自分も 他人も すべてひとつわたしは最近“自分”と“他人”という境界がほんとうはとてもあいまいなんじゃないかと思うようになった自分の感情が揺れると誰かの言葉が刺さったり誰かの表情がやけにやさしく見えたりするそれは相手が変わったんじゃなくわたしの内側が変わっただけつまり他人とは自分の内側を映す鏡わたしはわたし以外のすべてに映されて生きている右脳で見るとこれは“境界が溶ける”という感覚に近い自分の輪郭が薄れていき相手の痛みがそのまま自分の痛みに透けてくる相手の喜びがそのまま自分の喜びのように反響するわたしの外側に見える世界はただの投影なんだわたしの内側を写した巨大なスクリーン⸻左脳的に見てもそれは構造的に矛盾していない人間は社会というネットワークでつながり環境教育文化言葉価値観常識すべてが相互作用しながらひとつの巨大なシステムをつくる社会の中で生きるということは巨大な身体の中で細胞が動いているのとほとんど同じ細胞ひとつだけ切り離して「これは完全に独立した存在だ」とは言えないように人間もまた切り離せないひとりの痛みは社会全体の痛みでひとりの幸福は社会全体の波に変わるわたしたちはばらばらの存在に見えているだけでほんとうはひとつの“生き物”として生きている⸻だから尊厳死も安楽死も愛も怒りも孤独も他者の問題ではなくわたし自身の問題でもある誰かの死をどう扱うかは自分の死をどう扱うかに直結する誰かの生き方をどう見るかは自分の生き方をどう感じているかの鏡になる自分も他人も社会も世界もぜんぶ別々に見えるけれどほんとうはひとつの呼吸で動くひとつの生命⸻そう思うと争っているように見える意見も立場が違うように見える価値観もぜんぶ同じひとつの生命の違う声にすぎない賛成も反対も強さも弱さも正しさも間違いもすべてはひとつの生命が自分の内側をどう扱っているかというだけ⸻結局わたしとあなたは分かれていない自分も他人もすべてひとつその感覚に気づき始めると世界は急にやわらかくなるわたしはそのほうが自然だと思う右脳のリズム的にもね