人間における、感情・倫理・理性、これらの関係性は何か?
理性が感情を統制していることもあれば、感情が倫理や理性を超越することもあり、倫理が理性を支えたり、超越する場合がある

若

だい
と考えました!

いしのみ

しん
それは三項の協働ではない。
それは、存在が自己と一致しきれないという事実の三つの現れである。
私たちはまず、世界に触れて揺らぐ。
揺らぐとは、自己が自己のままでいられなくなるということである。怒りや歓喜は、私を私の外へと押し出す。感情とは、存在が自己同一性からずれる出来事である。そこにはすでに、自己を越えようとする運動がある。
理性は、そのずれを回収しようとする。
なぜ私は揺らいだのか。何が私を越えさせたのか。理性とは、自己を再び自己へと取り戻そうとする運動である。しかし、完全な回収は決して成就しない。理解はつねに遅れ、言葉は経験を取りこぼす。
そして倫理。
他者の現前は、私の回収運動をさらに破る。私は自分の理解のうちに安住できない。他者は、私が思う以上の意味を帯びて私の前に立つ。倫理とは、自己が自己に閉じることを阻まれているという存在の構造そのものである。
ここにおいて三者は明らかになる。
感情は、自己が自己から逸脱する契機であり、
理性は、その逸脱を引き受けようとする運動であり、
倫理は、その逸脱が他者によって決定的になる場である。
人間とは、自己と一致しない存在である。
一致しないからこそ揺らぎ、
揺らぐからこそ問い、
問い続けるからこそ他者に応答し続ける。
もし自己が完全に自己と一致するなら、感情も理性も倫理も不要であろう。
だが私たちは常に過剰であり、不足であり、応答しきれない。
この応答不可能性こそが、存在を動かす。
ゆえに、感情・理性・倫理の関係とは、
自己が自己を超え続ける運動の三つの相である。
そしてその超越が決して完了しないこと——
そこに、生きることの根がある。
問うことの必然がある。
未完であることは欠如ではない。
それは、存在がなお開かれているという証である。
ガワ
感情(動機)→理性(達成手段)→倫理(実行の是非)
感情は言わば行動へのエネルギー
理性は感情を具現化出来るかの計算
倫理は他者や環境に鑑みて実行するか否かの是非

モホロ

ブルース

51号線

이안

はと
倫理、理性は選択の手段である。
それは社会生活を送るバランスを取るもの。
本質と知識
感じるものと考えるもの
心と脳
反応と原因の関係性
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