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米国では、相手を未熟者扱いしないという観点から、非英語話者にも普段どおりの早さで話し、非英語話者はこれを聞き取れないことが多いが、これは相手への尊重と考えるか?

作問者が米国のマナーや、米国の人を疑問視しているわけではなく、『マナーや尊重は、文化・場・性差・観測者等と相対性があるのか』というテーマの問です
にっきー

にっきー

質問の意図はなんとなくわかりますが、

相手を尊重する言動というテーマに対して、米国の文化というラベルはさすがに主語が大きいです。
「男性は人の話を聞かない」と同じような状態になってしまってます

質問の内容を
「純粋に相手を尊重したコミュニケーションとは何か?」
に置き換えて回答するなら、
・雑談などの会話なら相手に合わせる
・意見の収集なら相手に合わせる
・業務の認識合わせなどであれば、進捗を優先(わからなかったらのちに自分で確認させる)
などのような「目的と相手に合わせることのバランス」が相手を尊重することになると私は思います。

ただし、相手が「尊重されたと感じたか」は別にある話というのは重要で見落としてはいけないとも思います。

補足としてですが、
グルーピングはテーマ(論点)と解像度が一致しているか?という観点が重要です。
マクロのグルーピングにミクロのテーマを据えるとそれだけで破綻してしまう場合が多いです。
哲学哲学
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きき🐼

きき🐼

物事ってちょっと難しいくらいが一番成長機会を養われていいと思うけど、あまりにもレベルがかけ離れすぎると追いつけなくてぐちゃぐちゃになるだけ
スポーツ、楽器、勉学全て
哲学哲学
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山田

山田

「ある会議で、専門家が専門用語をそのまま使って話すことは、参加者への敬意の欠如と見なされるか、それとも場の目的に即した合理的配慮と見なされ得るか?」
このような趣旨の質問ではないでしょうか?
例示だと、言語学的・文化的事実確認に回答が誘導されやすいかもしれません。
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仁

この質問の仕方には、出題者の作為を感じます。この問い方では、普通の僕たち日本人からしてみれば、そんな考え方はないだろうと、懐疑感や不快感を与えてしまいます。
chat g t p に尋ねると、確かにこの問いの考え方は存在するようですし、その背景も説明してあります。これは、アメリカという国の成立自体が、移民による多言語国家という文化から生まれた考え方で、僕達日本人からは発想しにくい考え方です。
アメリカという独自の成り立ちから生まれる差別や優越性を排除するためごく普通の感覚で喋る、ゆっくり話して欲しいという意思表示があればゆっくり喋る、 本来この文化は、その成り立ちを知れば『なるほど』で済む話しですが、わざわざ水面に波紋を作るような問い方には、逆に ? を感じます。
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