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紫苑/しおん🐈‍⬛

紫苑/しおん🐈‍⬛

【経過良好(全7章)】
②火の不始末

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その日は、夜勤明けだった。
空が白み始める頃、救急外来の電話が鳴った。

内容は短い。
《老朽アパート。煙吸引。意識清明。喘息持ち。》

ストレッチャーが入ってくる。
女は上半身を少し起こした状態で、
マスクをつけていた。
呼吸が細かく割れている。
吸う。
吐く。
間が、ない。

「名前 言えますか」
「……しらやま ななみ」

声が
途中で切れる。

服には煙の匂いが残っている。焦げではない。生活の中に混じる、軽い煤。消防隊員が簡単な状況説明をする。《同じ階の住人の不始末。鍋。消し忘れ。火はすぐに回ったが 鎮火も早かった。》

吉田は頷き、モニターを装着する。
酸素飽和度、やや低下。呼吸音、軽度の喘鳴。
「少し様子を見ましょう」
それだけで入院は決まる。

病室に入ると、佐藤が先に来ていた。当直ではないはずなのに白衣を着ている。
『白山さん』
声が少しだけ柔らかい。

七海は視線を向ける。表情は変わらない。
『火事 怖かったですね』
慰めとしては、よくある言葉だ。

「……気づいたら 運ばれていました」
それ以上話さない。

佐藤は聴診器を当てる。布越しに、丁寧に。必要以上に、時間をかけて。吉田は記録を取る。〖火傷等外傷なし。意識障害なし。〗ただ入院の理由は成立している。

酸素。
吸入。
点滴。
ベッドに横になる七海は、いつもより少しだけ楽そうに見えた。佐藤は処置の説明を終えても、すぐには部屋を出なかった。
『何かあったら、すぐに私を呼んでくださいね』
医師として正しい言葉。

「はい」
七海はそれだけ答える。

吉田はカーテンを引く。
区切られた空間に火の気配はもうない。

それでも
七海は病室に残り、
佐藤は病棟に残った。

事故だった。
ただの火の不始末。そう処理される。

吉田はカルテに淡々と入力する。〖火災。煙吸引。喘鳴あり呼吸苦あり。SpO2 88%〗それ以上のことは、どこにも書かない。


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