『事象』と『認識』について。自分の認識が誤読や勘違いではないことを、どのように判断すれば良いか?
人物、状況、発言etc.

上泉

狼
先ずは、事象も認識も、本当の意味では判断する事など出来ない事を理解すること。無知の知を得ること。
どのように判断しても構わないが、その認識、目の前に見えている事象が誤読や勘違いで無いと決めつけず疑いを残し、認識を更新する“つもり”を持つことが肝要。
結論『判断は終えるな』と言う判断が最も誤読や勘違いが少ない判断である。
さて、本当にそうかな?

倫太郎

232c
まず事象がありました。その中で何が問題で何を認識しないといけないかとそれを解決するにはどうすれば良いかの論点を考えます。
次にどう解釈するのかについて仮説を立てて、検証していきます。仮説でしかない自分の認識が正解だと思う人は多いです。
自己認識の正しさは仮説と検証を繰り返さないといけません。
それに必要なのはメタ認知になります。同じ絵を見ても違う感想を述べることはあります。
政治はわかりやすい例ですが、国をよくするというゴールは共産党から参政党まで同じですが、方法論を全然違います。共産主義は絶対うまくいがない、ソ連は崩壊したし、東ドイツと西ドイツでは西ドイツしか発展しなかったからだと、よく言われますが、本当にそうなのかを自分の頭で仮説を立てて検証してる人はほとんどいません。
民主資本主義こそ正解だという人も、本当にそうなのかを仮説を立てて検証してる人はほとんどいません。
トランプ大統領はかつて、Factなどない、全てはOpinion だと言いましたが、自分の認識が誤読や勘違いではないと判断するのは、問いを見て、何が答えになるか論点を整理して、それが本当にそうかは仮説を立てて検証していく過程で、仮説が正しい時に認識になると思います。
それが誤認や勘違いでないかは、自分の視点、他者の視点、メタの視点から本当に自分の仮説が正しいのかを検証できるようになるしかないかと思います。

tama

憂い顔の騎士

愛善院
ありとあらゆる言葉をつかって言い換える。

ろん
私の場合だと例えばその判断をしたのは相手が美人だったからか?男にもしたか?後輩にもしたか?同じ判断をしたのか?と自問自答をするなどして自身に問いかけて内部で精査します、感情が精査するにあたりノイズになりますからそこを重点的にします

ありんこ
思うなー。どっちかと言うと、その認識を
(どう現実にするのか)が重要じゃない?

まる
もっとみる 







