なぜ弱い人間も極端な自己責任論を支持するのか。極端な自己責任論が何故良くないのかも言語化してほしい。

あお
弱い人ほど付け込まれる物です。
何故よく無いかは、社会は一つの生き物です。
その責任の取れなかった者の憎しみは何処へ行くのでしょう?

51号線
全て自分で何とかなるという考えは傲慢であり、環境や他者の助けや運の中で最善の結果を目指す方が、可能性が良くも悪くも大きくなることを避けているだけ。

愛善院
「極端な」の質的尺度がよく分からないが、
弱いほうが「誰かに認められなければ」生存効率が悪く、「誰かに認められない自分」を責めている、つまり自責の仮装をした他責に陥っているのが正体だと思われる。

憂い顔の騎士
他者が自己責任を強要するから
SUZUME
労働者不足やハラスメント問題で
会社や上司、先輩が弱い仕組みを
国と法律が作りあげてしまった為、
どうせ叩かれない、
強く出てこないであろうと
社会や会社を逆手に取る
極端な自己責任支持者が増えた
と思われます、
個々の権利が
保護されている事により
社会的責任や義務を果たさない為
一部の労働者において
自己責任の必要性が
極端に高まっているのでは
ないでしょうか。

🏃一三@逃げてーー
だから、全ての因果や結果を個人意思に求める
で、極端な自己責任論がダメな理由は…脳科学レベルで見たら意思(意識)は単なる事象の理由付けであって、因果や結果はそれと異なる法則で動いてる世界の理の中での事象だからでしょ
つまりは意思と結果に直接的な因果は無いから

わたんべ多雨
人は誰かに支配されてると思うより
自分がうまくいってないと思うほうが
自分の尊厳が保てるからじゃないですかね。
あと、良くないのは、
自分だけに目がいくようになってしまい
まわりの声を聞いたり、見たりして
改善の機会が少なくなるのが良くないのかと思います。

🍊🍊🍊

ニックX🐦🔥
極端な自己責任論がなぜだめなのか、色々あるが、失敗した人を助ける仕組みがなくなる、失敗することが人格の否定に繋がるからである。どんな優秀な人間であろうと、失敗する。それは運や調子の悪さ、能力さまざまな原因がある。不可抗力も多くある。失敗したらもうセカンドチャンスがない社会。それは社会にとって悪影響である。失敗を過剰に恐れ、挑戦しない人が増えれば社会は衰退していく。分断がうまれ、共感が失われていく。勝者は傲慢になっていく。日本は精神論を大切にしてきた、自己責任論が強いととれる。日本の若者の自殺率は先進国でもっとも高い。その理由の一つは自己責任論の強さではないだろうか。アメリカも自己責任論は強いともいえるが、彼らの家族観や友情観はインフォーマルな助け合いのシステムがある。また、アメリカにはお金を持つものは恵まれないものに施しを与えるべきだというキリストの考え方が根深い。アメリカは変わりつつあり、そのような価値観は失われていく可能性がある。
極端な自己責任論はよくないので、社会保障制度の縮小はするべきでないと思う。セーフティネットが充実することで人々は挑戦しやすくなる。

サイダー
非弱者が「自分の力で生きなくてもいい」と思えるのは、助けてくれる誰かが周りにいるからなのかなと思う。でも、それは彼が、たとえば若さがある、問題を起こさずコミュニケーションができる、精神状態がよい、共有できる趣味があるなどの幸運の恩恵にあずかれているから。
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