、わしが編み出した『#モトの話』では、時間と空間のモデルが根本的に違ってまして、ココロの材料【モト】がもし実在して、わしが考えたとおりの作動機序をするものだとしたら、時間というものは
『始まりから終わりまでのすべての出来事が記録された状態で、今の次元よりも上にプカプカ浮いているような構造』
をしているはずなんです。
要するに、未来というものは“終わる時刻”までの出来事がすでに存在しているはずだ、ということです……例えるなら、レコード盤の溝に、音楽がまるまる刻まれているような状態です。あそこには音楽が一曲、はじめから終わりまで全部『有る』んです。
ただし…溝のキズを『音楽』にするためには、針を乗せて“回転させる”……はじめから終わりまで順番に針でなぞっていく必要があります。いくら立派な溝であろうと、そうしないと『音楽』にはなりません。ですよね?
つまりこうです。
わしらは『自由意志を持った存在として、この世に生まれて生きている』という状態を、未来が完全に決まった状態の中で
『体験し続けている』
というのが、人生というものを俯瞰的に見たときの姿だろう、というのがわしの推測です。わしらはレコードプレイヤーの針の部分なんです。
そしてこの世界は、こういう構造のおかげで
・未来は完全な形で『すでに有る』
・わしらは未来の分からない状態で、自分の人生を自分の手で『創り上げている』
という、全く矛盾した状態を、完璧な形で同時に実現できているんです!
……この世界は、ホンマに想像以上に良くできた『構造』を持っているなぁ、とわしも日々実感しています😊
#モトの話
#セカイのトリセツ

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