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哲学が「分解と再構築」であるならば、それは「賽の河原」である。苦心して積み上げた自己構築を壊されることは恐怖か快楽か

ユリ

ユリ

仏教にはNEVERENDING WHY (決して終わることのない問い) という概念が存在する。哲学はこの"決して終わることのない問い"であり、それは恐怖でも、快楽でもなく、宿命である。
哲学哲学
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てす人

てす人

自分の中では哲学とはこの世界の絶対的な回答を探す行為であるため恐怖も快楽もないです。
例えるなら壊れないバベルの塔を模索し続ける感じですね。
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シン

シン

分解って認識論的切断のことかな?
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ハンプティダンプティ

ハンプティダンプティ

自分のキャパの範囲内なら快楽じゃなかろうか
毎回壊されてしんどくなってきたら「もう言わんで聞きたくない」ってなるでしょ
恐怖ではないけど苦痛だよね
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憂い顔の騎士

憂い顔の騎士

恐怖とか快楽とかの
範疇の問題ではなく、スクラップアンドビルドは
必要不可欠であると思う
哲学哲学
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伯爵

伯爵

自己構築といっても、先人が積み上げてきた知恵に追いつくのもやっとですし、借り物の知恵にすぎません。
哲学に成果を求めてきませんし、損得で思考を繰り返すわけでもありません。

脳は思考を快楽とし、思考に疲れると休む事を快楽とします。思考は苦痛であり、快楽です。
初歩としてはショーペンハウアーあたりを読まれる事をお勧めします。
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あにー

あにー

哲学だと理解して語るのに、恐怖か快楽といった感情で語ってしまうと、それは哲学の筋道から逸れてしまうのでないかと思いますよ。
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としゆき

としゆき

学者として自身が打ちたてた地位そのものにしがみついている人間にとっては恐怖だろうし、
心から学問の発展に心酔しているタイプの生粋の学者のような人間にとっては快楽になるんじゃないでしょうかね🙂
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余り者

余り者

分解と再構築であるならば
その両方が伴っていないと
解は得られないんじゃないだろうか?

おそらく
分解と再構築はその過程の1つだと思われる。

そしてその賽の河原を通りたいと思う
人間はおそらく恐怖や快楽を目的としていない。
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メリー

メリー

理解・分解・再構築が錬金術

理解・破壊・再構築が錬筋術
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