質問を投稿し続けている人間は何がしたいの?
プロタゴラスとソクラテスがすでに議論し尽くした問いすら投げかける始末。
SNSでの自己演出に興じているのか
はたまた、単なる性悪かw
質問をする前に自分で考え、調べ、精査しろと習わなかったのか?
世界は君のママやパパではないのだよ?
演出しなきゃ保てない自己像にそろそろ向き合えば?

やっちん坊♂
僕的には🎯早く『人生とは『戦い』である❓』
と言う質問の答えを解決して欲しい所ですね〜😘

よん
①質問を投稿する
②回答の投稿が上がる
③みつけるや新着でそれを見た人が、この星の存在を知る
④新たな住人が加わり、星が活気づく
質問を立てることで、上記のような効果が期待できます。
GRAVITY自体から離れていく人も常時一定数いることを踏まえると、新規参入者がこの星に増えることは、ありがたいことです。
また、既存の本や資料だけでなく、「同じ時代を生きている人の哲学に触れてみたい」という個人的な思いもあり、様々な問いや答えを拝見・自ら回答できることもありがたいと思っています。

狼
・自己演出をしない人間など存在するのだろうか?
・精査は何処まですれば精査なのか?
・議論“し尽くした”とは何か?
詳細は割愛するが、いずれの問いも私なら「人間は少なからず自己演出をする」「哲学的に精査しきる事は神に近い所業」「議論“し尽くした”と言えるのは神の視点」と結論づけてしまいそうな内容で、そうではない結論を導ける人間の叡智には頭が下がる思いだ。
哲学とは何か? を考えるのも十分に哲学だろうし、すでに答えが出たと思える問いにも「君はどう思う?」と問いかける事、またそれを聞いて新たな視点や知見を得ることも十分哲学だろう。
そう言う意味でこの質問も十分に哲学出来る。
質問を投稿し続ける人間は何がしたいのか。
ネットミーム的に言うと「質問からでしか得られない成分がある」である。
この問いをした投稿者には説明不要だ、何故なら自らそれを求めて質問したからだ。
もし回数の問題「し続ける」の部分が重要なら「何がしたいのか?」と問い続けることで答えが出るはずである。そのまま疑問を持ち続けて、また人に聞くと良い。この投稿でしたように、他人に聞くのだ「ずっと疑問に思っているんだ、君はどう思う?」と。
その答えが出たらぜひ教えて貰いたい。その答えはそれを問い続けた貴方にしか出せない「哲学的な答え」になるからだ。
※「手法による回答」と言うやり方の是非には、「マヂカルラブリー」と答えさせて頂きます。


ふぃおり
けど、すぐ他人に聞いちゃう

憂い顔の騎士
頭を柔軟にしたいと思っているのでは?

ノゾ
「それはあの人が語っているよ」と知っている問いなら、そっと紹介するなり引用するなりすればいい。
僕は引用の上自分なりの解釈や、現代に即した例にアレンジしたりするので、あえて出典は出さないことが多いけど、まあだいたい受け売り。
自分で振り返ると、ショーペンハウアーが多めな気がする。
なんだそりゃって質問もあるけど、そういうのはそっとスルー。
やすやすと言語化できないものは人生の宿題として、やはりスルー。

ぎゃくりゅうさん
たしかに、尤もらしい答えは多くの哲学者が既に提示しています。しかし、それらに触れられる手段は本やインターネットといった資料が中心で、対話できるわけではありません。折角なら、答えてくれた人にお礼が言えたり、さらに問いが生まれたときにその場で聞き直せたりするような、「生きた対話」として、今この場で質問することに意味があると私は考えています。
また、偉大な哲学者たちは本当に議論し“尽した”と言えるのでしょうか?彼らも人間であり、神ではありません。もしかしたら他に真理があるかもしれない。時代や社会は変わり続ける以上、当時は説得力を持っていた考えも、別の角度から問い直されうるはずです。
カール・ポパーが述べたように、「反証可能性」がなければ科学とは言えないとするなら、真理について考える営みもまた、常に問い直され続けるものだと思います。
「有名な哲学者がこう言ったから、もう議論する必要はない」と考えるよりも、改めて問いを投げ直し、今を生きる人の言葉として考え続けること自体が、哲学なのではないでしょうか。
としゆき
主に質問に対して自分で考え自らの考えや思考を発表し意見を提出することに専念するものもいれば、フォローしている本惑星搭乗者のSNS発信の投稿の内容を楽しむことに徹するいわゆる「見る専」の利用者も存在するし、質問を投げかけることを旨とするような考えに対する意見を求める事を主な活動にしている利用者もいる。
だが、いずれもSNSの特徴である見る、読む、発信するというSNSの利用法に則って正当に利用しているだけであるから、基本それらが該当コミュニティの規約に違反していない限りは誰かに非難される謂れはない。
もちろん自分も質問が指している人物の質問の一部、例えばほぼ関係のないクリスマスに関する質問やそもそも解答自体が存在しない質問を投稿し続けている一連の流れに疑問を抱きつつあり、私や質問主に限らずかなりのユーザーが困惑や不審感を募らせているのは事実である。
しかし、彼はいずれの質問にしても誰かを誹謗中傷する言葉やそれに類いする質問内容を投稿したことは、私の確認する限りにおいては一度もない。
質問の内容そのものに対する皮肉の回答や、明確な中傷発言の伴わない痛烈な批判というものは、批判に論理性が付随する限は基本成立するが、質問の内容の論理より質問する人自体への批判は、既に批判ではなくなる以上、個人の諍いでしかない。
もし彼の質問の連投行為がこの惑星の全体の雰囲気や活動にわるい結果を及ぼすと危惧するのであれば、惑星主あるいは管理人に直接相談し解決するようコミュニティの代表に対応を任せるのが本筋である。
質問コーナーは質問を投げかけるためのものであり、誰かの不満を発表するためだけの場ではない。

A
「徳とは何か」みたいに、
みんなが分かったつもりで使ってる言葉に
あえて問いを入れるのが哲学だから。
ソクラテスも、
アテナイ人が当たり前だと思っていたことを
もう一度問い直した。
知らないと自覚してるから質問する。
それが無知の知。
だからこれは、普通に哲学だよ。
議論し尽くした問いを投げかける始末か…
逆に聞くけど、哲学って何だと思ってる?

じゃんく
これ以上の答えが絶対に出ない状況です。
私はそれらが決まった、決まったように見えた瞬間、絶対的哲学、絶対的正しさではなくなると感じます。
だからこそ人は絶対的哲学や絶対的正しさを求めて、さまざまな視点での見え方を知りたいのではないでしょうか?
本能的には到達できないと分かっていても
それを求める過程こそが面白いじゃないですか😆
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