あなたがコミュニケーションに求めているものはなんですか?
コミュニケーションには大別して共感を求めている人と議論を求めている人の二種類に分けられると思います。
コミュニケーションとは「人と話す」というのがコミュニケーションであると思います。
しかし私にとってのコミュニケーション専ら議論であり、「人と話している」というより「その人が言った意見と話している」という感覚で、それで私が否定したとしてもその人を否定してるのではなく「意見そのもの」を否定しているというだけなのです。
「でかいシュークリームを食べたい」と誰かが言ったとして、「くだらない」(くだらないというのは言葉が強かったですね)と言うのはその人の願望を否定してるのではなく「わざわざでかいシュークリームを食べる意味が分からない」という意味でその「意見そのもの」について言っているだけです。
意見と人間は密接につながってはいますが、同一ではありません。
「その人が言った」という意味だけにおいて密接につながっており、意見と人間は「それぞれ独立して存在している」ものです。
これは事実判断と価値判断の話ともつながってくる。
……この疑問を出したのは、私の支持している考えが正しいのかどうか確かめたかったから、なのでしょう。

なずむ

ゆう

飴飴
どんな奴でもいいから暇つぶしに
なってくれや

😎 還暦過ぎの冬眠

ユキダマル
リクリ
なので、これも感情的な個人の感想になります。
私の経験では、議論開始の合図もなく勝手な議論を展開する相手が多いため、議論は好きではありません。また、相手の意見への尊重もなく、一方的な口論に持ち込まれるのも残念でなりません。中には実に建設的な議論を展開してくださる方も稀にいます。そういう話は好きです。
また、意見と人格は別であり、確かに同一ではないのですが、その距離感には個体差があるため一概に分けられないと思っています。(私は仕事に対する意見を否定されてもどうでも良いですが、プライベートの意見を否定されるのは腹が立ってしまいます。)
私の考えでは、他者の論には常に一考の余地があります。他者が他者の視点、工程で導いた意見や答えは当人から見て納得いくもののはずです。それを理解し、共感や尊重がなければ対話や正しい議論とは呼べないと思ってます。

BEVEL(べヴェル
こっとんばん

ジョン・ブル

かねまつ
見返りもお金も共感も
なにも
そんなんやからぼっちやねんと自分で思いました
もっとみる 










