日本女性の男性との格差についてどう考えますか?
どの側面で語るかによると思います。

明石
とはいえ、多様性を無視できない現在では継続的に槍玉に挙げられた事柄が、社会問題・格差と評価すべきでない個人的な問題とされているの見られます
価値観の変化の時代なので、今はその意識の変革を見守る時期にあり、格差を認定するのはその後になるのかと思います

たかし(大阪)
格差を解消しようとしている人は
男性になりたいのかなって思う。
性別の関係ない社会って
今の社会とは根本的に違う
今享受している社会を捨てて
別の社会をゼロから構築しなければ
ならない。
日本人にその勇気や覚悟があるとは思えない。

いてぼし
女性が抑圧されてる、それを解放しようという話の一方で、男性はどこか“どうなったっていい”みたいな風潮が流れているように思う。これは解決すべき問題ではなかろうか。
こういう話題である故、主語が大きくなることをご容赦ください

愛善院
オレ オマエ 喰ウ。
これをデートの誘いとみなすには、それぞれ
オレ「は」オマエ「と」喰イ「たい」
くらいの格を補ってやる必要がある。
オレ「は」オマエ「を」喰ウ
とやったとたんに悲惨な現場になる。
男女にも座すべき「格」を想定しよう、それもできるだけ「差のない形で」とするならば、
「対象格」を作らないのが本質になるのだと思われる。
もっとも簡単に
「格が違うのだよ! 格がぁ!」

伯爵
例えば「男尊女卑」は、明治時代に輸入された西洋哲学の影響を受け、福沢諭吉などが提唱した啓蒙活動などが興りで、割と近代の熟語です。
それ以前にももちろん、女性の地位向上への働きはありましたが「男女を同じく扱うべし」という今のような風潮ではなく「女性の役割をもっと評価すべし」といったものです。(個人的にはこちらの方が論理的であると思えています)
時代時代、社会社会で、どの意見もそれなりの解決と、相応の問題を孕んでいます。もともと違うものを、違えて考えるか?同じくするか?その基準は?などは、比較的短期間で移ろうため、完全解決する事はありません。
昭和70年代のシャンプーのCMで「今時の女の子はシャンプーは一週間に一回!(もする)」というようなものがありました。
当時の価値観を、今の価値観に準えて見てしまえば、粗雑で野蛮なものに感じられるかと思いますが、その見方は過去を評価する上では偏りを生みます。
遠い未来、今の時代を見た時に「なんと管理された息苦しい時代か」と思えるか「なんと自由な振る舞いが許された時代か」と思えるか、未来人に尋ねて見たいものです。
てん

Троцкий

あーみっく
まずは平等の基準を決めて、平等からの差をどうやって解消するか、男女それぞれで決めていけばいいよ

Yan
ってことを偉い人達に理解して欲しい。

斎
あまりに強力すぎる故に運営からナーフがなされた
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