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ジュデッカ
回答数 15>>
経験的には、その観測をどのような観点で観測し、その結果を観測の方針と照らして検証することにはしています。
勿論これだけでは「観測手段や視点に伴う系統誤差(いわゆるバイアス)は残る可能性がある」ので、その手段で観測できる目的や限界がどのあたりにあるかをあらかじめ考えておきます。
そのうえで、観測した内容が、とらえようとしていた事象をどう説明できるのか、を自分か知りうる(または調べ得る)アナロジーのなかで説明可能か、もし説明不可能であるとするとどのようなアナロジーとして捉えるべきか、について探索してみます。
ただしこの場合には「説明可能ではあるが正しくないアナロジー」を選んでしまう可能性があるので、観測範囲をさらに広く取って、より広範囲の文脈を理解するなかでその論理が妥当であるかを見ていく、ということになるかなと思っています。
当たり前のこととして、哲学の専門家の方々がこんな私のような中卒無職のくそデブ&社会のゴミカスの拙い場当たり的な浅薄極まりない思いつきと、同じやり方をするはずはないと思うので、ぜひ、判断法について学ばせていただければと思っています。
コメント
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Sækýr🪐₄₀₄
良かった思い出だってある。それを大事にしたらあんな夢は見なくなるのかな。

あ


きう

わた🧶
きょうちゃんの奥さんみたいな本物のデブ専はいるやろうけど、デブ専だよーって言ってる女の子は基本違うと実感する。

🧖やまと🪶
来年もコソコソとグラを続けていきますが、これからも仲良くしてください🙌久しぶりの方々ともまた絡めたらと思っています✨ギターの練習も頑張ります‼️
2026年もみなさんにとって幸せな一年になりますように[照れる]
さあ、酒飲みながら紅白見るかあ🎶


微少女

さーら🍼🤍
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ジュデッカ 投稿者
ちなみに私の理解では「認識」とは、その事象について ・「真である」と言える内容 ・その根拠 のデータセット として理解しています(認識している、というと話がややこしくなるのかもしれないので、理解としました)。 なので、核心的な事として、「根拠がなく、真とは言えない(少なくとも確信を持っては言えない)事象に対する見解」は、認識とは言わないということになるのでは、と思っています(日常生活における「認識」との誤用に基づいて『だから哲学のド素人は』などと言うお叱りを避けるために、上の見解を補足します)。。。