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自分の気持ちを他者(人間、生成AI含む)に言語化させ整理させないと自己を観察できない状態をどう思いますか?

雑食の巨人

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ご自身で受け入れましょう
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とらお

とらお

それが人間という存在の限界なのでは、
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ブラックテール

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別に悪い事ではない。
気持ちを言語化するのが苦手なら人もいるから。
自分もそうだし。
あるものは、上手く活用して生きやすくすればよろしい。
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Yuu

Yuu

めんどくせぇ堅物
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マルコ・アモレッティ

マルコ・アモレッティ

社会におけるそういうパーツなんだなとは思う。
自分は他者とのコミュニケーションって、自分を観察するのが目的の場合は見る角度を変える手段の一つかなとは思うけど
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てす人

てす人

強い言葉を使いますが「人間とは思えない」です。
持論ですが、人は受動的に湧いた感情や思いを、どう処理するかの理性の部分がある種、本体であると考えてます。何ならこれこそが自我とも考えています。
受動的に生じる部分は自分の一部ではありますが、操作できない以上、病や怪我と何ら変わりありません。残された唯一の能動的な部分を外部に任せるなど、自我のない生き物にしか見えません。
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伯爵

伯爵

これは「外部に頼らないと言語化できない」のではなく、「思考の鏡としての役割を求めている」のではないか?と思われます。

実は質問に対するフィードバックは受け取れておらず、自身の「独白の場」として会話を求める傾向があるのかも知れません。

内省思考が過剰で、吐き出さないとまとまらない状態なのかも知れません。
回答としては
「この方は、人との交流が得意ではなく、会話が成立しないとよく言われるのではないかな?」と思いました。

以下、上記の論拠。
・他者に言語化させ
→この状態なら多くは「人に相談をする」と表現されます。「させる」という表現は、この方にとっての他者が“情報にすぎない”可能性を示しています。

・整頓させないと
→この「させる」は、先の“人を動かす”させるではなく、現象そのものを示した言葉で「自己」にかかっていそうです。しかしこうした表現を使う点で、「外聞(人からの評価)を気にしない」方なのだろうなと推測できます。

・自己を観察できない
→人を経由した上で、最終目的は「自己の観察」です。これにより、他者に求めるものは交流が目的ではなく、あくまで自己分析の写し鏡(ツール)なのだと邪推します。
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