もし完全な善が存在するとしたら、全て人類はそれに従うのか、またその世界に自由はあるのか。
もし誰もが認める完璧な善が存在したと仮定する。
その善に人類は従うことができるのか。
このとき、人類に本質的な自由は残るのか。
古今東西、哲学者は完璧な善とは何かを議論してきたが、もしこれが見つかれば我々の生きる指針が見つかるとともに、善とは何かを探索する自由も失われるのではないか?
完璧な善を疑うことは悪とされるような気もする。その時、真の意味での自由は悪になるのか。
なんだか、自由と善悪という概念はすごく食い合わせが悪いなぁと思ったので、質問します!

wato(わと)

cupido
善と悪はウラとオモテだから。
両方無ければ善という発想自体が意味を無くす
まぁ人間は、あるがままにしか生きられない
それが自由と言うなら自由はあるのかも?

琥珀糖

しき
そして、多分人類は従わない。
自由かどうかはその善がどんなものかによると思う。
MoMA
今の日本の状況見ればわかる。

りり
答えがある人生なんてつまんない。
「多様性への探究心」が、「上質な善」だというなら、それは確かに〜って感じるかも。

コーユー
前提条件なので、「完璧な善が存在する」は否定しないとしましょう。
ただ、そもそも善悪の完全さと従う/従わないと自由/不自由はそれぞれ影響はするかもしれませんが、完全な因果関係ではないと思います。
不完全な善に従っている人もいるし、利益とか面倒くさいとかの理由で悪に染まることもあるのでは?
◯不完全な善の例
他人の悩みに「大丈夫だよ」と励ますが、自分の心はどこかで「本当は心配だよね」と思っているなど。
◯日常生活の悪の例
ゴミの分別をサボる、ポイ捨て、レジでお釣りを多くもらったのに黙っているなど。

ロック

はるき

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