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沈黙は美徳だと思いますか?人は誰に何をどこまで話してよいものなのでしょうか?

誰にも何も話さない人生はとても寂しいです。でも口は災いの元だと言います。
せい

せい

言霊と言う意味では、良いも悪いも相手に突き刺さることだと思います。
誠心誠意、真心を込めて話すことで良いのでは。
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はと

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沈黙の「間」に美徳は感じます。
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safushu

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必要だと思った人に必要だと思ったものを必要だと思った分だけ話して良いです。
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河内の京子ねえさん

河内の京子ねえさん

沈黙は美徳、というか
沈黙しているだけなのに
その人の話を聞きたい、と
周囲が思うような人は
美徳な人だと思います。

周囲の問いについて、どのように話すか?
アタシなら自分の事は語らず、
相手の良い影響になることだけ話すですね。

自分のことを話さないのは、
多分自分に好意も悪意も無い人は、
興味が無いから。

悪意や好意が判断出来たら、良い影響が
ある個人情報だけ話す。のが理想です。
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メガネが本体

メガネが本体

話したいものを話せば良い、その結果は選ぶ事は出来ないのだから。
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P4(挨拶はぴよぴよ)

P4(挨拶はぴよぴよ)

余計なことを言わないように自分を御するっていう面では美徳でもあるかな〜。
ただ、意見があっても言わないのは美徳に見えるけど、そこは冷静に相手が受け取りやすい形で伝えてコミュニケーションをとる方が徳のイメージはないけどより美しい気がする。
あと話すの苦手だから話さなくてもいいなら黙っとこ〜、の沈黙は別に美徳って感覚じゃない。

誰に何をどこまで話してもよいか。
この方向性で考えるとパターンが多すぎて仮にまとまったとしてもちゃんと活かしにくいだろうから、どんな人に何は話さない言わないようにするっていうのを決めてった方が楽かな🐥
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たむい

たむい

他人は自分に興味がないを前提としているので、
話したい時には話さず、聞かれた時に話すを心がけてます。
話す時もなるべく時間を使わずに簡潔に。
ただ、話したがりなので、つい長くなってしまうのですよね。
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マルコ・アモレッティ

マルコ・アモレッティ

哲学は美徳に唾を吐きかけても誰も驚かないということを前提にして回答するが、沈黙も雄弁も金銀に劣る
信頼できる人間のいないが故にこの質問へ至ったのなら、まだ否定されきってはいないが、無視することもできない命題を一つ教えてあげよう
それは「現実とはフィクション(虚構)である」というものだ

このスマホをポチポチしてる感覚はまるで現実のようだが、そもそもあると認識しているが存在を確認できていない「自我」という意識がある
この「あるはずなのに見つからない自我」というものを肯定しようとすると、同様の構造を持った虚構たる現実も肯定しなくてはならなくなる-a
自我を否定するとフィクションも否定できるので、現実は肯定される-b
あれれ?パラドックスが起きちゃったぞ?
というわけで、よくわからないものは頭の中で弄びつつ、沈黙したいときは押し黙り、話したいときは話せばいいと思うよ、どうせフィクションなんだから
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伯爵

伯爵

「沈黙は金、雄弁は銀」とも言いますね。
意味としては「余計な事は喋るな」が直接的ですが、深い意味合いはもう少し異なります。

同類の言葉に「空の入れ物ほど大きな音を立てる」というものがあります。

さて、実践的なお話です。
スナックで若い女性に対し、その女性がまるで興味ないであろう自分の話を、延々語って聞かせる男性がいます。
貴方の目には、果たして男性と女性、どちらが理知的に思われますか?

例では男性を挙げましたが、女性にも同様の方は勿論います。
人は基本、自分の話をすることが大好きです。「自分に興味がある相手」に対して、より自分の情報を渡し、さらに興味を引き出すことが、嬉しいのです。
質問者さんも、このご質問にたくさんの回答があれば、どこか嬉しいものでしょう? 自分に興味を持ってもらえた、と認識すると、人は雄弁になる傾向があります。
そして、聞かれてもいないことまで、長文の返信をする、私のようなものがいるのです。これもまた、同様の作用と言えるかもしれません。

私はこの言葉に、さらに解釈を加えています。
ここでいう「沈黙」とは何でしょう? 私は「黙ること」ではなく「相手の話に耳を傾けられること」だと解釈しています。

人の話をきちんと聞ける方は、たいへん稀有です。多くの方が、言葉を交わしているつもりでいて、しかし実態は自分の言いたいことを言い合っている場合が多いのです。

人の話をきちんと聞ける事は美徳である。
反して、自分の話を聞かせるために言葉を繰り出す事は美しくはない。
そう解釈されると、理解に近くなるのではないでしょうか。

「何をどこまで」について。
蛇足ではありますが、私なりに。
語る事は「リスク」です。そのリスクを最小限に抑えて、リターンを得ることが一番の好形です。
「仲良くなりたい」と、自分に興味を持ってくれた方を無碍にする必要はありません。相手が好人物に思えたのであれば、これには言葉をもって応えます。
しかし、その言葉の中に自分の連絡先を含めたとします。まだ相手のこともよくわからないうちに、連絡先を教えてしまう事はリスクに他なりません。もし危ない人だったら、執拗に干渉される可能性があるのです。
対象との距離感を適切に掴み、自分が望むだけのリターンを得られる範囲まで、相手と親しくなるための「個人情報」を渡す。これが「どこまで」のアンサーです。

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ヒマナノヨネェ

ヒマナノヨネェ

個人の判断だし美徳かはわからないけど人を信頼したり人に信頼されたりしない選択をする以上一人であることを他人のせいにしたりしないで一人で生きていく覚悟があるならば沈黙でも何も問題はない
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