もし完全な善が存在するとしたら、全て人類はそれに従うのか、またその世界に自由はあるのか。
もし誰もが認める完璧な善が存在したと仮定する。
その善に人類は従うことができるのか。
このとき、人類に本質的な自由は残るのか。
古今東西、哲学者は完璧な善とは何かを議論してきたが、もしこれが見つかれば我々の生きる指針が見つかるとともに、善とは何かを探索する自由も失われるのではないか?
完璧な善を疑うことは悪とされるような気もする。その時、真の意味での自由は悪になるのか。
なんだか、自由と善悪という概念はすごく食い合わせが悪いなぁと思ったので、質問します!

七草
有ったら現行の世界の人類が全て従うかと言えば従わない。何故ならホモ・サピエンスはそんなふうにはできていないから。むしろ善を価値の最上に置いている人のほうが少ない。
これを達成しようと思ったら、人類種そのものが別の生き物に変性する必要がある。
・そこに自由はあるのか
仮に上記の問題が解決されたとして、自由があるかと言われたら、ある
何故なら自由とは「自分の意思で選んでいる」という内的感覚のことだから
たから選択肢が100個あっても自由が無い人もいるし、1つの人も限りない自由を感じていることもあるだろう。つまり自由とは選択によって得られる充足度のこと。
あと、善を探求する自由、善を疑うことが許されない気風、についてはそもそもその設問の設定においては善自体が完全な(圧倒的な)説得力を持っているのだから疑いに対しては世の中の人間や外的圧力ではなく善そのものの持つ正当性によって納得が齎されるはずである、よってそういった事態にはなりにくいと推察される。
なので絶対的な善が存在することと、自由であることは背反しない。
…という感じですね。
色々言ったけど、僕はあったらいいな~善
と思っています。
えぶりでいそろぱりぴ
…? / ̄ ̄\
/ 〇・ >
/ ε │
/ 〇・ >
(つ_と\__/
∪ ∪
自分で考えた善を信じるしか無いかな
極力だれかに負担をかけさせたり悲しませないようにって行動をしてるつもり

セナ
生き方とかいわゆる善を説く
名著は数多くありますが
その通り生きることすら自分にはままなりません。

款冬

ぼーず
仮定を否定しまって申し訳ない。
完全な善は存在しない。
善と悪、感情と理性、真実と嘘、
戦争と平和、幸せと不幸、裕福と貧乏、
美と醜、自分と他者、
様々に反対のものが同時に存在し、
矛盾に満ちていて、そのままが本来の状態。
なので完全な善のある世界は、
この世ではない。
そこに循環や輪廻はなく、動きのない。
無の状態。
それはある意味では自由であり、
ある意味では不自由。

甘んじる

P
一歩でも完全なる善から踏み外したら、待っているのは善の再教育では無いでしょうか。ZAP ZAP ZAP……
自由は時に悪をはらむものです。
ノクスト

ねむ
全ての人類は、それに従っていません。
なぜなら個人の考えのもと逆らっているひとも
いるからです。完全な善が存在していたと
しても悪は無くならず、善と悪がある世界に
人は自由を見出してるんじゃないでしょうか...
多分ねw

cupido
善と悪はウラとオモテだから。
両方無ければ善という発想自体が意味を無くす
まぁ人間は、あるがままにしか生きられない
それが自由と言うなら自由はあるのかも?
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