「続けること」自体は、いつから評価対象になりますか?

ノゾ
するとそれは「それを楽しめたかどうか」に帰結するように思う。
何が面白いのかわからないまま強制され、長年嫌々継続した果てに強制を解かれるや離れてしまえば続いたとは思えないし、短期間で楽しさがわかり夢中になった人がある日夭折してしまっても、継続した人なのだと感じる。
ただ、楽しめたかどうかなど他人に分かりようもないので、これはあくまで本人の評価。
他人の評価は単に技能と知識の量への期待でしかないので、評価対象の境界は評価者によってまちまちになる。
それでは困るから、会社など社会のグループごとに、求められる技量に応じて長さの基準を定めるのだけど、この点では「求められる技量によって違う」としか言いようがない。

む

pyama

みぃ

シス
私は結論から言うと無意識にその事を実行しているならば「続ける」が成功しているのではないかと考えます。
意識的に思考している間はまだ自己意識の範疇にあり、それを乗り越えた時、無意識的行動が可能となり初めて自分の価値あるモノになるのではないでしょうか。

グン

キーマ
ソマチッド

サト
少なくとも自己評価は始まってる
SUZUME
なるほどですね〜
『続ける事自体』が
評価の対象に入るのは、
『続ける事を評価の対象に
入れていてなおかつ
評価できる立場にいる人に
続けている事と、
その続けている事がもたらした
恩恵が伝わった時』
であると考えます。
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