感情と理性というのは共存できるのでしょうか?
仕事上、トラブル対処していると「ルール」という理性に抗う形で感情が問題を困難にさせます。感情を無視すればそれは「縁の切れ目」。だからといって、感情第一にしてしまったらそれは「秩序の崩壊」そのものです。僕のような白黒はっきりつける人間にとって、感情と理性というのは二元論だと考えます。そもそも、感情と理性は共存できるのでしょうか?できるとすれば、どのように共存させるべきなのでしょうか?

シス
それではこの二つの言葉の持つ意味から考察していきたいと思います。
感情たは自己意識の中で誕生するものであり、自己起因で生まれるモノと他者起因で生まれるモノと大きく二つに別れると思います。
一方、理性とは何でしょう。
これは他者起因がほぼ全てだと私は考えます。
理由としては、この世に生まれ出でて学んだ生きる術とは正に理性の塊の事ではないでしょうか。
それは親から学び、友から学び、教師から学び、上司から学び、後輩から学び、恋人から学び、社会から学んだのではないでしょうか。
全てでは無いでしょうが、本能的理性と言いながら他者から、または外界から与えられた理性は我々のこの社会で生きる大きい知恵となっています。
そして、そのおかげで我々はこの世界で生を謳歌出来ているのだと思います。
つまり、社会性ありきの人間にとって理性は基本装備であり、単体の人間にとっては不要なものであるでしょう。
ここで感情と理性は共存出来るのか?という事ですが、私は自分と社会を繋ぎ合わせるモノこそが感情と理性ではないのかと感じます。
自己存在としての感情、社会存在としての理性、二つの存在無くして社会性ある人間とはなり得ないのではないかと思います。
そしてこれは補足ではありますが、人間が感情的に犯罪や間違いを犯す事を私は社会性における罪であると考えます。社会に存在するモノのみが罪として扱われるという事です。
彼らはこの理性的社会構造の中で感情を優先した罪とされますが、自己のみ存在出来る世界の中では大した罪とは言えないでしょう。
されど人は一人では生きられない、だから我々は理性を発達させたのかもしれません。

どら

きいろ
とても稀有な快感を呼ぶもの
なのではないでしょうか
柊翔
逆に其れが出来んと
学校でも社会生活でも上手く行かんと思うけど
#おつかれGRAVITY #GRAVITY友活 #GRAVITY日記
#人間関係は難しい

モズク☺
こっとんばん

ろひたば
気持ちを抑えるのが感情的な人であって後で考えたときにもう一回整理してこうじゃないのあ〜じゃないのって言ってしまうのが感情的人やと思う。
だから、共存は難しいけど人間関係としてはどうにか大人なので向き合うしかないけど喧嘩は避けられないね。話し合って合わせるしかなんだけどもね。

愛善院
ちなみに、日本人はこの共存を作るために「同調圧力」とか「空気」を使いこなします。
最近の流行りでは「良い感情」で連鎖させていけばそれは理性と大差ないよね、という勢いでマインドフルネスとかアンガーマネジメントとかがあります。
感情は速射で理性はとてつもなくゆっくり動く。ウサギとカメで喩えたら、最後は一緒にゴールして互いの健闘を称えるくらいで宜しかろうと思います。

英樹

くちく
どちらにせよ、哲学や精神分析学の世界では、共存の問題というよりは、感情(欲動)と理性の問題は
①発生の問題か、
②支配(制御)の問題
なのだと思います。
まあ、欲動が理性の原動力だ、という説明(①)も、理性が欲動を減衰/増幅させるのだ、という説明(②)も同時に真な気がするので、共存というより、〈相補〉と捉えてみてはいかがでしょうか?
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