あなたがコミュニケーションに求めているものはなんですか?
コミュニケーションには大別して共感を求めている人と議論を求めている人の二種類に分けられると思います。
コミュニケーションとは「人と話す」というのがコミュニケーションであると思います。
しかし私にとってのコミュニケーション専ら議論であり、「人と話している」というより「その人が言った意見と話している」という感覚で、それで私が否定したとしてもその人を否定してるのではなく「意見そのもの」を否定しているというだけなのです。
「でかいシュークリームを食べたい」と誰かが言ったとして、「くだらない」(くだらないというのは言葉が強かったですね)と言うのはその人の願望を否定してるのではなく「わざわざでかいシュークリームを食べる意味が分からない」という意味でその「意見そのもの」について言っているだけです。
意見と人間は密接につながってはいますが、同一ではありません。
「その人が言った」という意味だけにおいて密接につながっており、意見と人間は「それぞれ独立して存在している」ものです。
これは事実判断と価値判断の話ともつながってくる。
……この疑問を出したのは、私の支持している考えが正しいのかどうか確かめたかったから、なのでしょう。

愛善院
よくこの喩えを出すのですが、アラレちゃんはウンチくんを突きます。なぜか?ロボットだから自ら排泄物を創造できないためです。
ヒンズー教は乳海撹拌
日本神話は天の沼矛
ギリシャ神話ならカオス
スーフィーならば回転舞踏
創生とは排泄物をつつきまわし細密に分析し
光あれ
と唱えて草を生やすこと。
目の前にある「言葉」は、すでに持ち主のもとを離れている。もちろん突きまわせば、その者の栄養状態程度は分かるが、それは表現者本体ではないでしょう。
コミュニケーションの側面のひとつとして、そこに「事実として存在する表現物」を対象として批判することは技術として持たねばならないし、
一方で「それを書いた時と排泄し終わった表現者が弁別的である」うえで、双方に「対話的充実」を導くこともコミュニケーションの技能のひとつです。

坂本龍馬

ビービー
これからはコミュニケーションを大事に〜とかよく言うけど、もっと細かく言わないと人によって違う答えが出てくるからね

RYO@ハチミツ

伯爵
(サンプルとしてユニークかと)
このお話で大別するなら、
「感情優位」と「論理優位」の二局論にしてお話しします。
「論理優位」の方は理系的な会話傾向です。命題があり、その命題について最適解を模索します。建設的で実用的ですが「用が済んだら終わり」という関係になる傾向があります。
「誰が言ったか」より「何を言ったか」に焦点が当たります。
「感覚優位」の方は直感的な会話傾向です。共感性を重視し、命題があっても解決策より、プロセスをも重視します。時に非建設的、非生産的ですが、会話相手の人となりを見るため、用件が終わっても関係が継続される場合があります。
「何を言ったか」より「誰が言ったか」に焦点が当たります。
私は職業上、それらを「どちらか?」あるいは「そのグラデーション」を観察し、適切な対応を図ります。その「対応を図る」ことこそがコミュニケーションであり、求めるものです。

うさ

ちゃ

エラー品
攻撃対象になる前に先手を打てるのがコミュニケーションのいいところかな。

とわ

ヒロ
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