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✨🪷れん🦉れん🪷✨
ある日、德の高い曹洞宗の僧侶による法話会に参加する機会をいただきました。
法話とは、ただ聞き流す講話ではなく、「対話」なのだと、僧侶はおっしゃっていました。
それは、相手の心にそっと届き、やがて心の柱となってゆく言葉の種蒔きでもあります。
この日の法話のテーマは「命の使い方」。
その中で僧侶は、はっきりとこう語りました。
「自分を拠り所として頼りにしなさい」
この言葉に、私は深く引き込まれました。
■ 暮らしの中にある祈りの作法
昔の家づくりの基本は、神棚と佛壇を上下セットで備えることだったそうです。
神棚は八百万の神様に感謝するための場所であり、部屋や物すべてに神が宿るという心を養うもの。
佛壇は、亡き人々や佛様に思いを届ける場であり、毎日の祈りが心の姿勢を整えてくれます。
線香やお供え物は、香りが大事であり、香りが佛様の食べ物なのだそうで香りを通じて祈りが届くとのこと。
そして、佛壇の前での坐禅は智慧を養い、合掌は慈悲を育てる行いだと教えられました。
■ 姿勢を正すことは、心を正すこと
武道の基本が「坐ること」であるように、心を整える最初の一歩もまた「坐ること」だと、僧侶は語ります。
静かに坐り、深く呼吸をすることで、心は穏やかになり、血はのぼらず、頭は軽くなっていきます。
頭の上から糸で吊るされているような感覚で背筋を伸ばして坐ることで、體がまっすぐに整います。
體がまっすぐになると、心がまっすぐになる。
心がまっすぐになると、言葉がまっすぐになる。
言葉がまっすぐになると、行動がまっすぐになる。
そして一日をまっすぐに生きられるようになる。
その“糸”は、御先祖樣との命の繋がり。
中島みゆきさんの「糸」にあるように、縦の糸は命の繋がり、横の糸は人との出逢い。
私たちは、無数の命と縁の中で生きているという真理に、あらためて氣づかされました。
■ 日々の祈りが、自分を頼れる自分にする
毎日、佛壇の前に坐り、合掌し、感謝し、祈る。
御先祖様、家族、親しい人のしあわせを願いながら、自らは謙虚であることを忘れない。
この積み重ねが、「心の柱」を少しずつ築いていくのだと僧侶は教えてくれました。
そしてそれは、やがて自分の内側に「拠り所」ができていくことに繋がる。
人や環境に振り回されず、自分を頼れるようになるのです。
■ 慈悲の修行としての看病と介護
印象深かったのは、僧侶が語った**「看病や介護は慈悲の徳を養う最大の修行」**という言葉です。
人間だけが親の面倒を見て、命の恩に報いる生き方ができる存在。
その行為の中には、自分を認め、許し、深めていく力が宿っているといいます。
親孝行をすることで、自分自身を少しずつ許せるようになるのです。
そして、最後に人を送るときには、できる限りの感謝の言葉を伝えること。
温かく見送ることが、命を繋いできた者としての最後の務めであると、静かに語られました。
この法話を通じて私は、「祈ること」「坐ること」「感謝すること」「日々を丁寧に生きること」が、
どれほど深く自分を支えることになるのかを學びました。
「自分を頼りにする」とは、決してひとりで生きることではなく、
自分の中に祈りと感謝と誠実さの“柱”を立てていくこと。
今、少しずつその柱を建てていこうと、私は心に決めています。
#質問募集 #友達募集 #仏壇
#ひとりごとのようなもの
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