投稿
えり
回答数 34>>
その作業は孤独であり、何十年もかけて自分の中に潜り探す必要があります。イメージを固めること、言語化すること。長く生きて経験値を積むことで言語化できることもあるかもしれませんが一生かけても愛とはなにかの問に納得できる日は来ないかもしれません。しかし、わかった気になるくらいならわからないままの方が良いです。わからなくても考え続けぼやけたイメージを少しでも形にできるよう探求するものだと思います。
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言語の意味の不確定性を前提としつつ、それでも問い続けることが哲学だということですね。僕の哲学観と似ていて、親近感が湧きました。 ただ、「概念を自分なりに形にすること」という定義では、文学の境界線が曖昧になりませんか?何か哲学に固有の言語化の仕方があり、それを明らかにすることによって、文学と哲学を峻別できるようになると思います。 まぁ、そもそも、概念がどこまで客観性を帯びることができるかというのは難しい問題ですよね。言語の意味が他の言語の意味との差異によってしか規定されない以上、概念の絶対的な定義づけは原理的に不可能なんですよね。それでも言葉を使って問い続けるんですけどね。