哲学が「分解と再構築」であるならば、それは「賽の河原」である。苦心して積み上げた自己構築を壊されることは恐怖か快楽か
すみれ

けい
あの石って積まされてるだけで自分で考えて積んでるわけじゃないと思うので
哲学とは違うのでは
虐待の一種
たよ葉
分解に対してその時の自分が
能動的か受動的か
不意に分解がおきても
一次的な恐怖のあとに
快楽を感じそうだなー。

フレム・チェンバース
すうがくなど ひとつの こたえが でるような モンでも あたしにゃ なにが たのしくて かけたり わったり してるのか わからんかったなあ
バカに バカたしゃ バカばかり
バカから バカひきゃ うすらバカ
かけたり わったり してみても
アホウと マヌケが あ ちょいと
かおをだすー!!!
って うたなら よく おぼえてる!!

Jaco_ten
ソマリ
積み上げてきたからこそ、壊れて再構築に至ると思うのでそれを越えられる人にだけ快楽が与えられるのだと思います(*´ω`*)

くま
どちらかと言うと快楽じゃないかと思います。

G-K
一方的な不理解、押し付けであるなら
再構築の足しにはならず、正しく「賽の河原」です。これは恐怖の対象です。
打破すべき状況を前に砕かれたとか
受け止めてくれる相手が丁寧に折り砕いてくれたとか
見知らぬ要素に目を見開きながら崩壊したのなら
その時、積み上げられる石には新たなるものが混じります。
真の再構築が始まります。
積み上げられたなら、その後振り返る時、快楽が心を満たす。

ワンコおじさん

ぐるぐる
哲学も2000年以上続くオープンソースソフトウェアと同視できる
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