哲学が「分解と再構築」であるならば、それは「賽の河原」である。苦心して積み上げた自己構築を壊されることは恐怖か快楽か

てす人
例えるなら壊れないバベルの塔を模索し続ける感じですね。
史的唯物論者シン

あにー

余り者
その両方が伴っていないと
解は得られないんじゃないだろうか?
おそらく
分解と再構築はその過程の1つだと思われる。
そしてその賽の河原を通りたいと思う
人間はおそらく恐怖や快楽を目的としていない。

ユリ

マルコ・アモレッティ
積むのが僕の課題
壊すのがあちらの課題

セナ
賽の河原での積み上げた石の山を崩される親より早死にして悲しませた報いとは表面的にしか同じでないと思う。
自分は哲学について考えることはあっても積み上げてる感覚はないから恐怖ではないし、どちらかと言うと新しい知見がみつかった、という快楽を感じてそうに思う。

ハンプティダンプティ
毎回壊されてしんどくなってきたら「もう言わんで聞きたくない」ってなるでしょ
恐怖ではないけど苦痛だよね

ウエバグブレード
自己構築は自分の力で誰の支えなしで挫折繰り返し続けた時精神壊れた時自分の気持ちをきちんと整理を整える人だ
自己構築できないくらい精神がめちゃくちゃに壊れていたら自己構築は困難だ

メリー
理解・破壊・再構築が錬筋術
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