哲学が「分解と再構築」であるならば、それは「賽の河原」である。苦心して積み上げた自己構築を壊されることは恐怖か快楽か

ユリ

てす人
例えるなら壊れないバベルの塔を模索し続ける感じですね。
シン

ハンプティダンプティ
毎回壊されてしんどくなってきたら「もう言わんで聞きたくない」ってなるでしょ
恐怖ではないけど苦痛だよね

憂い顔の騎士
範疇の問題ではなく、スクラップアンドビルドは
必要不可欠であると思う

伯爵
哲学に成果を求めてきませんし、損得で思考を繰り返すわけでもありません。
脳は思考を快楽とし、思考に疲れると休む事を快楽とします。思考は苦痛であり、快楽です。
初歩としてはショーペンハウアーあたりを読まれる事をお勧めします。

あにー
としゆき
心から学問の発展に心酔しているタイプの生粋の学者のような人間にとっては快楽になるんじゃないでしょうかね🙂

余り者
その両方が伴っていないと
解は得られないんじゃないだろうか?
おそらく
分解と再構築はその過程の1つだと思われる。
そしてその賽の河原を通りたいと思う
人間はおそらく恐怖や快楽を目的としていない。

メリー
理解・破壊・再構築が錬筋術
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