哲学の星において、あなたから見た「良い質問」の条件を考えてください。
「概念と観念の違いとは?」なんてGoogleで調べればわかる一問一答形式の質問は愚問です。
私は、以下2点の条件を満たしている質問は良い質問だと捉えます。
①個人の経験則に由来する独自の仮説や思想価値観哲学を学べる②論点が明確であること。
教科書的な回答はインターネットで調べればわかるので他人の意見なんて聞く必要がありません。また論点が整理されていることにより抽象度が調整されます。抽象度が高過ぎると回答も抽象論で終わり空中戦になります。前提情報が多すぎたり、クローズドクエスチョンだったり個別具体の話は回答者が集まりませんし学びの再現性がありません。

でこにゃんこ

あーみっく

なずむ
puspisrow
ポッチャマ🔮

ニックX🐦🔥
学びがある
思考力を楽しく使える
学術的な前提があるといい
知的好奇心が高まる
二元論ではない
としゆき
①Googleで調べれば一発でわかる質問は愚問→そもそもGoogleの回答が決定的に正しい回答であるという根拠はどこにもない
②教科書的な回答はインターネットを調べればわかる(1)ので他人の意見なんて聞く必要がない(2)
(1)→上記Googleの説明と同様の理由で、インターネットに記されている情報を鵜呑みにしてそれを回答の基準として考えるのは軽率すぎる
そもそもインターネットも生身の人間が書いた誰ともわからない辞書的まとめであり絶対的な信頼^を置くのは間違いだから
(2)他人の意見なんて聞く必要がない→哲学は他人の意見を聞き、それに何らかの刺激を受け自ら考察しようとする考える姿勢にこそ意味がある。
もしそれが、「幸せとは何か教えてください」といったそのままの答えを求めるものなら質問者の言うことに間違いはないが、「幸せとは何だと思いますか?」といった質問であれば質問者の主張は上記同等の理由により明らかに的を射ていない。
考える姿勢をあからさまに否定し放棄してはならない。
③個別具体の話は回答者が集まらないし(1)学びの再現性がない(2)
→(1)回答者が多く集まる質問しかよしとしないその態度は、まるでSNSでいいねの数だけを欲しがるだけの承認欲求の具現化したものに他ならない。
ところがまがりなりにもここは哲学する星である。従って注目を求めるよりも思考することに重きが置かれるべきであるから、質問者の考えは誤っている。
(2)→哲学の星で回答するものは、学びではなく思考した内容の陳述を求めている。
学びを求めるているのは哲学の星の回答を外からみて読むことを主とした観察者だけに当てはまるものである
哲学の星に対する知識と理解を今一度よく考えてみてほしい

愛善院
ただし、質問者の主張に部分賛同するところはあり「辞書的意味で十分に足りそれより論理構築の発展性が見込めないもの」は、たいてい頭を悩ませる。語義として複数軸検証すれば、それはそれで頭の体操ではあるのだけれども。

憂い顔の騎士

マルコ・アモレッティ
もっとみる 

