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A
回答数 30>>
「徳とは何か」みたいに、
みんなが分かったつもりで使ってる言葉に
あえて問いを入れるのが哲学だから。
ソクラテスも、
アテナイ人が当たり前だと思っていたことを
もう一度問い直した。
知らないと自覚してるから質問する。
それが無知の知。
だからこれは、普通に哲学だよ。
議論し尽くした問いを投げかける始末か…
逆に聞くけど、哲学って何だと思ってる?
コメント
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キーマ
回答数 345>>

社会問題‼️5歳✌️

らいと
なーんか上司と会話すると
過去未来現在と事実と仮定が全て輪郭を失ってごちゃ混ぜになってるように感じるんだよね。
あと全てのお叱りやアドバイスが
条件付き構文なんだよね。
言葉になってない条件を見つけるのにも脳を割いてる気がする。
(故に都度都度指示や禁止事項が変わってるように聞こえる)
これって普通なん?社会人上司との会話って。

たるお
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妖怪い

なえら

カオル

浬

寒色

ぶろし
日本語通じてなくて職員大変やな

浬

ぽめ
川村も庄子も全然打席立ってないので、ファームのデータとかも分かれば、本来の最高がどんなもんか分かるとは思う。

中川俊
政権交代とふんで
勝ち馬に乗るための判断した
だけのようなきがする。
もしくは
大先生を失って
政治とのかかわりについて
与党権力にこだわらないなどに
方針がかわったか。

めー
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A 投稿者
今度は論理の代わりに写真や演出を攻撃する。その堂々巡りこそ、まさしく哲学が避けてきた自己慰安の典型だな。ともあれ個人攻撃はご法度だ。通報しました笑
ピカチュウの唐揚げ
第一に、プロタゴラスとソクラテスは 相対主義と絶対主義の対立という土俵を作り、哲学に一つのルールを与えた。 これは問答法そのものへの揶揄ではなく、問いを投げる姿勢を問題にした揶揄だ。 哲学において問うとは、 単なる自己開示でも、無知の装飾でもない。 アレントは問いを世界への責任に結びつけた。 思考は停止であり、判断の準備であり、公共性への負担だった。 アドルノは問いを自己慰安から引き離し、和解へ逃げ込もうとする意識を嫌った。 問いが自我の温室に戻った瞬間、 それは哲学ではなく文化産業化される。 彼のそれがそうだと言っているだけだ。