キニラ
「みんなは一人のために、
一人はみんなのために」
の元の言葉かな?

エテ公
右から読んでも左から読んでも同じって事。
たろう☸️
世界というシステムの中に自分が組み込まれており、また、自分が認識するものは世界そのもの

Akira777
万物斉同
という言葉がある
それと同じ

しょー
って感じかなー

😎 還暦過ぎの夜桜🌸
哲学的、宗教的側面から解釈するのが一般的だけど、「最大なモノと最小なモノは同一である」という解釈。
KN

愛善院
聖剣伝説LOMの草人
なども、同じ概念で説明されるのですけれども、
特にオカルトやスピ系だと「101匹目の猿」という概念で表現されたりもします。
私の言葉だと「存在の全面肯定」「愛」などと近い。説明するに、
宇宙や森羅万象のなかにある一個の自分は、それそのままにして宇宙や森羅万象に連なる全でもある
というところ。
梵我一如でもあるし唯我独尊でもある。

正宗(ろー)
ノードとグラフの関係は、片方の存在を前提としているので、片方が無いと片方も成立しません。
(ノードが1つ無くなってもグラフは存在するという話ではない)
ノードは、グラフを局所的に参照する。
グラフは、ノード集合として全体的に成立する。
一が無いと全は成立せず、全が無いと一は成立しない。
極めて体系化された高次の学問をグラフとするなら、その学問を志す学徒(ノード)が存在しないと、その学問は存在を問われる。
人と社会でも喩えられると思います。
人間がいない人間社会は存在しない。
人間社会が成立するには人間という存在が必要。
全 ≒ all、一 ≒ oneという認識を持つと解けなくなると思うので、辞書的意味からは一度離れて、
〝ある抽象構造や法則の比喩として『全は一』を持ってきた〟
と仮定して、ここから逆推論する形が良いと考えました。
私はノードとグラフ構造の比喩として、『全は一』が用いられたと解釈したので、ノードとグラフ構造に言及しましま。
ノードとグラフは、同一構造の異なる位相ですね。
奥義の伝授等で使われるような台詞だとも思いますが、一つの技を疎かにしたら奥義には至らず、奥義とは一つ一つの技を極限まで鍛錬したときに自ずと現れる、みたいなアナロジーも作れますね。


pophat
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